会社の同窓会にて
昨晩は、昔勤めていた会社と、その兄弟会社で3社合同の同窓会があって行ってきた(兄弟会社の1社は今の勤め先だが)。
昔勤めていた会社は、本当に右も左もわからない小娘だった20歳の私を雇い入れてくれた会社。そこで兄さん姉さんの仕事ぶりに触れ、「仕事って楽しいものなんだ」という認識を得たのが、そこで私が収穫した一番大きなことだと思っている。けれど、今の自分の仕事からたぐり寄せてみると、核となるすべてはその当時の仕事と直結しており、多大な影響を受けて今があることを改めて思い知る。
1996年のネット黎明期に、なんの専門知識ももたぬ私を受け入れ、私を社会に接続してくれ、インターネットに接続してくれ、デジタルで物事をつくる人のキャリア支援事業に接続してくれ、その中でも人材育成という仕事に接続してくれたのが、この会社だ。そして今振り返れば、私はこの18年ほどの仕事人生のほとんどを、デジタルとクリエイティブと人材育成を掛け合わせた世界で過ごしてきた。
当時20代前半から40代前半だった人たちは、昨日30代後半から50代後半にシフトして集まった感じだ。しかし、みんな見た感じが全然変わっていなくて、とにかく元気に笑って再会できたのが何より嬉しかった。この歳になると、身近な人の死も大病も経験しているので、まず心の中を占拠するのは「健康であればもうそれだけで、それ以上に望むことがあるだろうか…」というおばあちゃんみたいな気持ちだ。歳を重ねるほどに「足るを知る者は富む」という構えになる。
私も当時から化粧っけないまま(一切の変化なし…)、髪型も変わりなく(多少軽くなっているのだが…)、体型も変わらずで(若干細くなっているのだが…)きているので、冷凍保存でもしてたんじゃないかとからかわれたが、当時から比べればそれなりにいろいろと苦労もしまして、内面はいくらか成長もしました、と思う。
ということは、だ。ここに集う人たちも同じ10数年という年月をさまざまに生きてきたのであって、私と同等か、おそらくはそれ以上の経験をして、いろんな思いなり考えなりを味わって、今ここにいるに違いないのだ。けれど、なかなかそういうことまでは同窓会の中で話し込むわけにもいかない。そこでやっぱり行き着くところは、今とにかく健康で良かった!である。で、帰途についた。
今後再び新しい関係で重なりあう人もいれば、そうでない人もいるだろう。それは仕方ないことだ。というと後ろ向きな感じだけど、前向きにみて、人の交わりとはそういうものだと思っている。働く場所は離れ離れになり、おそらくはこの先ほとんどの人と職場をともにすることはないだろう。あの共有空間は、すでに失われたものだ。その失ったものを潔く受け止めながら、今後また違うかたちの新しい関係を築いていけたらいい。
得たものでなく、
失ったものの総量が、
人の人生とよばれるものの
たぶん全部なのではないだろうか。*
というのは、大人になればなるほど心に染み入ってくる。惜しむほどの「失ったもの」をもてたなら、それがいずれ豊かな人生と振り返れるものになるのかもしれない。
「今」はどんどん終わっていく。これを書いているうちにも、今はどんどん終わっていっている。いつだって私たちは今を失いながら生きていて、それをずっと意識してはいられないから、前へ前へ生きていく。けれど、あるとき改まって振り返ってみると、どこか感慨深く、いとおしい気分のわく「失ったもの」が見出される。こういうものを丁寧に味わいながら、前に向かって生きていけるのが健やかだ。思い出話だけでつながるほど年老いちゃいないし、それだけで終わっちゃつまらないよねという性分の私たちでもあるし、これからはこれからだ。
退職後しばらく音信不通になっていた人たちとも、ここ数年はFacebookを通じてつながるようになっていた。だから近況にはなんとなく触れていた方も少なくなかったが、直接お会いしてお話しできる時間はまったく別物だ。さらに十数年ぶりにお会いできた方もいて、とっても素敵なひとときを過ごすことができた。主催くださった方々に心から感謝だ。
*長田弘「奇跡 -ミラクル- 」(みすず書房)
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