死別から四年
母が他界して丸四年が過ぎた。今日は祝日、父と兄一家を誘ってお墓参りに行ってきた。ここ数日の寒波が少しだけ和らぎ、空は晴れわたっていた。甥っ子たちと一緒にお墓をきれいにして、お花をそなえて、お線香をあげて、手を合わせた。
一周忌、三回忌を経て、昨年は初めて周忌も回忌もつかない「命日」を経験した。今年はそんな命日も二回目で、丸四年かぁと穏やかな気持ちでお墓に向き合う。
今読んでいる小説の中に、
会えない人と死んだ人と、全然違うとしたら、どこに決定的な違いがあるのか。*
というのがあるんだけど、こんな問いに片足つっこみながら一人電車に揺られていると、常識的なものの見方の境界がどんどん曖昧になってゆく(気は確か)。
余命宣告から亡くなるまでのひと月半は、あぁ亡くなったらもう二度と会えなくなっちゃうんだというのでたいそう困惑した。亡くなってからしばらくは、もう二度と会えないのかとひどく悲しんだ。昨年あたりは、もう長いこと母と会っていないなぁと、ぼんやりそんなふうに考えたりもした。
今はなんとなく、私の中のどこでもないどこかに、形なく有るという感覚が近いかもしれない。彼女に対して何を問うでもなく、何をお願いするでもなく。なんとなく、母を感じながら日常を生きている。
時が経つにつれ、私の内側の世界では、母という人間が「在る」という存在感より、母という概念が「有る」という所有感のほうが強まっているのかもしれない。もちろん、そんな簡単に言い切れることじゃないんだけど。まぁなんとなく。
*柴崎友香「わたしがいなかった街で」(新潮文庫)
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