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2015-01-03

本人に言う

考えごとは一人ですることが多いけど、人に相談を持ちかけるときは本人に言うことが多い。自分のことはだいたい自分で決めてしまうので、自分一人で結論を出せないことは、だいたい人が絡んでいる。その場合、その絡んでいる当人に意見を聴くのが一番効率が良いように思う。

相談は本人に言うメリット。現実的に望ましい答えは、関わる人や組織、乗っかっている文脈によって変わることが大いにありうるから、他所で相談するより当事者と話し合ったほうが回り道せず納得解にたどり着きやすい。

あとは、自分の中だけで閉じ込めておくのが重たい話も、当事者内で口にして開放できれば他所でこぼす心配も減って自分も相手も安心だとか。ケースによっては、脱文脈化した情報だけがネット上に拡散して、見知らぬ人から過激な攻撃を受け、疲弊する事態も避けられるかもしれないとか。

もちろん当事者内にとどめず、第三者に相談を求めるべきとき、意見を求めたほうが有意義なときもたくさんある。けれど、仕事なら直接クライアントに相談してみるとか、人づきあいなら直接その当人に意見を求めるなどして、それを受けて改めて自分で考えてみて答えを模索する(これは大前提)。この率直な二者間のコミュニケーションを前提にして、第三者を巻き込むにしても基本は当事者飛ばしをしないのが、無駄に話がややこしくならず、好みのアプローチだ。

以前、「言うか言わないか」という話をここに書いたのだけど、それとあわせて「誰に言うか、誰に言わないか」ということも大事な選択だと思う。何かを伝えるときのコミュニケーション手段を盲目的に決めてしまうと、誰かにだけそっと言えば目的にかなったものが、必要以上に広く多くの人に伝わってしまって、逆に目的から遠のいた着地に至ることがある。自覚的に選んだものではなくても、結果的にその手段を選んだ責任は自分で負うことになる。最近は、その辺の難しさを感じることがままある。

何を言うか言わないか、誰に言うか言わないか、そしてどう伝えるかという問題が、現代はことに複雑に絡み合っている。どんな言葉で、どんなタイミングで、どんな媒体で。文字に書き残すのか、残らぬ声で届けるのか、自分の声と視線と表情を総動員して伝えるのか。人に何か伝えることは、時としてすごく難しい。だから、その手段に対して選択的でありたいし、自分の選択に対して自覚的でありたいと思う。

そして決して上手とは言えない自分のコミュニケーション能力を前提にすると、力量に左右される文章力や話力を磨き続けることも大事だけど、人間の生来的なコミュニケーション手段も軽視せず、大事にして力を借りたいと思う。視線と声と肌触り、その力の大きさと尊さを最近よく思う。

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