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2015-12-01

何とか主義やなんとか理論なんてもの

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」全3巻を読み終えた。たせば1,200ページにおよぶ長編小説で、久しぶりに異世界でのさすらいを堪能した感じ。

文字をおって読むのでも、地面をけって走るのでも、水の中をかいて泳ぐのでもそうだけど、一つの行いを“一定の長さ”を超えて持続した先でだけ感じうる内面世界ってあるよなと思う。その長さを確保するのには、一定の労力と時間がかかるわけだけど、それなしにこの価値を味わうことは叶わない。長編小説には、そこに内在化する独特の価値があるように感じる。

ところで、私が村上春樹の小説の好きなところに、なんだか真理めいたことが文中にはさみこまれているというのがある。それは、そこだけ取り出しても意味が通る形で収まっている。今回印象に残ったものの一つがこれだ。

「理屈や能書きや計算は、あるいは何とか主義やなんとか理論なんてものは、だいたいにおいて自分の目でものを見ることができない人間のためのものだよ」

これ、実は数か月前、とある焼肉屋さんでの会合のときだったか、その帰り道だったかで、私の隣りの人がちょうどおんなじことを言っていて、そのときの「すっごいこと、すっごい切れ味でいうなぁ」と感服した夏の夜のことを思い出した。

理論や方法論、メソッドと呼ばれるものって、その時点であるていど汎用的に使えるだけの検証が済んでいるからこそ、広く伝播して自分の耳にも届いているわけで、その発芽時期から考えるとけっこうな時間が経過している。すでに枯れているところに意味があったりもする。

そして、そんなものが他から持ち込まれるずっと前から、自分の目でものを見ることができる人は、それに似た原理なり方法論を見出して、場面場面で適用したりしなかったり、場面に応じたチューニングをいくらでも施して応用している。応用という感覚がないほど、メソッドありきではなく、自分の見立て前提でやり方を形づくり、都度の最適解を編み出している。

こうした方法論て、言葉に表して体系化して汎用化していく方向と別に、言語を介さず一人の人間の中でどんどん身体化していく手練の方向も、ある気がする。

小説の中で、登場人物の叔父はこう続ける。

「そして世の中の大抵の人間は、自分の目でものを見ることができない。それがどうしてなのかは、俺にもわからない。やろうと思えば誰にだってできるはずなんだけどね」

ここで下手な反発心を抱いて、「おぉおぉ、やってやろうじゃないか、自分の目だけでものを見てやろうじゃないか」と気張らなくていいんだと思う。別に、理論や方法論をいっさい無視して自分の目“だけ”でものを見るのが正しいという話じゃない。

私を含む多くの人間は(と皆まきぞえ…)、やはり息の長い理論やメソッドに学ぶところが大いにあるはずで、ただそれをどの場面で選び、どの場面では採択しないか自分で判断すること、ほかにどんなとらえ方があるかを自分で考えてみること、それを取り入れるとしたら自分の目下の課題でどの範囲にどうチューニングして取り扱ったら有効かを自分で編み出すこと、これを放棄しなきゃいいという話だ。

理論やメソッドは、少なくとも実務者にとっては「手段」の域を出ない。その場に最適な手段を選ぶのは、理論やメソッドの提唱者ではなく、実務者である自分の仕事の範疇だ。

手段を選ぶ仕事を放棄してしまうと、覚えた一つの理論やメソッドを絶対視して、そこに万能感を覚える。それを扱っていない人を低能とみて、それを扱っている自分らを有能とみたりする。その理論なり方法論に心酔してしまう。こうなると、厄介だ。

一つの手段に万能感を覚えている人というのは、相手側(客側)からみると、もろく、頼りなく、うさんくさい。この人は、この理論が大好きで、これを提唱して権威づけたいか、あるいは自分がそれを普及啓蒙する権威者になりたいか、いずれにしても私たちの問題をどう解決したらよいかを最たる関心事として事に当たってくれる人ではないだろうなと感じ取る。そういう指摘はせずに、静かに遠ざかっていく。

村上春樹の小説からずいぶん遠くにやってきてしまった気もするけど…、実務者としては「手段はいずれも万能ではない」というスタンスで、自分が信頼をおく理論や方法論も、相手と状況に応じてぱっと手放せるだけの奔放さをもっていたいと思う。それって、私は職業倫理のように捉えている。

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