ここひと月ほどで3キロほど体重が落ちた。プール通いを再開したのだ。「毎日泳ぐとやせる」の法則は経験的にも知っていたのだけど、言うは易し、行うは難し、習慣というのは抜けるとなかなか取り戻すのが難しい。と、勝手に思いこんでいるからハードルが上がっているだけのような気もするが、こうして文字にでも起こしてみないと、勝手に思いこんでいる自分に疑問符を打つこともできない。
いったん習慣になると、毎朝40〜50分だらだら泳ぐのをひたすら気持ちいいなぁと思いながら続けるのだけど、仕事の繁忙期などにあっていったん習慣が抜けてしまうと、これがなかなか取り戻せない。というようなのを、15〜16年くらいだろうか、繰り返している。で、ここしばらくは習慣が抜けた期間を過ごしていた。
そんな折、10月下旬頃だったか「21日続けると、それは習慣になる」という見出しだかなんだかを目にした。「習慣」という言葉を見て頭に思い浮かぶのは、やはりプール通いのことだった。あぁ、あの習慣を取り戻せたらなぁと常々気にかけてはいたのだ。
だったら行けばいいのだけど、習慣を取り戻さなきゃと思うと「一度行ったきりで終わっては意味がないし」みたいなのが頭にまとわりついて一歩目が踏み切れず、ずるずる。しかし、これは良いではないか。「再びプール通いを習慣にする」となると目標があいまいすぎて始動しかねるが、「21日続ける」のがゴールなら見通しが良くて、とりあえず行ってみるかという気になる。
その頃は、ほかにもいろいろと追い風が吹いて(そういうときには、そういう風が吹いているものだ)、11月上旬に初冬のプール開きに至った。といっても、私が通っているのは年輩層にもやさしいフィットネスクラブなので、プールはしっかり温水だ。ぬるま湯の中をだらだらと泳ぐのだ。
で、プール通いを再開してみると、やっぱり水の中に入ってのんびり泳ぐというのがたいそう気持ちよくて、2週間もすると、これは習慣取り戻した感あるなぁという状態に落ち着いた。それでも、いや、しかし21日経過するまでは油断は禁物だぞ!と自分を警戒しつつ、今プール通いを再開してひと月半まで来た。
それくらい泳ぎ続けていると、もう少し違った以前の感覚がよみがえってくる。今読んでいる物語の中に、洞窟の暗闇のなか短槍でやりあう戦のシーンがあって、主人公が途中からふしぎな感覚にとらわれるのだけど、その表現がまさに自分の身体感覚に重なった。
夢の中で舞を舞っているような、ぼうっとした心地よさが、身の底から全身にひろがっていく。相手の動きにさそわれて、ともに舞を舞っているような心地だった。槍は、うなりをあげて、すさまじい速さでたがいに攻撃しあっているのに、まるで、時が、ぬるい液体に変わってしまったようだった。*1
こちとら「舞を舞っている」なんて比喩するのはおこがましい我流の泳ぎ方だし、すさまじい速さでもなんでもない、かなり気合いの抜けたスピード。それに、私のはまさしくぬるま湯なので、文学的比喩じゃなくてそのまんまじゃないか!という感もあるのだけど…。
しかし、プール泳ぎをひと月以上続けていると泳いでいる最中に、そのぬるい液体に身体だけでなく、自分の時間をものみこまれたような、ぼうっとした心地よさを覚えるのだ。その心地よさとたわむれながら、だらだらと泳ぎ続けるのは至福である。
以前プールに通っていた頃の体型・体重に戻って、だいぶ身動きもとりやすくなった。あとは毎日、はぁー気持ちいいなぁーとぼんやり思いながら、のんびり泳ぎ続けていければ嬉しい。過去を振り返るに、仕事の繁忙期に続けられるか、ここが正念場だろう。
*1:「闇の守り人」上橋菜穂子(新潮文庫)
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