母とタバコと
私は一度もタバコを吸ったことがない。私が子どもの頃は、「もてあました口に大人はタバコ、子どもはガム」くらいの勢いでタバコはごく身近な存在だったから、私の世代以上だと習慣化はせずとも興味本位で一度は口にくわえたことがある人が大勢いると思うんだけど、私にはその経験もない。
別段お嬢様だったわけではなく、縁遠い存在だったというよりは、むしろ身近にありすぎた。物心ついたときから父が吸っていて、うちの隣の家に設置されている自販機に、缶ジュース感覚でタバコを買いに行かされていた(そういうことに目くじら立てる時代でもなかった)。タバコは父も愛用する「大人の嗜好品」の一つであり、私にとってはそれ以上でも以下でもなかった。
中学に入ると、先輩や同級生がタバコを吸っているのを目にすることもままあったけれど(いわゆる田舎の公立中学とはそういうもの、たぶん)、それも不良というのは大人の嗜好品をくわえたくなるものなのだなぁと、肯定するでもなく否定するでもなく人類のありようとしてぼんやり眺めていた。
ただ自分が吸うのはないなと。「あれは一度覚えると止められなくなるらしい。でも健康を害するのでしょ。だったら最初から覚えなきゃ一番楽ちんじゃないの」というので、この事案は私のなかで1秒かからず一件落着していた。好奇心が不足しているというのか淡白というのか、いいも悪いもなくもともとそういうタチだったのだ。
そんな中学時代のある日。夕方に学校から帰ってきて2階の自分の部屋に向かうところで、私は一瞬立ち止まり、息を呑んだ。階段を昇りきったところで、親の部屋の扉が少しだけ開いていたのでちらと目をやると、薄暗い部屋の中、電気もつけず音もたてずに母が立っていて、左手の指の先からタバコの煙をくゆらせていたのだ。
母とタバコはどうにも結びつかず、一瞬ぎょっとした。ぎょっとしたけれど、それ以上に、その光景の静けさ、暗がり、疲憊の象徴としてのタバコに、私は釘づけにされたのだと思う。何かがあったのだ。そう察して、私は静かにその場を後にし、自分の部屋に身をひそめた。
その頃は父方の祖父が京都からやってきて、しばらくうちに滞在しているときで、後で話を聴いたところによれば、その日の日中に大雨の中、祖父がステテコ姿かなにかで表に飛び出していって、長いことあれやこれや叫び続ける一波乱があったらしい。たぶん祖父は祖父で、京都でストレスを抱えてこちらにやってきていたのだろう。そのとき父は会社、子どもたちは皆学校で、家には母しかいなかった。おのずから母は一人で表に出ていって、一緒に雨に打たれてずぶぬれになり、どうにか祖父を説得して家の中に戻して気を落ち着かせるまでを一手に引き受けた。
その事件が一段落し、ようやく部屋でひとりになった母の背中を、私はどうやら見たらしかった。その後ろ姿を見たことは、生前母に言ったことはなかったと思うけれど。母は、若い頃はタバコを吸っていたようで、子どもができてからはずっと止めていたみたいだ。子どもたちが大人になると再び吸うようになり、結局晩年病気が発覚するまでずっと吸っていた。
考えてみると、あの時代の女性で若い頃からタバコを吸っていて、車の運転免許も10代でとってずっと乗り回していて、若い頃の写真にはミニスカート姿も多く、化粧もしっかりしていて、装飾品もあれこれ持っていてよく身につけていて、なんか地味路線まっしぐらな自分とはけっこう違うところがたくさんあったんだよなぁと今さら確認。
それはそれとして、とにかくタバコの煙をくゆらせていたシーンは、静かながら確かな衝撃力をもち、ひとつの大事な発見を私に与えた。私はこの時に、「あぁこの人も一人の女性として生きているのだ、私の親というだけでなく一人の人間として生きているのだ」と、はっきり認識したのだ。私はその瞬間から母を、自分の親ではない面ももって生きている一人の女性、一人の人間としても見るようになった。つきあうようになった。愛するようになった。
今日は、亡き母の誕生日だ。あなたはきっと「生きていたら何歳だね」と言われるのを嫌うだろう。「私はもうずっと歳を取らないのよ」と言って微笑むだろう。だから計算するのはやめておきます。いつまでも美しく、いつまでも温かく。お誕生日に感謝をこめて、ありがとう。
*あれ…と思って調べてみたら、ほとんど同じことを(別の角度から)書いた昔のエントリーがあった。まぁいいか。既視感があった方は、その感覚、正解です。
« (泳ぐことの)価値のありか | トップページ | 30代最後の一年 »
コメント