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2015-06-12

複雑化する世界で

私が家にテレビを置かないのは昔テレビっ子だったからだ。一人暮らしを始めるとき、せまい家にテレビを置いたら節度をもって付き合える自信がなくて止めたのだ(今でも自信なくて持つ気になれない)。なので子どもの頃は、ずいぶんとテレビを観ていた。当時はまさにテレビ全盛期でもあった。

夜が強くなかったので、深夜番組はあまり観ていなかったけど(中高生になっても23時台の「ねるとん紅鯨団」や「夢で逢えたら」まで起きていられなかった…)、19時から22時くらいまでのバラエティ番組、歌番組、トレンディドラマは、だいたい押さえていたのではないか。トレンディドラマは、その起こりから下火になるまで?を、一部始終観ていたと言えるかもしれない。

それで思い出すのが、三上博史の変遷である。ウィキペディアによれば、俳優の三上博史は「トレンディドラマのエース」と呼ばれていたらしい。1988年「君の瞳をタイホする!」「君が嘘をついた」、1990年「世界で一番君が好き!」あたりは、ひと通り観ていた記憶がある。

この三上博史が君!君!していた時代は、まさしくトレンディドラマ全盛で、今思えばキャラクターもストーリーも一様だった気がするんだけど、それでも「月九」(月曜21時)は本当に毎クール、皆ドラマを観ていたものだった。登場人物はどのドラマも東京在住のオシャレさんなのであり、なんだかいいマンションに住んでいるのであり、お話は途中じれったいのであり、最後はハッピーエンドなのだ。それで良かったのだ。

しかし、何回も同じようなのをやっていると、変わらなきゃと思い始めるのが人の常である。人間は飽きるのだから仕方ない。人間は創造的なのだから仕方ない。バブルもはじけたのだし仕方ない。さんざんトレンディドラマが放送された後、ある時期からドラマの登場人物は必ずしもオシャレではなくなり、最後はハッピーエンドでなくなり、スパスパもの言う主人公も出てきて、お話は一様ではなくなった。予想がつかなくなった。単純さを脱して、複雑化を目指した。

度肝を抜かれたのは1992年の「あなただけ見えない」で、トレンディ俳優の三上博史が、明美(あけみ)という女性人格をもつ三重人格者を狂ったように演じた。それも「月九」で放送されたのだった。個人的な体験としては、あれが複雑化時代の到来を象徴する出来事にすら思える。

あれを大人になってから思い出して考えたのは、自分は「君の瞳をタイホする!」から観られたから良かったけど、物心ついてなんとなく見始めたドラマの最初が「あなただけ見えない」世代の人もいるはずで、いきなり複雑化したドラマを見ることになるってのはどんなもんかなぁということだった。

ドラマに限らず、いろんなものにはまず事の起こりがあって、しばらくは試行錯誤があったりして、次第に定番というのができてきて、それに倣う「守」の時代が流れて…。しかし一時代を終えると人は飽きてきて、それを「破」りたくなり、そこを「離」れたくなる。それが人の常である。

いろんな事が起こっては紆余曲折をへて型を成し、単純だったものが複雑化していく。関係は直接的なものから間接的なものになっていき、学ぶべき概念は具象的なものから抽象的なものになっていく。それが自然の成り行きというものなんだろう。

それはたぶん、どう制御するものでもないのだと思う。食い止めようとか、阻止しようという類のものではなさそうだ。誰もが、何かの「守」の時代に生まれ、同時に何かの「破」の時代、何かにおいては「離」の時代に生まれて、そこをスタート地点に生きていく。何もかも始まっていないところに生まれてくる人はいない。

だから、人は歴史から多くを学ぶんだろう。人が何かを学び取っていくプロセスという観点でみると、やっぱり単純→複雑、直接→間接、具象→抽象という順をおって扱うほうが、基礎から応用へとしっかりしたものが身につくことが少なくないんじゃないかという仮説が私の中にある。逆をたどる演繹的アプローチでは、学習を効率化しているように見えて、実際は獲得できた気になっているだけで、能力を「砂上の楼閣」化してしまうリスクをはらんでいるようにも思えるのだ。

もちろん、それは学ぶテーマやタイプにもよるし、学習する人間の力量や、テーマとの相性や適性などなど、いろんなものの変数があって一概には言えないことだ。私は、この「一概には言えない」ということを何より大事にして学習設計に関わっていけたらと思っている。

なんでもかんでも実体験を通して学ばないと身にならないと盲信するのでもなく、その都度その都度、今回の対象者、目的やゴール、実施条件で何が能率的なやり方だろうかと、先入観をもたずに案件ごとの最適解を選んでいくこと。それが、今の時代に生きて学習設計を生業にする実務者の務めかなと思う。

何の話をしているんだか…という感じでそろそろ終えようかと思うのだけど、おとぎ話とか童話とか、昔から長く長く語り継がれる物語に触れることが、より大事になっている気もした。それは音楽にも、言えるかもしれない。

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