つなぐ仕事の価値
以前に、昔を懐かしんで聖子ちゃんの曲をYouTubeで流していたら、自動再生で流れ着いたのだったか、日本テレビのトーク番組「おしゃれカンケイ」の松田聖子ゲスト回にたどり着いた。この番組、10年前に終わったようだけど、松田聖子もしっかり歳を重ねていたから、そう古いものではなさそうだった。といっても確実に10年以上前ではあるのだけど。
司会者の古舘伊知郎が聞いたのか、スタジオ観覧者からの質問を受けつけたのだったか忘れてしまったが、松田聖子に「どうやってその美貌を維持しているのか」というお決まりの質問が投げかけられた。「きれいな肌を」とか、もう少し具体的な話だったかもしれない。ちなみに資生堂1社提供の番組、後継は「おしゃれイズム」らしい。
松田聖子は「何も特別なことはしていないですよ」と、これまたお決まりの返しをして笑う。古舘伊知郎が「またまた、そんなこと言って。嘘言いなさいな」と突っ込む。「何もやってないはずないじゃないですか、こんなにお美しいのに」と、ツッコミを入れつつゲストを持ち上げる例のパターン。
そこで古館さんが「とはいえ暴飲暴食したりしてないでしょ」とか、あれこれ質問を掘り下げると、「あぁそうですね」「それもそうですね」と、「これはやっていない」ということがぼろぼろ出てくる。
それを見ていて思った。あながち嘘をついてるのでもないのかもなと。本人からすれば、特別なことなど何もしていないのかもしれない。暴飲暴食を厳禁としていても、夜9時以降は何も食べないようにしていても、甘いものや脂っこいものは控えていたとしても、頻繁にエステに行っていたとしても、1万円の基礎化粧品を使っていたとしても、それが日常のことになってしまえば、特別なことなど何一つしていない、素で思いつかないということになる。すべては「いつものあれ」「いつもどおり」なのだから。
誰かと誰かの間に入って、ある人の中に内在する情報価値を引き出すという仕事がある。司会者、編集者、研修設計の仕事もそうだ。松田聖子であるところの「実務家にして講師」を務めてくださる方の中に内在する情報価値を引き出して、ここでいう視聴者であるところの「受講者」に対して学習コンテンツを提供する。受け取る側の人にとって、何が価値になるのか、どうしたら引き出せるのか、どうしたら伝わるのか、どうしたら身につくのか。
コンテンツホルダーを相手に、コンテンツを掘り起こし、自分の客たる相手により良い形で届けようと「つなぐ」仕事に就く人の仕事ぶりに触れると、いつも広い意味で同業者としての親しみを覚える。
この裏方仕事には、それ特有の緊張感がある。この役が受け手の鼻についたり、もちろん松田聖子と視聴者の邪魔になってはいけない。気をぬくといくらでも邪魔者に堕してしまう環境下で、いかに目立たず働けるかが問われる。
一見なんの関わりもなさそうな業界にも点在するこうした「介入者」の、一見してわかりづらい地味で献身的で創造的なはたらきを見つけると、なんだかじんわりする。目立たずに働く役どころではあるのだけど、広い意味で同業のつなぎ役としては、こうした働きにできるだけ多く、深く、気づける人でありたいなと思ってしまう。その働きを讃えるのも行き過ぎの気がして、静かに見守って、親しみをもって、励まされるくらいがちょうどいいんだろうなと思ってみている。
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