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2015-10-20

答えが見えたときに問題がわかる

「答えがわかってはじめて、それがどういう問題だったのかもわかる」(*1)という「問いのパラドクス」がある。この間「頭の外で考える」の最後で中途半端に触れた、このことがどうにも気になってしまって、改めてここに書き起こしてみるのだけど、なかなか難しい。

私たちが直面する問題の多くは、問いのかたちがはっきりしておらず、「何が問題か」がもやんとしている。逆の言い方をすると、「これが問題」というネタはいくらでも挙げられる。

例えば会社の業績が悪いのを、景気のせいにもできるし、うちは斜陽産業だからとも言えるかもしれない。経営手腕のせいにもできるし、投資判断を誤ったからと断じることもできるかもしれない。社員のパフォーマンスのせいにもできるし、社員教育が不十分とか、変化を受け容れない社風のせいにもできるかもしれない。採用活動のせいにもできれば、人事評価制度のせいにもできるし、不十分な福利厚生のせいにもできるかもしれない。無理をいうクライアント、時代遅れのお客さん、足を引っ張る取引先のせいにもできるかもしれない。いろんな観点から、「これが問題」と言ってみる道筋は、論理的にいくらでも引ける。

そこで挙げられるだけ挙げて、「全部問題です、全部解決しましょう」と言っていても埒があかない。自分(自社)にはどうしようもないことだってあるわけで、それは「問題」ではなく「環境」として位置づけないと話が進まない。たとえ「これこそが真因だろう」というものが分析的に導き出されたとしても、その真因に対抗できる解決策がないなら、それはやっぱり「環境」と割りきってしまったほうが、駒を先に進められる。

じゃあ「自分でコントロールできないものは問題じゃない。環境であり、前提条件である」と切り分けて受け入れたとしよう。それでもやっぱり、問題の切り口はいろいろと想定できる。なかなか収拾がつかない。社内に限って問題探しをしても、採用活動のせいとも、社員教育のせいとも、人事評価制度のせいとも言えなくはない。こっちのほうが核心ついてそうだが、あっちのほうが手が打ちやすそうだとか、あれやこれやもやんとしたものがまとわりついてくる。今は思いついていない何かのせいかもしれないという囁きが聞こえてきて、さらに行く手をはばむ。

そんなふうにみていくと、(1)問題を特定して、(2)その問題の解決策を考えるという手順をたどるのは、あんまり現実的な道筋に思われない。それよりも、自分たちに解決策の講じようがありそうな「答え」を探り当てて、探り当てた段階で、その答えと対称性をもった「問題」をこれと逆引きするほうが、現実的な流れに思われる。

採用活動の見直しって毎年手を変え品を変えやっているけど、結局どうにも抜本的な改善になっていないし、やっぱり今いる人たちの基本的な顧客提案力をどうにかするほかないんじゃないの?とか、そういう直感のようなもので答えが決まって、決まった後に、わが社の問題は「営業社員の顧客提案力不足」とかに設定される。

別に、答えに「人事評価制度の改善」を持ってきても「組織風土の改善」を持ってきてもいいんだけど、どうもピンとこない。ピンとくるのが「人材育成」だった。あるいは、うちは人材育成が役割だから、これを答えにする。答えが決まったから、問題は「営業社員の顧客提案力不足」になる、そうだとわかる、そういうことにする。

提案書の書き手は、マッチポンプ的に「具体策→課題→問題点」の順で書き、提案するときには「問題点→課題→具体策」の順に話す。こういうアプローチがあることは、十数年前に「提案書を書く」師匠からこっそり教わっていたことなんだけど、あんまり公けに記すものでもないかなと思って静かにありがたく受け取っていた。

けど、この哲学の本を読んで思ったのだ。これって別に聞き手をだましているわけではなくて、ビジネスに限ったことじゃなくて、人間が問題解決のシナリオを書く場合、そのようにしか書き起こせないんじゃないかしらと。

師匠はそれもよくよくわかった上で教えてくれていたんだろうし、私も決してだましのテクニックとして受け止めていたわけじゃないんだけど、この本を読んで一抹の後ろめたさから解放された気がする。だからここに書いてるんだけど、とはいえ書くのにためらいがないわけじゃない。けど、私だけじゃなく多くの人が師匠からこっそり教わるのに立ち会ってきたし、ここはひっそりしたブログなのできっと大丈夫…ということにする。

もしかしたら、こうした文脈に乗らないシナリオも、それはそれであるかもしれない。その辺は出てきたら出てきたで、快く受け容れていこう。

考えるということ。問題を考えるということ。それは問題そのものを問うことだ。(*1)

*1:野矢茂樹「はじめて考えるときのように」(PHP文庫)

2015-10-19

つなぐ仕事の価値

以前に、昔を懐かしんで聖子ちゃんの曲をYouTubeで流していたら、自動再生で流れ着いたのだったか、日本テレビのトーク番組「おしゃれカンケイ」の松田聖子ゲスト回にたどり着いた。この番組、10年前に終わったようだけど、松田聖子もしっかり歳を重ねていたから、そう古いものではなさそうだった。といっても確実に10年以上前ではあるのだけど。

司会者の古舘伊知郎が聞いたのか、スタジオ観覧者からの質問を受けつけたのだったか忘れてしまったが、松田聖子に「どうやってその美貌を維持しているのか」というお決まりの質問が投げかけられた。「きれいな肌を」とか、もう少し具体的な話だったかもしれない。ちなみに資生堂1社提供の番組、後継は「おしゃれイズム」らしい。

松田聖子は「何も特別なことはしていないですよ」と、これまたお決まりの返しをして笑う。古舘伊知郎が「またまた、そんなこと言って。嘘言いなさいな」と突っ込む。「何もやってないはずないじゃないですか、こんなにお美しいのに」と、ツッコミを入れつつゲストを持ち上げる例のパターン。

そこで古館さんが「とはいえ暴飲暴食したりしてないでしょ」とか、あれこれ質問を掘り下げると、「あぁそうですね」「それもそうですね」と、「これはやっていない」ということがぼろぼろ出てくる。

それを見ていて思った。あながち嘘をついてるのでもないのかもなと。本人からすれば、特別なことなど何もしていないのかもしれない。暴飲暴食を厳禁としていても、夜9時以降は何も食べないようにしていても、甘いものや脂っこいものは控えていたとしても、頻繁にエステに行っていたとしても、1万円の基礎化粧品を使っていたとしても、それが日常のことになってしまえば、特別なことなど何一つしていない、素で思いつかないということになる。すべては「いつものあれ」「いつもどおり」なのだから。

誰かと誰かの間に入って、ある人の中に内在する情報価値を引き出すという仕事がある。司会者、編集者、研修設計の仕事もそうだ。松田聖子であるところの「実務家にして講師」を務めてくださる方の中に内在する情報価値を引き出して、ここでいう視聴者であるところの「受講者」に対して学習コンテンツを提供する。受け取る側の人にとって、何が価値になるのか、どうしたら引き出せるのか、どうしたら伝わるのか、どうしたら身につくのか。

コンテンツホルダーを相手に、コンテンツを掘り起こし、自分の客たる相手により良い形で届けようと「つなぐ」仕事に就く人の仕事ぶりに触れると、いつも広い意味で同業者としての親しみを覚える。

この裏方仕事には、それ特有の緊張感がある。この役が受け手の鼻についたり、もちろん松田聖子と視聴者の邪魔になってはいけない。気をぬくといくらでも邪魔者に堕してしまう環境下で、いかに目立たず働けるかが問われる。

一見なんの関わりもなさそうな業界にも点在するこうした「介入者」の、一見してわかりづらい地味で献身的で創造的なはたらきを見つけると、なんだかじんわりする。目立たずに働く役どころではあるのだけど、広い意味で同業のつなぎ役としては、こうした働きにできるだけ多く、深く、気づける人でありたいなと思ってしまう。その働きを讃えるのも行き過ぎの気がして、静かに見守って、親しみをもって、励まされるくらいがちょうどいいんだろうなと思ってみている。

2015-10-18

頭の外で考える

ある時期から、「問題がない」状態を自分の基点にするようになった(かなり勝手な書きようなので、このさき人に伝わるかどうかはかなり不安なのだけど…、とりあえず続ける)。

問題というのは、何か「こうしたい」とか「こうありたい」とかいう理想があって、そこと現状との間にギャップがあるから問題と認識される。理想というのは誰かが思い描くものであり、ゆえに問題も人の認識の中に生じる。どちらも人ありきの概念だ。理想がなく問題認定する人が誰もいなければ、何ごとも問題にはならない。地球がどんなに荒れ狂っても「問題だー!」という人がいなければ、事象は問題になりえないのである。

それで、いろんなことを問題視しないで「そういうものなんだ」ということにした。そうすると、基点は「問題がない」状態になる。楽だ。

誰かが怒っていても、人は怒るものだし、いずれ怒りもおさまるものだしなと決着がつく。誰かが何かを問題視していても、一つの事象が誰かにとっては問題と認識されるし、ある人にとっては問題でなかったり、むしろ望ましいことと認識されるもの。絶対的に問題であるというのは、地球規模や宇宙規模、現代にかぎらない何億年単位の視点とか、人間外の視点でみたら、何もそう特定できるものはないわけで…と決着がつく。

今の世の中は、自分には介入できないし、一切関与していなくて内情を知り得ない事柄でも、なんだか情報がやってきたというので、一面的な情報と人の憤慨エネルギーを受け取って、みずからも憤慨するとかいう事案が多すぎる気がしていて、情報の遠近感みたいなものが狂って不釣り合いな感じがある。そういうものをできるだけ遠ざけたかったというのもあると思う。

といっても私も普通の人間なので、問題がゼロになるわけじゃない。ただ個人的には、自分が問題解決に実際関われることとか、きちんとした情報を得て状況を見極められそうなもの、それに関わることを問題の当事者に直接望まれていて話を聴ける立場にあることとか、「自分に近しい問題」に時間や意識や労力を割くという話。そういう気はあるので、それほどひどい非国民性を発揮しているわけじゃない(と思いたい)。

まぁ決して立派でもないが、人それぞれ何が自分の取り扱う問題になるかは違うし、その活躍がわかりやすい人もいれば、わかりづらい人もいる。ものすごいパラダイムシフトを起こして、大変な量と質で世のためになることをできる人もいれば、さほどでもない人もいる。それは、そういうものだ。

私も相当凡人なレベルだけど、運とかやる気とか能力スペックとか個人的に抱えている問題の質量とか、いろいろな変数がからまるものなので、それなりに誠実に生きている人に、おまえの貢献度は低いと糾弾するのもなんか違う気がしている。

社会の問題のほかに、自分の身にふりかかってくるかなり個人的な問題というのもある。こちらはほとんど選択の余地がない。健康のこと、家族のこと、生きていれば問題にせざるをえない状況というのが必ず巡ってくる。

だから、そのときは迎え撃つとして、迎え撃てるだけの筋力を養い続けつつ、自分が関われる社会的な問題に関わりつつ、その他の社会的な問題に対してはむやみに関与せず「そういうものなんだ」とする傾向が強くなった。

そんなことをやっていると、どうなるかというと、どんどんいろんなことに無関心になる。無為自然に近づいている感じもして、これはこれでいいのかもなとも思うのだけど、暮らしぶりの「地味」さ加減が過剰になっていき、合ってるのかな、この方向?行き過ぎたらちょっと引き戻すバランス感覚も大事なのかもな、と思えてくるのだった。

加えて問題なのは、いろんなことを「そういうものだ」と受け入れていくと、いろんなことに無関心になっていき、問題と遭遇(認識)することも少なくなるため、ここぞというときに迎え撃つだけの筋力を鍛え続ける、日常的な筋トレの場が失われていくのだった(って言いながら、ここに「問題」が生じているが…)。

「クマのプーさん」の例でいくと、こんな感じだ。私はこれを読んで、おぉ、わかるよ、プーさん、よくわかるよーと、ものすごい共感をしてしまった。

プー「ぼく、考えたいことは、ないんです。ただ、考えたいんです。クマでもできますか?」
イーヨー「ただ考えるってのは無理じゃ。考えたいことがなければ考えなければいい。考えるクマと考えないクマとどっちが偉いということはない」

それでもプーは考えたいのだった。そこで、考えることを考えることにする。でも、頭の中であれこれ思うってのが考えることだと思うんだけど、それが苦手なんだと悩む。イーヨーはこう答える。これが素晴らしかった。

イーヨー「自分の頭で考えるというのはまちがいで、頭の外で考えたり、ひとといっしょに考えたりするのじゃ」

なるほどー。まったく私はプーさんの隣りでイーヨーのことばを聴いているような気分で感嘆した。この一節に触れている「はじめて考えるときのように」で、著者の野矢茂樹さんはこう語る。

どうも気になるのは、「自分の頭で考える」という言い方だ。よくそんな言い方を聞く。それがだいじだとか、いまの若いひとは自分の頭で考えようとしないとかも言われる。だけど、ぼくの考えでは、これはふたつの点で正しくない。

考えるということは、実は頭とか脳でやることじゃない。手で考えたり、紙の上で考えたり、冷蔵庫の中身を手にもって考えたりする。これがひとつ。

それから、自分ひとりで考えるのでもない。たとえ自分ひとりでなんとかやっているときでも、そこには多くのひとたちの声や、声にならないことばや、ことばにならない力が働いているし、じっさい、考えることにとってものすごくだいじなことが、ひととの出会いにある。これが、もうひとつ。(*1)

はぁ、なるほどなぁ、まったくその通りだ。こうした本を読みながら考えていても、それは自分ひとりの仕業じゃない。著者に語りかけられて初めて私は、考えることができている。閉塞していた自分の内側にものすごい開放感を覚える。本を読んでいろいろ思考やイメージを巡らせていると、人の内側には、外の世界と同じだけの空間が広がっているもんだなと実感する。

この本に書かれているとおり、問題って、答えがわかったときにはじめて何が問題だったかが見えてくるものだよなぁと思う。最終章まで読んで、ははぁと道が開けて、はじめて自分の内側にあった問題が把握されていく感じ。

仕事でもなんでもそうだけど、答えを見つけた後に、問題が鮮明に浮き上がってくるのがたいてい。だから、問題が何かを特定して鮮明に言語化できるまで立ち止まっているのって、頭でっかちで不毛に終わることが多い。いやはや、十数年ぶりに再読してよかった。

*1:野矢茂樹「はじめて考えるときのように」(PHP文庫)

2015-10-15

セミナー登壇時の自己紹介

最近はセミナーや勉強会などの場で、多くの人が「人前で話す」機会をもつようになりました(気がする)。その際、話し始めに定番の「自己紹介」を、自分の実績をひけらかすようで嫌だといって一切省く(とか、あえてはぐらかす感じで話す)人がいます。

もちろん、ライトニングトークなどで話す時間が短く、すぐ本題に入ったほうがいいとか、聴き手が全員知り合いなので割愛するとか、はずしてこそツカミになるとか、それが妥当な場合もあるので一概には言えませんが、自己紹介が話し手の「自己アピール」や「権威づけ」の機能しかもっていないと考えている方があれば、「聴き手にとっての働き」をプチ共有したいなと思い、ペンをとりました(実際は、朝の通勤電車でスマホをぽちぽち)。

聴き手にとって、「自己紹介」はどのように機能するのか。話すテーマは一緒でも、話し手のプロフィールによって、その話の伝わり方は大いに変わります。

「研究者」が理論とか学問的な見地から話すのか、「実務スペシャリスト」が自分より長い期間、たくさんの量をこなしてきた経験から見えてきたメソッドを語るのか、自分より大規模・長期間のプロジェクトをこなしてきた経験から「大は小を兼ねる」で汎用的に役立つエッセンスを語るのか、経験も知見も聞き手と同等の「仲間・同志」がプチ共有や問題提起がしたくて語るのか。

聞き手は導入部で、話を聴く態勢を整えながら自己紹介に耳を傾け、「話し手と自分の共通点と差異」と「今日の話のテーマ」を自分の中に位置づけていくわけです。つまり、自己紹介とは話し手と聞き手の関係づくりの時間と言えます。

例えば、私が組織の人材育成プログラムを設計する専門家として、ある組織のOJTトレーナー向けに「新人への教え方」をテーマに話をすることになったとします。そうすると、その知見から「人に教えるノウハウ」とか「仕事を教えるノウハウ」といった切り口でネタ提供はできます。一方で、現場で新人を何十年と教えてきた立場で話ができるわけではありません。

立場によって、話し手が伝えられること、聴き手に伝わることは、大きく違うわけで、こうした自分の立場をメタ的に捉えて、導入部で聴き手に共有すると、お互いが能率よく関係を構築して、本題を授受していくことができます。

なので、話すテーマに関して、「自分は何者であって、その立場からどんな話ができるか」を伝えるとともに、「自分は何者ではない、ゆえにどんな話はしない(できない)」という自己紹介をして、そこから自分が今日話すテーマの焦点や構成を説明する流れにもっていくと、聴き手も構えがとりやすいと思うのです。

「自己紹介」→「本日話すこと」という流れは、話の導入部の王道ですが、王道には王道なりの意味があって、「自分はこれこれこういう人間だから、こういうスタンスで皆さんにこの話をしますよ」という流れを汲んでいるんだなというふうに改めて解釈し直してみると、王道たる意味を十二分に活かした話ができるかなと思います。

これまで、「自己紹介は恥ずかしいし、知りたきゃ後でネットで調べるだろ」と思っていた方も、もし「話すテーマを、冒頭でよりシャープに聴き手と共有する」のに使えそうだなと思ったら、ぜひ自己紹介をその素材に使ってみてください。

ちなみに、これは割く時間の長さを問うものではありません。30秒で事足りることもあるかもしれません。

自己紹介で、何を話し、何は取り上げないかは、そこで働かせたい機能を考えてみると、その時々でいろいろフォーカスの当て方が変わってくると思います。いつも同じ自己紹介をしている方は、話す内容と聴き手の変化に応じて、中身を変えてみるとよいかも。以上、朝の走り書きを昼休みにアップ…、この間ふと思ったことのプチ共有でした。

2015-10-12

いっときの時代の価値観

「しんがり 山一證券 最後の12人」(*1)を読んだ。この本、私のようなアラフォー世代には、世代独特の読み応えがあるお話ではないかと思った。

1997年11月、四大証券の一角を占める山一證券が自主廃業を発表。当時、会社をたたむ最後の最後まで会社に踏みとどまって経営破綻の真相究明と清算業務にあたった、社内からは「場末」と呼ばれていた部署の社員らの奮闘を描いたビジネス・ノンフィクション。「しんがり」とは、負け戦のときに最後列で敵を迎え撃つ者たちのこと。

私は、このお話で奮闘する当時50代半ば世代を父親にもち、自分自身はちょうどこの騒動の頃に社会に出ている。両者の影響を肌身に感じながらここまで生きてきたことが、この本を手にとらせた背景にあるのではないか、読後にそう思った。読み応えある実話であり、ぐいぐい引き込まれる物語だった。

私は山一證券のように歴史ある巨大組織に勤めた経験がなく、これまでの勤め先は1990年代に創業した若い会社ばかり。就職したのはバブルがはじけた後で、ある種それまでの組織のあり方を反面教師に、(少なくとも表向きは)できるだけフラットであろうという職場環境でサラリーマン人生を送ってきた。

ゆえに、ここで描かれている、大手のサラリーマン然としたあり方、働きよう、価値観、人間関係には直接の馴染みがない。終身雇用、権力闘争や派閥争い、組織や上司に対する忠義心、「上に従うしかなかった」「上がそういうならしようがない」といった価値観は、どちらかというと前時代的なものとして遠ざけてきた。

バブル崩壊、就職氷河期、どんな歴史ある巨大企業も(外から見れば)あっけなく無くなるのを見せつけられるようにして社会に出たので、従来の価値観で生きていくと、あるとき足元をすくわれるのだと懐疑的だった。「組織」とは曖昧で空虚でもろい容れ物であり、「責任者」とは不完全で不確かで、清濁併せもつ人間が仕事場限定で負っている一時的な役割にすぎない、そう思っておいたほうが双方にとって健全だという感じが当初からあったように思う。

自分の仕事人生より組織寿命のほうが短命な見通しが立つ時代にあって、組織がなくなって自分が行き場を失うのを組織や上のせいにするのは責任転嫁だ。組織によりかかるも、よりかからないで生きるも、自分で選べること。また上の命令で事件の加害者になるくらいなら、責任者に従わない選択、組織と決別する選択も自分にはできることを忘れちゃならない。結局、自分の人生は自己責任であり、自己選択であり、組織に責任を求めても、どうにもならないときはどうにもならないのだ。

こんなふうに自分を責められるくらいの緊張感をもって組織とつきあうことが必要なんだと、上だってそれ以上の依存心をもって寄っかかられても過負荷だろうと、そういう考えの主が、不穏な社会で社会人出航したアラフォー世代には多いと思うのだけど、どうだろう。実際の窮地でどう立ち回れるかはわかったもんじゃないけれど、とにかく頭の中では、そういう価値観でやってきた人が少なくないのではないか。

で、この本である。読んではっとさせられたのは、こうした自分たち世代の(と勝手に巻き添え…)価値観もまた、いっときの時代の価値観にすぎないんだよな、ということ。たまたま、自分たちが社会に出たときは不況におちたところで、そこで自動的に覚えた時代の価値観がこれだった。どの世代にも、「たまたま自分たちが生まれ育ち、社会に出たときがそういう時代だったから」という時代背景にさらされて身につけた価値観があって、それは他の世代からみれば「偏見」と言える。

そのことに気づいておかないと、自分のものの見方が、前の世代より「優れたもの」「健全なもの」「強いもの」と盲信してしまう。この本に描かれる価値観を、これを読むまでは「古い」にとどまらず、こちらより「劣るもの」「不健全なもの」「弱いもの」と、良い面も知らずに勝手に決めつけていなかったか。少なからずあったよなぁ、そういうところがあった、と省みる機会となった。

自分の世代の価値観は、自分の世代が生き抜くには合理的だったり、自分の世代の時代背景を考えると必然的にそこに落ち着く価値観だったりするだけで、別にそれが、過去どの時代の価値観より合理的で優れているというものじゃない。また時代が変われば、別の合理的で必然性をもった価値観が出てくる。それは、自分のもつものよりはむしろ、前の世代の価値観に近しいものに戻るかもしれない。

この職場にとどまっていい仕事をしていこうと思う自分とか、若者が長く一社に勤め続けたいとする向きとかも、反射的に低評価を下さず、慣性の法則にのっとった自然現象としてまずはおおらかに受け止めてみてもいいのではないか。自分が組織を起こす立場ともなれば、そうした人が長くチームを支えてくれるメンバーにもなる。

また、この本には「会社」というものを中心に据えた互恵的なネットワークが、実に豊かに温もりをもって描かれている。私も子どもの頃は父の会社に守られ、面倒をみてもらい、父の会社を取り巻くその時代の互恵ネットワークに支えられて大きくなったのだろうと思う。こうしたものは、今の時代にはむしろ減退している感がある。関係は希薄になり、「会社」以外にアテがあるかというと、それもこれといって発達した感じがしない。

だから前に戻そうというのも違うけど、古きものを一切排除して、新しいものに移行していくだけだと、結局は新旧の行ったり来たりになってしまう。大事なことは、新旧のよいとこどりをして、うまく融合させて新しいものを築いていけることだよなと。だから、こちらのほうが優れているで終わらせてちゃいけないのだ。

そのためには、前の世代の価値観やありよう、仕組みからも良いものを学んで、引き出して、取り込んでいくこと。そのためにはまず、互恵的なネットワークを必要とする自分のことを許すこと、その価値を認めることだよなと。

実際、それなしに生きていくのは、たいそうつらく非現実的だろう。ある程度長期的に支え合えることを前提とした、安定感ある互恵的なネットワークの中で、安心して何かにチャレンジできたり、骨を休められたりする環境は有意味なものだ。

ただ、これまでのように大企業でこそその恩恵を受けられるというのではないのがいい。巨大で固定的で独占的な「会社」ネットワークに限定せずに、血縁関係や地域性にもこだわらないかたちで、もっとゆるく、もっと意味的に、一人の人が時と場合に応じていろんな選択肢からネットワークを選べるようになるのが健全なんだろうと思う。会社よりゆるい同じ業界軸、同じ趣味嗜好、同じ課題に向き合う人たち、共鳴しあう人たちがその時々でつながって互恵的に関わっていく仕組みは、この先きっと大切なことなんだろうって思った。

四十ともなれば、それを上の人から与えてもらうのではなく、自分たちが作って若い人たちに惜しみなく与えていく番なのだろうとも思う。すでに、そうしている同世代もいる。自分たちが先輩世代、親世代にしてもらったように。親世代が、その親世代からやってもらったように。そうやって連綿と、人は時代をつなげてきたんだなぁなどと思いをはせるだけはせて、終わらないようにしなくては…。

本の筋からすると、ちょっとアサッテな感想かもしれないけど、私なりの「しんがり」の読書感想文だ。こんな偏見もちの自分に、あちら側からの視点をもたせてくれる、物語の力ってやっぱり偉大だ。

*1:清武英利「しんがり 山一證券最後の12人」(講談社+α文庫)

2015-10-06

個人的キックオフ

今日は午前中、ATD(人材開発・組織開発をテーマに扱う世界最大の会員制組織)が主催するサミットがあった。終日それに参加予定だったのだけど、午後一番に会議が入ったので、午前中だけ参加して社に戻ることにした。で、間に古巣に立ち寄り。そんなこんなで、今日は私的に3つのイベントごとがあり、振り返ってみるとそれらが関連づいて、個人的キックオフ的な意味合いをもった1日となった。

ATD 2015 Japan Summitは、結局2セッションだけの参加となったのだけど、どちらも米国から招聘したゲストスピーカー。1つ目の基調講演はイノベーションの必要性を説く話で、人材開発にかぎらずな話。IoTとかビッグデータとかの潮流のお話あり、イノベーションの必要性は認識しているものの実際には動けていない実状データの提示あり、我々こそが動き出さねばな動機づけメッセージありな展開だった。

講演内容としては、俯瞰的に市場背景の再確認をさせてもらいつつ、講演の仕方として「王道をきちんとやると、国を越えてきちんと伝わるんだな」という、スピーカーのお手本的な話し方や伝え方に学ぶところがあった。

次の講演は、出だし「YouにとってMostしたいことは何だ?時間をとるから手元のシートに書け」というような問いかけから始まった。国を問わず人材開発系のセミナーイベントでは、参加者に問いが投げかけられ、参加者が考える時間、周囲とディスカッションする時間が与えられるのは常なのだけど、「君が何をおいても最大化したいことは何だね?」みたいな実にアメリカンな問いに、「いやぁ、特にこれといって…」となってしまい、クラスで浮いてるやる気のない生徒みたいな感じがした…。

与えられた数分間、へたな反発心をもたないで真剣に冷静に考えてみたのだけど、素直に自分の根を掘っていけばいくほど視界に無の境地が広がっていく…。大海原を前に立ち尽くすように、答えが見当たらない。何かしらと思って頭に浮かんできたのは、たぶん問いのねらいと大いにずれているが「無為自然」。これ、英語でなんて言うんだ。タオか。そうだ、そうだ。なんてやってる間に時間が打ち切られた。こういうのに全然答えが出てこない自分、を自覚するのに有用な問いだった。

いや、2つとも良い講演だったと思うんだけど、ごく個人的に受けた刺激をまっすぐ言葉に表すと、こういうことだなと。

で、そのATDサミットの会場が、90年代に4年間お世話になった古巣の会社が移転して入っているビルだったので、最近21周年をむかえたお祝いも兼ねて、おみやげをもって立ち寄ってみた。これが本日2つ目のイベント。もう自分が知っている人は数人程度なんだけど、自分と同日入社で19年間勤め続けている元同僚が運よくオフィスにいたので、受付に呼び出して久々の再会。

突然の訪問ながら、事業としてやっているスクール・大学の中を案内してくれるというので、お言葉に甘えてぐるりと2フロア見学させてもらった。歩いていると、ごく限られた知り合いとも偶然すれ違って挨拶できたり、学長である先生にもお目にかかれて、たいへんに運がよかった。先生は、この19年を貫く人材育成の仕事を私に与えてくれた人、いわば私の仕事の原点に位置する人だ。

再会した2人とは、近くごはんをご一緒することになり、思い出話ではなく、これからの話をいろいろとできそうなのも嬉しい。自分を実態以上に高く評価くださっている方なので、実際に自分に何ができるだろうかと疑問がないではないが、道なき道を自ら拓いていくよりは、こうした機会をいただいて、一つひとつ力を尽くして応えていく中で成長し、生きのびてきた人生だったりするから、しっかり向き合いたい。

そこから会社に戻り、所属する部門の下期キックオフミーティングに参加。これが本日3つ目のイベント。自分が直接関わる職務領域となると、そこで話されていることの一部にはなるのだけど、今期の計画など聴きながら自然と、半年にとどまらず、もう少し長期的な自分の今後の仕事のベクトルを探り当ててメモに起こしていく時間みたいにして使っていた。真面目に参加しているような、していないような…。

最近なんとなく思っていたのは、研修プログラムを作るにとどまらず、組織の人材開発プログラムを作るところに軸足を移していくか、あるいは軸足は変えずともそこまで領域を広げて対応していくかはしたいのかなぁということ。あと、企業の研修内製をサポートする仕事領域。

今は、グループ会社のほうで、その領域に携わらせてもらっていて、それが新しいチャレンジでとても面白い。一般のクライアントさんだとやっぱり、これまで経験を積んできた研修プログラムを作る仕事が多いんだけど、グループ会社の仕事だと、もっと領域を広げて、内部の人間的にやらせてもらえるところがある。

継続施策としてこうしたらいいんじゃないかとか、こういう手法で効果測定や分析をかけてみたら次につながる発見があるんじゃないかとか、かなり自由に提案させてもらっていて、そこの領域も快く任せてくれるので、自分なりに意味がありそうだなと思うことを、分析、企画提案、設計、開発、運営、評価と一連の流れを組みながらやれている。

まだまだ道半ばだし、まだまだ中途半端な関わりだけど、1社に深く入り込んでいって組織の枠組みで人材開発に関わるのは、やっぱり有意義だ。社内で講師を立てて、その社内講師と組みながら研修プログラムを作ったり、事務局を務める先方社員と組みながら、研修より広い枠組みで人材開発のフレームや具体的な施策を考えられるのも、すごくいい。

この経験を、いろいろと広げていけたらいいなと思う。クライアント案件にしても、外部から講師を招いたほうがいいものもあれば、企業の中にこそ講師に適任の人がいるテーマもある。ものによっては、社内講師だからこそ、その職場にフィットしたものを能率的に伝授したりファシリテートできるものもある。中の人がやるのが一番、その現場を変えるのに有効な施策として研修を落とし込みやすいってことがあるのだ。

でも社内講師の適任者は、その会社のハイパフォーマーになるから、そんなに多くを講師業務に割くわけにはいかない。実務者としては優秀だけど、講師パフォーマンスが高いわけじゃないってこともある。自分のどの部分が、他者にも転用可能で有用なエッセンスかを本人では分析・抽出しがたいこともある。あと、研修プログラムとしてどう設計だてて、教材を開発して、研修の現場を運営して、それを効果測定して評価して改善していくかみたいなところは専門外だったりする。

その辺を専門的に入って内製化支援していけたら、もう一歩専門的にサポートできるかなぁという思いはある。それにはまだまだ足りないところもあるだろうけど、今やらせてもらっているグループ会社の支援をきちんと実のあるものにしながら、自分が貢献できることの質を高めたり、領域を広げていけるといいなぁなどと、久しぶりに現実的な志しを言葉に起こしてみた。だらだらと。

しばらくの間、ずいぶんとこもりがちで来たけれど(まぁ通常通りといえばそうな気もするんだけど)、すこし動きが出てきそうな気配もあり、それもこれも自然のおもむくところに身を任せていこうと思う。基本は「個」を尊重すること、洞察力をフル回転させること、オーダーメイドで作りこむことってとこか。その辺は大事にしたい。

2015-10-04

1feedな関係

自分のブログの、ある記事の、ある部分が切り取られて、tumblrで結構な数シェアされているのに、だいぶ日が経ってから気づくことがある。この間へぇと気づいたのは、3年近く前に書いた「イヤホンすると腰が重くなる」

もうだいぶ前に書いた文章でもあるし、受け止める感覚としては、自分の「遠縁」の発した言葉が、世の中のどこかで「小波」を立てているのを「遠巻きに」みた、くらいの距離感。自分の書いた文章なのにちょっとおかしな感じもするけど、それくらい遠くに見えるほうがむしろ自然で、健全な感じもする。

自分の文章の1記事(1feed)は、それを読んだ人が、その人の思いをもって切り取って1feedを放ったと同時に、別のアイデンティティをもって、そこに立つ感じがする。その1feedは、その人が道端で、ある石ころを気にとめて拾い上げたところから物語が始まる。その石ころがどこからやってきて、誰がそこに置いたかは、さして問題じゃない。

その人がどんな意思をもって石ころを拾い上げ、その人をfollowする人たちにそれがどう伝わるか。物語は常に引き継がれ、意味は移り変わる。文章は常に読み手を替え、読み手を主人公とする。少なくともアマチュアが、自分の書いた文章の行方をおうときは、そんなふうに開放的に捉えておいたほうがバランスがとれるように思う。

私のブログは、友人・知人が様子見がてら読んでくれる一般人ブログだけど、最近は検索エンジンの発達で、なんらかの関心事を検索ワードに訪れる一見さんも少なくない。「メディオーラ」って歯ブラシのことを知りたくてやってくる、「夏季休暇と夏期休暇」の違いを知りたくてやってくる、「余命宣告」や「目の手術」で検索してやってくる人がいる。そこを読んで、それぞれが直面する人生に帰っていく。多くは、1feedな関係で終わっていく。そうした関わり方が、一般人対一般人の"袖触れ合う"程度の文章交流にはちょうどよい感じがする。

読み手が、文章の中になんらか意味を見出したなら、それは読み手の力であって、書き手の力ではない。そこを、書き手の力と読み間違うと、書き手は健全なバランスを保ちにくい気がする。読み手は読み手の知識や経験に関連づけて、自分の思いや考えと重ね合わせて、自分の信念や価値観と絡ませながら、それを読む。その過程で、読み手の中に何かが見出されたなら、それは読み手によるものなのだ。

書き手のもたぬ知識や経験によって、読み手はいくらでも、その文章に意味を与えられる。それがどのように花開くのか、書き手である自分にはコントロールできないし、着地点は常に書き手の想定内に収まらない。自分が書き手として文章とつきあうときには、そういう捉え方が健全で気持ちよさそうだなと思う。

一方、読み手の立場に立ったときも、それはそれで人の文章との向き合い方に注意を払いたい。書き手の想定外に、その文章に意味づけしたり解釈を与えたりを、無自覚にしてしまうことがある。むしろ100%書き手の書いたままを受け取ることなど、ほとんどありえないくらいに思っておいたほうが、人の書いた文章に健全に向き合えるのだと思う。書き手が想定している前提知識がない状態で読んでいれば、意味を取り逃してしまう。書き手のことをよく知らなければ、それによって誤解してしまうこともある。自分のコンプレックスを刺激する内容だった場合、自分でも気づかずに何かを避けて偏った読み方をしてしまう恐れもあるのだ。

書き手がいかに優秀でも人格者でも、自分が浅はかだと、書き手を浅はかなものとしか受け止められない。ものの読み方というのは、書き手以上に、読み手たる自分自身をせきららに映し出す鏡だと思う。その文章が汚く見えるなら、書き手の汚さを疑う前に、自分の汚さを疑ってみるくらいがちょうどいいかもしれない。人の文章を読むときには、なんにせよ自分の解釈が介在していることを十分にわきまえて文章を読み解き、また自分を読み解く機会にもできたらいい。

右前(みぎまえ)

浴衣を着ている人をみると、無意識に「右前」になっているかなと確かめていることがある。これは私もごく最近までこんがらがっていたからで、うんちくを知って、この難を逃れた。

着物の前合わせは男女とも「右前」。この「前」とは、人から見たときに前なのではなくて、自分から見て前ということだから、体に触れるほうが右になる。現代用語でいうと「右が先」とか「手前が右」とか覚えておいたほうが、こんがらがらないかもしれない。誤って逆にすると、仏式の葬儀で亡くなった方を左前とすることから縁起が悪いとされている。

「着物は右前」の起源をたどると、奈良時代(719年)に出された「衣服令(えぶくりょう)」にたどり着く。この法令に、庶民は右前に着なさいという記載があるのだとか。中国の思想では右より左のほうが上位を表し、位の高い人にだけ左前が許されていたところから来ているらしい。それにならって、聖徳太子がこれを日本でも普及させたという説があるとか。

労働するにも左前は合理的でなく、庶民は右前のほうが動きやすかったこともあって、この習わしは馴染んだ。右利きだと、右が先に入っていてくれたほうが、右手で胸元のものの出し入れもしやすいが、これは左利きの合理性に反するからなんとも。(*1)

「着物は右前」だけ覚えようとするとおぼつかないのに、うんちくに手を広げて知ると、情報量は増えるのに長く定着する知識として記憶に残るというのは、なかなか面白いことだ。うんちくが接着剤のように効いて、忘れなくなる。急がば回れということか。

それにしても、自分の側を「前」というのは、なかなか趣きがある。欧米人の感覚だと「左前」というのが自然ではないか。実際このマナーを記すものには、「右前」というのは「自分の側からみて右が前」とか「右が手前ということ」などと、必ず強調して注意書きがある。それなしには必ずや誤解が生じるだろうと書き手が危惧しているからで、これは現代日本が欧米化した所以ではないかと勝手に憶測している。

それで思い出したのが、西洋哲学と東洋哲学の起こりについて違いを述べた一節。って、まったく関係ないかもしれないが…。

西洋の場合、最初の哲学として「世界の根源とは何か」「絶対的に正しいことは何か」といったことを考えた。すなわち、西洋は「人間の外側」にある「何か」について考えたのだと言える。 しかし、東洋の場合は、それとはまったく異なり、東洋の哲学者たちはみな、「自己」という「人間の内側」にある「何か」について考えた。そう、東洋と西洋は「関心のベクトル(方向性)」がちょうど逆だったのである。(*2)

うん、まぁ、きっと関係しないんだけど、思い出すのは自由だ。これを読んだとき、ぐっと東洋哲学に惹きつけられたのだった。自分の東洋人性を実感したのも、これを読んだとき。

*1:参考)早坂伊織「左前(ひだりまえ)とは?│男のきもの大全」
*2:飲茶「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(マガジン・マガジン)

2015-10-01

攻撃力の高い料理

ひさしぶりに寝床で蕁麻疹が出て、深夜に起こされた。そうだった、そうだった。日中に攻撃力が高い料理を食すと、こういう症状が出るんだったと思い出した。昨日お昼どきに会社の人の送別会があって、コースでカレー系あれこれを食べたのだけど、おそらくはその表れだろう。

普段の食事だと、できるだけ一気に量を食べない、カレーやラーメン・パスタなどの攻撃力の高い料理は避けるなど自然としているのだけど、無意識の選択になりすぎてしまって、時折こうした会で普段食べないものを何気なく口にすると(それでも少量に抑えたのだが)、晩に体が訴えを起こすことがある。

深夜に起こされたついでに、4年ほど前とある漢方の先生に体をみてもらったときの記録を読みなおしてみた。胃腸が弱く、消化能力が低いことが指摘されていた。体温より低いものは体が受けつけないのであったかいものか常温のものを食べたほうがいいとか、油もの、お肉、欧米ものは避けたほうがいいとか言われていた。

そういえば、低血圧、貧血、冷え性とも言われていた。腕を横にのばしたり上にあげた状態だと脈が打たないのでカウントできないらしく、脈を計りながら「あなたは水泳していることでかろうじて健康でいられていますね」と言われていたのだった。

すっかり忘れていて、最近では人に「貧血もち?」とか聞かれても、「いえいえ違います」と普通に答えていた。勝手に都合の悪い記憶が消されていたらしい。こわい…。

さらに昔にさかのぼるのだけど、最初に蕁麻疹が出たのは24の頃のことだ。4年間仕事をした会社から表に出て、次の会社で働き始めてすぐの頃、私は自分が新しい会社でぜんっぜん使いものにならないことを目の当たりにして、おそらくはそのショックで毎晩、蕁麻疹を背中におっていた。

睡眠がとれないのでクリニックに行ってみてもらうと、まぁ仕事のストレスでしょうな、というので、薬を出してもらい、日によっては大嫌いな注射を打ってもらって抑えた。あんまり怯えるので、その歳にして看護師さんが私の頭をなで、手をさすってくれた記憶がよみがえる…。

最初は原因に見当がつかなかったけれど、しばらく様子をみているうち、自分は前の会社である程度いろんなことを器用にやれる人として、どこに行ってもあなたなら大丈夫よ!なんて買いかぶられて出てきたけれど、全然そんなことはなくて、基本的な仕事能力がまったく身についていないのだという現実を直視できるようになった。

そこから、今の会社でコツコツ基盤づくりをしていこうってスタンスで意識を立て直し、気分的にはそれで問題なくなったのだけど、体はすぐには調子を取り戻せないようで、蕁麻疹が薬なしで一切出ないようになるまでには半年ほどかかった。

あれ以来、蕁麻疹が常態化することはなく、自分を買いかぶることもなくなったので、今にして思えば若い時分にあれを経験しておけて良かったなと思うのだけど、食べ物による高刺激などは相変わらず注意が必要だ。

その一件で体内にそういう動線が敷かれたのか、体が私に対して「おいおーい」と何か訴えたいときには、蕁麻疹という表れをすることがある、という解釈をしている。

当時医者に言われていたのが、刺激が強いカレーやパスタ、辛いものなんかは避けなさいという指導。以来、蕁麻疹が落ち着いてからも極力避けてはきていたのだけど、ほとんど無意識になっていたので、蕁麻疹が出ないようにという理由を忘れていた…。

無意識にやるようになってしまったことって、そもそもの理由を忘れてしまっていたりするので注意せねば。これってそもそも何のためにやってるんだっけ?という問いは、仕事ではよくするのだけど、生活面でも大事ですな。

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