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2015-07-10

壮年モラトリアム

クライアント案件の集中していた時期が一段落して、ここ数週間は言ってみれば壮年モラトリアム期のようであった。言ってみればって、全然うまく言えてないか。モラトリアムって自分語で初めて使うから、よくわかっていないが…。なんとなくぼやーんと、常識的な境界線が融けた世界を眺めているような時期が、気まぐれに巡ってくる。といったって別に怪しいレベルのものじゃない。仕事が一段落した後のぽっかりした時期なんかに都合よく、しかも仕事時間外の一人のときを選んでやってくるのだ。なんて慎ましい壮年モラトリアム。

ぼやーんと過ごすというのは、普段から暇さえあればやっているのだけど、通常のちょっと上いく時期がたまにやってくる。最近「ソフィーの世界」を再読し始めたのが、それに拍車をかけたのかもしれないし、そういう時期が巡ってきたから「ソフィーの世界」を手にしたのかもしれない。

「ソフィーの世界」は、物語を楽しみながら紀元前600年の自然哲学の起こりから現代までの哲学史をざっくり学べる哲学入門的な書物。ざっくりといっても650ページほどの大作で、90年代に手に入れたときは200〜300ページくらい読んだところでストップしてしまった。初めて通読したのは、確か2011年の壮年モラトリアム期。これが、だいぶ自分の世界の見方を細やかにもしてくれたし、自分の世界との関わり方をゆるやかにもしてくれた。それで今回の2015年壮年モラトリアム期にも、なんとなく手にしたのだろう。今回はKindleで読んでいるので(すこし味気ないけど)持ち運びも読むのも身軽で楽だ。

私の嗜好的に、地球誕生からの46億年をたどっていくのは疲れてしまうのだけど、人が「なぜ?」の答えを神話の外に見出し始めた自然哲学の起こりから2600年あまりをたどっていく旅は楽しい。やっぱり人への関心が強いっぽい。そこからをものさしにして、今とか自分とか人間とか生き死にとか善悪とか良心とか真理とか理性とか価値観とか因果律とか主義主張の歴史とか地球とか自然とか宗教とか科学とかをざっくりとらえてみるというのが、なかなか好いのだ。といって、あんまり深く一つひとつを探求していこうという熱心さにも欠ける私のような人間にとって「ソフィーの世界」は実にちょうどいい按配の物語である。

そうしてしばらく壮年モラトリアム期をふらふらしていると、常人の私はそろそろここを出て行かないと…という気になってくる。実務書なんかに手を伸ばして、そろそろ人様の役に立つところに帰らないと、と。この自分の凡人さをわきまえたところには、好ましさを覚えないでもない。実務書の読み方に変化があるのを喜ぶのも、身の丈にあった幸せを味わう潔さがよいではないか。

などと調子のよいことを書きつつも、モラトリアムからこちらに戻ろうかというちょうど今時分は、周囲の人の優秀さと、自分のなんでもなさのギャップが身にしみてひりひりする。しかしまぁ、そんなことをとやかく言っても自分は自分なので仕方ない。ともかく自分のできること、いただける機会を大事にしてこつこつ頑張るほかない。私の人生は、同時代を生きて縁あった人たち、このごく限られた人たちにどう関われるか、求めに応じた役割を果たせるか、だけなのだ。

全然関係ないけど、こうしたふわふわした時期に昼間ラジオかけたまま寝てしまうと、目が覚めたときに頭はラジオの声をしっかり聞けているのに、体が起きてくれないでもがくという事態にあう。よいしょ、えいっ、やぁと頭でやっても、なかなか体が抜け出せなくて大変だ。やっぱり目が覚めるときは無音か、アラームか鳥のさえずりくらいがちょうどいい。寝言いっている人に話しかけちゃダメだとはよく言うけれど、あの抜けだせなさを思い返すと、ほんとそうだなぁと思う。本当に関係ない話で終わるけど。

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