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2015-07-16

はせるとふける

一歩プライベートな会話に踏み込むときに、「休日は何をしているんですか?」という展開はよくある。この間久しぶりに、この質問を受けた。

自分の休日の過ごし方に思いめぐらし、一つ二つと思いつくところから挙げてみた。本を読んでいるか、人と会っておしゃべりしているか、文章を書いているか。3つ目で止まった…。あまりに短い。バラエティに乏しく、どれも地味である。

あと加えるとしたら、なんだろう。後日、改めて考えてみる。泳いでいる時間、ラジオを聴いている時間は加えられるか。さらに地味になった感もあるが、これで5つ。

これ以外で、食事とか睡眠、掃除や洗濯あたりははずすとして、あと何かあるだろうか。もう、すべて言い切った!というすがすがしさを覚えなくもないが…。これくらいの数にとどまっているほうが性に合っていて無理がない気もする。

もう一つ挙げるとしたら、浮世離れしたことを脳内に浮かべている時間か。って書くと、いかにも怪しい言い回しだが、長時間やっているわけじゃないから怪しくない!とはいえ、なかなか誤解を生みやすい表現なので、これをうまいこと言おうとしたら「思索に耽る」って言葉を思いついた。

けれど、改めてこの言葉の意味を調べてみると、まったく及ばなかった。「思索」は筋道を立てて深く考えること。「耽る」は熱中するとか、一つのことに心を奪われること。ぼーっとするのとはわけが違うのだった。

「思索に耽る」ことが、そんなに気合いの入った本気モードの取り組みだったとは、恥ずかしながら初めて知った。「しさくにふける」って音の感じからすると、もう少し宛てもなくぼーっとした雰囲気を漂わせるが、思いのほか気骨のあるやつなのだ。

では、私の余暇のこれは一言で言うと何なのだろう。最近で言えば「雨粒も、海に落ちれば海になる」という情景が、気まぐれに私の脳内を占拠するのだけど、これは思索に耽っているとは言えない。雨粒が海に落ちて海になる情景を思い浮かべて、そのままなんとなく、これはまたいい視点ですなぁと味わっているだけだ。

思索して考えを深めるのでもなければ、検索して何かを調べ出すのでもない。なんとなしにその情景を頭のなかに映したままにして、つかの間の思考停止を愉しむ。別段どこに辿り着けるわけでもないし、誰かに何かを説けるようになるわけでもない。けれど、こうした時間の心持ちはなかなか豊かである。

思いを馳せる(おもいをはせる)っていうのは、どうだろう。思索に耽るに(音が)似て怪しくなさそう。それでいて、そんなに気合いの入った筋道とかなくても大丈夫そうである。では「休日は何を?」「思いを馳せています」って、この問いにのせると怪しさ満点すぎるか…。

いずれは、また何らかの変化に直面し、この遠浅の海を散歩するような休日もずっとは続かない。それはわかっている。人間に永遠はない。そのときまで今しばらくは、と、貴重な今を味わっている。いやはや、ここまでなんでもない話を長文書き連ねられるのも、逆にすごいんじゃないか。人の注意をひかず、ロボットの検索性低そうなタイトルをつけて話を終える。

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