いっときの時代の価値観
「しんがり 山一證券 最後の12人」(*1)を読んだ。この本、私のようなアラフォー世代には、世代独特の読み応えがあるお話ではないかと思った。
1997年11月、四大証券の一角を占める山一證券が自主廃業を発表。当時、会社をたたむ最後の最後まで会社に踏みとどまって経営破綻の真相究明と清算業務にあたった、社内からは「場末」と呼ばれていた部署の社員らの奮闘を描いたビジネス・ノンフィクション。「しんがり」とは、負け戦のときに最後列で敵を迎え撃つ者たちのこと。
私は、このお話で奮闘する当時50代半ば世代を父親にもち、自分自身はちょうどこの騒動の頃に社会に出ている。両者の影響を肌身に感じながらここまで生きてきたことが、この本を手にとらせた背景にあるのではないか、読後にそう思った。読み応えある実話であり、ぐいぐい引き込まれる物語だった。
私は山一證券のように歴史ある巨大組織に勤めた経験がなく、これまでの勤め先は1990年代に創業した若い会社ばかり。就職したのはバブルがはじけた後で、ある種それまでの組織のあり方を反面教師に、(少なくとも表向きは)できるだけフラットであろうという職場環境でサラリーマン人生を送ってきた。
ゆえに、ここで描かれている、大手のサラリーマン然としたあり方、働きよう、価値観、人間関係には直接の馴染みがない。終身雇用、権力闘争や派閥争い、組織や上司に対する忠義心、「上に従うしかなかった」「上がそういうならしようがない」といった価値観は、どちらかというと前時代的なものとして遠ざけてきた。
バブル崩壊、就職氷河期、どんな歴史ある巨大企業も(外から見れば)あっけなく無くなるのを見せつけられるようにして社会に出たので、従来の価値観で生きていくと、あるとき足元をすくわれるのだと懐疑的だった。「組織」とは曖昧で空虚でもろい容れ物であり、「責任者」とは不完全で不確かで、清濁併せもつ人間が仕事場限定で負っている一時的な役割にすぎない、そう思っておいたほうが双方にとって健全だという感じが当初からあったように思う。
自分の仕事人生より組織寿命のほうが短命な見通しが立つ時代にあって、組織がなくなって自分が行き場を失うのを組織や上のせいにするのは責任転嫁だ。組織によりかかるも、よりかからないで生きるも、自分で選べること。また上の命令で事件の加害者になるくらいなら、責任者に従わない選択、組織と決別する選択も自分にはできることを忘れちゃならない。結局、自分の人生は自己責任であり、自己選択であり、組織に責任を求めても、どうにもならないときはどうにもならないのだ。
こんなふうに自分を責められるくらいの緊張感をもって組織とつきあうことが必要なんだと、上だってそれ以上の依存心をもって寄っかかられても過負荷だろうと、そういう考えの主が、不穏な社会で社会人出航したアラフォー世代には多いと思うのだけど、どうだろう。実際の窮地でどう立ち回れるかはわかったもんじゃないけれど、とにかく頭の中では、そういう価値観でやってきた人が少なくないのではないか。
で、この本である。読んではっとさせられたのは、こうした自分たち世代の(と勝手に巻き添え…)価値観もまた、いっときの時代の価値観にすぎないんだよな、ということ。たまたま、自分たちが社会に出たときは不況におちたところで、そこで自動的に覚えた時代の価値観がこれだった。どの世代にも、「たまたま自分たちが生まれ育ち、社会に出たときがそういう時代だったから」という時代背景にさらされて身につけた価値観があって、それは他の世代からみれば「偏見」と言える。
そのことに気づいておかないと、自分のものの見方が、前の世代より「優れたもの」「健全なもの」「強いもの」と盲信してしまう。この本に描かれる価値観を、これを読むまでは「古い」にとどまらず、こちらより「劣るもの」「不健全なもの」「弱いもの」と、良い面も知らずに勝手に決めつけていなかったか。少なからずあったよなぁ、そういうところがあった、と省みる機会となった。
自分の世代の価値観は、自分の世代が生き抜くには合理的だったり、自分の世代の時代背景を考えると必然的にそこに落ち着く価値観だったりするだけで、別にそれが、過去どの時代の価値観より合理的で優れているというものじゃない。また時代が変われば、別の合理的で必然性をもった価値観が出てくる。それは、自分のもつものよりはむしろ、前の世代の価値観に近しいものに戻るかもしれない。
この職場にとどまっていい仕事をしていこうと思う自分とか、若者が長く一社に勤め続けたいとする向きとかも、反射的に低評価を下さず、慣性の法則にのっとった自然現象としてまずはおおらかに受け止めてみてもいいのではないか。自分が組織を起こす立場ともなれば、そうした人が長くチームを支えてくれるメンバーにもなる。
また、この本には「会社」というものを中心に据えた互恵的なネットワークが、実に豊かに温もりをもって描かれている。私も子どもの頃は父の会社に守られ、面倒をみてもらい、父の会社を取り巻くその時代の互恵ネットワークに支えられて大きくなったのだろうと思う。こうしたものは、今の時代にはむしろ減退している感がある。関係は希薄になり、「会社」以外にアテがあるかというと、それもこれといって発達した感じがしない。
だから前に戻そうというのも違うけど、古きものを一切排除して、新しいものに移行していくだけだと、結局は新旧の行ったり来たりになってしまう。大事なことは、新旧のよいとこどりをして、うまく融合させて新しいものを築いていけることだよなと。だから、こちらのほうが優れているで終わらせてちゃいけないのだ。
そのためには、前の世代の価値観やありよう、仕組みからも良いものを学んで、引き出して、取り込んでいくこと。そのためにはまず、互恵的なネットワークを必要とする自分のことを許すこと、その価値を認めることだよなと。
実際、それなしに生きていくのは、たいそうつらく非現実的だろう。ある程度長期的に支え合えることを前提とした、安定感ある互恵的なネットワークの中で、安心して何かにチャレンジできたり、骨を休められたりする環境は有意味なものだ。
ただ、これまでのように大企業でこそその恩恵を受けられるというのではないのがいい。巨大で固定的で独占的な「会社」ネットワークに限定せずに、血縁関係や地域性にもこだわらないかたちで、もっとゆるく、もっと意味的に、一人の人が時と場合に応じていろんな選択肢からネットワークを選べるようになるのが健全なんだろうと思う。会社よりゆるい同じ業界軸、同じ趣味嗜好、同じ課題に向き合う人たち、共鳴しあう人たちがその時々でつながって互恵的に関わっていく仕組みは、この先きっと大切なことなんだろうって思った。
四十ともなれば、それを上の人から与えてもらうのではなく、自分たちが作って若い人たちに惜しみなく与えていく番なのだろうとも思う。すでに、そうしている同世代もいる。自分たちが先輩世代、親世代にしてもらったように。親世代が、その親世代からやってもらったように。そうやって連綿と、人は時代をつなげてきたんだなぁなどと思いをはせるだけはせて、終わらないようにしなくては…。
本の筋からすると、ちょっとアサッテな感想かもしれないけど、私なりの「しんがり」の読書感想文だ。こんな偏見もちの自分に、あちら側からの視点をもたせてくれる、物語の力ってやっぱり偉大だ。
*1:清武英利「しんがり 山一證券最後の12人」(講談社+α文庫)
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会社って存在をどう捉えるか,時代時代で異なる点を知られる本ですよねー
つまるところ,林さんも書かれているとおり
「こうした自分たち世代の(と勝手に巻き添え…)価値観もまた、いっときの時代の価値観にすぎないんだよな、ということ」
「大事なことは、新旧のよいとこどりをして、うまく融合させて新しいものを築いていけること」
なんだと思います。
あとは自分ができないことを受け入れられるかどうか,それによって考え方だったり,他の状況(たとえばこのような大企業病的な状況)を否定で終わらせてしまうんじゃないかとも。
飛躍すると,今のWeb業界って,キャリアパスの構築だ,こういう大企業を作れない(つくる実力がない人のほうが多い)から,スタートアップだ,ベンチャーだ,(日本の活性化より)グローバルだみたいな考えが多いのかな,とも。以上暴言w
またじっくりお話しましょう~
投稿: 馮富久 | 2015-10-13 09:10
追伸:
先ほどFBでもシェアしましたが,この本のあとに,こちらを読んでみたのですが,会社を含めた“今”の縁,コミュニティについて考えることができ,さらに3.11で少しだけでも当事者になり,さらに少子高齢化でもっと当事者になる僕たち世代(巻き添えw)には刺さる本じゃないかと思いましたー
http://store.toyokeizai.net/books/9784492045787/
投稿: 馮富久 | 2015-10-13 09:57
「自分ができないことを受け入れられる」かどうかって、おおいに影響しますよね。自分ができないことをそのまま、非現実的とか、相手が無茶言っているというふうに受け取りがちなんだけど、自分にはできなくても、あるいは思いつかなくても、それは自分の力量不足や無知のせいってことも多いから、そういう早とちりをしないように丁寧に受け止めていきたいですね。
ご紹介の本も、自分の視野を広げてくれそう。ご紹介ありがとうございます。
投稿: hysmrk | 2015-10-13 11:50