熱中症のおじいさんに遭遇
くもり空の一日、梅雨どきの蒸した空気が身をつつむ昼下がり、街中を歩いていると、少し苦しそうな表情のおじいさんが向こうからやってきた。キャスター付きのバッグを押しながら、それにもたれかかるようにゆっくり歩いていたけれど、ついには歩道の端の柱に手をついて足を止めてしまった。動きがゆっくりなので立ち止まっても目立たないのだが、息があがっているようにも見えたので、近づいて「大丈夫ですか」と声をかける。
おじいさんは「あともう少しなんだけどね。なんだかものすごく歩くのに時間がかかってしまって」と、ゆっくり、しかし思いのほかしっかりした声量で応じる。短い距離を2時間近くかけて歩いていると言う。後から聞いた話を総合すると、2時間かけて200mくらいの距離を歩いてきたもよう。私も具合が悪くて50mを10分くらいかけて休み休み家に引き返したノロ体験があり、そのときの途方のなさを思い出した。
おじいさんは、腰かけられるキャスター付きバッグに腰をおろし、休憩をとり始めた。「こうして休み休み行けば家もすぐそこだし、なんとか」ということらしいが、そうであるような気もするし、とはいえ…という気もする。でも、ただここにこうしていても、私はあまり役に立ちそうにない。それで、おじいさんも大丈夫というので、一旦「じゃあ、お気をつけて」と歩き出した。
しかし、「大丈夫ですか」と訊くのはきっかけ作りとしてはいいのだけど、実際「大丈夫かどうか」を判定する問いとしては機能していないのだ。私には、その答えを真に受けて「大丈夫認定」してその場を去り、そんなのただの自己満足じゃないかと後から後悔した苦い経験があった。前と同じ失敗は、いやである。
なので、ゆっくり前に進みながらも何度か振り返り、腰かけて休んでいるおじいさんの様子をうかがった。やっぱり早々立ち上がって残りの距離を移動できる感じでもなさそうだ。私は近くの自販機を探して、水を買っておじいさんのもとに戻った。
「お水を買ってきたんですけど、飲まれますか」と声をかけると、おじいさんはペットボトルの水を見て、ぱっと明るい表情になった。フタをあけて渡すと、おじいさんは1回、2回とゆっくり水を飲んで、ほっとした表情を見せた。「いやぁ、少し脱水症状を起こしていたようだったので、助かりました。ずいぶんと元気を取り戻した」と言う。当たった。ほっとした。
お財布を取り出して「お代を…」と気をまわすので、いいですいいですと断って、しばらくおしゃべりをする。おじいさん、お年は91歳という。息子さんが寝たきりで、お嫁さんもそれにかかりきり。ちょっとそこまで買い物に出たら、短い移動に思いのほか時間がかかってしまった。その途中で、軽い熱中症にかかったのだろう。
病院に行くかどうかも一応は訊いてみたけれど、「保険は80歳までだし、病院に行くともう出てこられなくなる」と笑う。まぁ私も、病院行くより断然、もう目前のおうちに帰ってゴロンとしたいと思う。意識もしっかりしているし、家に帰ってゆっくり休めば大丈夫そうに見える(素人の見立てだが)。
それで病院話は早々に切り上げるも、水を飲んだからといって、あとはもう大丈夫という感じでもなさそうだ。「もしよろしかったら、おうちまでご一緒しましょうか」と言ってみる。「いやぁ、ご迷惑をかけてしまうので」と恐縮する様子から、そうしてくれれば助かるが…というニュアンスが読み取れたので、「まったくそんなことないですよ、時間もたっぷりあるので」と言って、家の前まで付き添うことにする。
やはり、付き添って良かった。再び立ち上がってゆっくり歩き出すものの、10mも歩くと息が苦しそうになった。バッグに身を委ねるかっこうで前かがみになって息を整えだすので、「少し休みましょう」と声をかけて、座っては水を飲んで。
おじいさんは「すみませんねぇ、ご迷惑おかけして」と言うが、心中察するに、付き添いがある状態で帰れるのは心強いようだ(勝手な解釈だが)。私は「いいえ、時間はたっぷりあるので」と再び返し、「こういうときの水には本当に救われますねぇ」と、できるだけおじいさんが相槌だけうって済ませられる話題を探し、軽い言葉をかけて笑うと、また黙った。
何度か休憩を入れて50mほど移動し、脇道に入ったところで、表で近所の人と話していたお嫁さんに遭遇。強そうだった…。私は手短に事情を話してお嫁さんにペットボトルを引き渡すと、ではこちらで…と挨拶して失礼した。
この数十分の経験で思ったことの一つは、よたっとしているおじいちゃんおばあちゃんを見かけたら、ほんと声かけたほうがいいということ。話しかけてみると、遠くから見ているときより弱っていることがわかるし、一緒に歩いてみると、話しているときの見立てより弱っていることがわかる。
もう一つは、言葉かけもいいけれど、やっぱりその先の具体策を講じられるかが大事だよなということ。心を寄せて、頭を使い、体を動かして、有効な具体策を講じる。そこまでやって、ほんとに実のある優しさなんだ。
熱中症とは関係ないけど、以前に言葉はかけたものの中途半端な状態でその場を後にしてしまったことがあり、自分のことを情けなく思っていたので、今回は「水を買って渡す」「家まで付き添う」までできて良かった。なんか小学生みたいなまとめだが…、単純な結論は大事だ。
街中の自分のちょっとした働きで、それが大ごとにならず、ほっこりいい話で済む事案はけっこうあるんだと思う。ちょっと水買って付き添うだけで、警察や病院沙汰にならず、「いやぁ、お水まで用意してくれて、いい娘さんじゃったー」という夕飯ネタに終わるなら、そういう働きこそ一市民の私ができることだよなと思った。
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