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2014-11-30

脱皮

3週間ほどが一気に過ぎた。ここに文章を書いているときのような、もやぁんとした思索時間なく過ごしていたから文章を書くのが止まっていたのか。はたまた、ここに文章を書くのが止まっていたから、もやぁんとした思索時間がなかったのか。たぶん表裏一体なんだけど、ともかく振り返ってみると一気に過ぎたなぁと思う。

この間は思索するというより、自分の直観に従うばかりだった。仕事のことも、家族のことも、健康のことも、あれもこれも。その場ですぐの判断が求められる状況だったからというのもあるし、自分の直観が答えを明確に指し示しているのを感じ取って、それ以外の選択肢に検討の余地なしと断じたのもある。

そうして我に返ってみると、ここしばらくでずいぶんと自分の直観に信頼をよせて生きていることに気づいて、なにか脱皮したみたいだな、と思う。実際はそんな立派な節目じゃないだろうし、自分の直観を過信してもいけないという気構えは持ち続けているつもりだけど。でもまぁ、つまるところ己の直観だよな、という思いに確固たるものを感じないでもない。どっち、つかず、にしておくのが良いんだろう。

最近は現実問題に心をくだいていることが多かったけど、ときおり時間ができると「老子・荘子」(*1)を開いていた。老子の考え方のある部分は、たいそう自分と相性が良い。

私は「言葉や概念」を尊いものだと思っているけれど、「言葉や概念」と「真理」の間には常に人の価値観が入り込んでいることを前提にもっておきたいとも思っている。ある人・ある集団・ある時代の考え方次第で、“それ”には別の言葉が与えられるし、別の区分け方で二分、三分割される。場合によっては人の認識世界に存在せず、名を与えられないこともあるし、名を同じままに善と悪、優と劣がひっくり返ることもある。

“それ”の「言葉や概念」のずっとずっと下におりていったら、「真理」の層には何にも二分されていない世界が広がっていることを自分の基礎にもっておきたい。とはいえ私は仕事してなんぼの人間なので、その上で、そのときどきの誰かの目的のために言葉を与えて世界を二分し、概念化していく気は十分にある。ただ、その目的から離れれば、いつでも無に帰れる人間でありたいし、そのときどきの目的にかなった言葉や概念とは何なのかを都度吟味して選べるようでありたい。

そんなことをもやもや思いながら本を読んでいると、期せずして「直観」という言葉に遭遇する。

ありのままの真理は何によってとらえることができるか。ただ一つ、体験的な直観によるほかはない。直観は、ありのままのものが入ってくる唯一の通路である。

部分取り出して語られても薄気味悪いだけかもしれないが…、私が思っていることは単純なことだ。思い込みにすぎないかもしれないけど、確かに自分の直観が指し示す先が最も真理に通じている気がする。だから、自分が体験的に直観するところを大事にして生きていこうと。最近そちら寄りに脱皮の感がある。

それにしたって真理というやつは(少なくとも私が腑に落ちる真理のとらえ方というのは)、紀元前4世紀にはもうこんなふうに表されていたのだ。地域を越えて、時代を超えて価値ある知恵というのは、老子に限らず先人があふれるほどに残している。そう思うと、自分は今同じ時代に生きている人のいくらかでも役立てるようにして、それで生涯を終えられたら十分だなと腹をくくれる。

息の長い知恵にいくらかでも学びつつ、自分が同じ時代に生きて袖ふれあう縁をもった人たちの何かのたしになるような仕事をやっていけたら幸せなことだ。いずれそれは跡形もなくなってしまうだろうけれど、普通の人の生というのは、それで十分幸せではないかと思う。というわけで、今年も年末まで忙しそうだけど楽しくやろう。

*1:森 三樹三郎「老子・荘子」(講談社学術文庫)

2014-11-09

親友の結婚式

昨日は、最も古くからつきあいのある親友の結婚式だった。ものすごいきれいな子なのだけど、野生児で普段ほとんど化粧をしないので、昨日の白無垢姿には息をのんだ。美しかったなぁ。式が行われた赤坂氷川神社も、巨木に見守られた静閑なところで、これは何度でも訪れたいという空間だった。今度、散歩に出かけよう。

私たちは中学時代よく雰囲気が似ていると言われていたけど、卒業後は人前で会うこともなく、年に1、2回ふたりで会って話すのが常だったので、彼女と似ていると感じる機会は特になくて、どちらかと言えば違いを意識しながら過ごしてきた。

でも昨日は、彼女が高校時代以降に知り合った友だちと会って話し、あぁそういえば似ているのか、と再発見するような機会になった。食事会の席で、隣り合わせた新婦友人の一人からなぜだか相談を受ける格好となり、対面の男性交えて3人で話し込んでいたとき、その2人から新婦と私の思考が似ていると言われて、はぁそうか、外から見れば確かにそうかもなと思い至った。

本人の希望で、式と食事会は両家の親族と身近な友人たちだけ集まるこじんまりしたもの。食事会の席では、新郎がその親族と友人、新婦がその親族と友人を、一人ひとり紹介する一幕があった。事前に一人ひとりをどう紹介するか考えて、紹介文を起こしてきてくれていて、一人ずつ名前を呼んで、本人に挙手させて、紹介文が読まれるという流れだった。

初対面同士が多かったので、皆が話しづらいのではないかという心配からのもので、この心遣いだけでもぐっときてしまったが、その紹介文も一人ひとりの魅力が丁寧に言葉に起こされていて、その準備に思いを馳せると泣けてきてしまう。第一印象きっつい印象を与えかねない彼女なのだが、気丈さと優しさを併せもった彼女っぽさが、この一幕だけとってもよく表れていた。

そこで私の紹介は何だろうと聴いていると、自分と違ってばりばりのキャリアウーマンで仕事人生を送っているだとか(そんな感じじゃないよと都度否定しているのだけど、こういうのは相対的なものなので、山暮らしの彼女がもつ印象としてはそういうことになるらしい…)、全然違う道を歩んできているんだけど昔から人の心理のことや輪廻転生だのなんだののことで話が合ってか長いつきあいを云々。

わかりましたよ、見逃しませんでしたよ、「輪廻転生」という言葉が発せられたときの、会場の空気の「ほへっ」と浮き湧いたのを…。あぁ、彼女の不可思議なところとつながっているのは、この人なのか…的な参列者一同の無言の着地。

一応「それじゃまるで私が怪しい人みたいじゃ…」という合いの手をいれて笑いを呼び、なんとか私が常人という理解を図ったけれど、会を終えた別れ際、新郎の友人から「まだ輪廻転生の話を聴いていないので、また今度ー」と見送られ、やはり相当あのワードと自分がひもづけられていると確信したのだった。

何はともあれ、彼女の結婚式に立ち会えて、すばらしく美しい白無垢姿を見られたのも嬉しかったし、それと同じくらい彼女の大事な友だち、そして久しぶりにご家族にお目にかかれて笑顔を見られたことが嬉しい一日だった。末永くお幸せに。

2014-11-05

若手が育つ場づくり(母親型)

週末、10 over 9 reading club(河尻亨一さん)が主催する「Creative Maison - 表現×技術×教養を暮らしと仕事に」という会があって、8コマ中2コマだけだけどお話を聴いてきた。新宿御苑に隣接する昭和の邸宅「ラ・ケヤキ」を貸し切って、和室・洋室・リビングに分かれて連続トークショーを行うという洒落た会で、広告業界の人たちが多く集っていた。

アウェイ感満点の催しだったけど、私の場合どこの会に行ってもアウェイというのもあり、所在なげに待ち、始まったら静かに聴き、終わったらそそくさ失礼するという一連の動きをここでも…。この身のこなし、どんどん板についてきている気がして情けない。

それはそれとして、聴いたお話はたいそう面白かった。そのうちの一つが「広告&PR業界の人育て」で、登壇者は浅生鴨さん(作家/元NHK_PR 中の人1号)、須田和博さん(博報堂)、中村洋基さん(PARTY)というクリエイティブディレクターのお三方。元NHK_PR 中の人1号さんが作家になられたとは聞いていたけれど、名前が「あ、そうかも」になっていたとは初めて知った。

さて、若い時分は、朝礼とか一回も出たことなかったというPARTYの中村さんが、今は自分起案で月1の朝礼を開いたりしているそう。せっかく経営者になったんだから、その目線から若手を育てられたらという気持ちが、ここにきて芽生えてきたのだとか。でも、若手をどう育てたらいいのか。みんな優秀でいい奴なんだけど、野心や遊び心をうまく引き出したりできない。

博報堂の須田さんは、自主開発型クリエイティブ・ラボ「スダラボ」を発足して若手を育て、カンヌで広告賞を受賞したり、みんな活躍している。いったい、どうやって若手と関わっているのか。中村さんが、本当に悩んでるんですよ…と、等身大の問いを投げかけて、話はスタートした。

これに応えた須田さんは、何かを命じて育てるのではなくて、育つ場を作るということに徹していた。これは言うは易しで、実際にやって成果を出すのがものすごい難しいことだと思うけれど、須田さんはそれを自然体でやっている感じが伝わってくる。一方で、それを言語化してお話しされているからには、意識的にやっているということでもある。以下、須田さん語録メモ。

・これをやれ、これはダメというのは言わない。
・座席表にはこだわっている。観察はものすごいしていて、その人が伸びる環境をつくる。誰と誰を斜めにして、誰と誰を正面にするとか。
・自分は、上役に「あの子はいい」と褒めて言う役割。そうすると、本人も期待されてテンションが上がってくるし。
・ブレストは出るけど、書記をやっている。ポイントを抽出してホワイトボードに書く。そうすると、ぶれないし。
・プレゼンは、うまい人にはやってもらっている。
・自分は父親というより母親型で守ってあげるタイプ。「大丈夫?」って見守っている中で、子どもが勝手に育っていくイメージ。これは、ユーザーがどう自発的に動くかを作っていく時代にあっている気もしている。
・割と問題児が多いので、始末書は書いたりしているけど…(笑)。

クライアント前に若手に一通りプレゼンやらせて、あぁダメだなぁと思ったら「今のじゃわからなかったですよね?」といって、自分で一からプレゼンやり直しちゃうという話に、あぁそれはやっちゃダメだわーと須田さん。でも実際には、この局面をどう乗り切るかって難しい。特に自分指名の案件の場合、クライアントからすれば自分にプレゼンしてほしいわけで、プレゼンを若手に振るのも難しいし、若手がうまいことできなかったときの切り抜け方も難しい。須田さんも指名は多いと思うけれども。

中村さんは父親型と言う。PARTYは創業した4人が皆父親型らしく、星一徹が4人いる家のようだとか…。父親型はそれはそれで必要だと思うのだけど、とすると父親型がいけないのではなく、母親型を入れればいいという話か。

あと、これは特に挙げていなかったけれど、おそらく須田さんの日々の問いかけの中にも、若手の学びのきっかけがつまっているんだと思う。自分の考えた「答え」を与えるのではなくて、本人がより深く、より広い見地から答えを検討できる「問い」を、日常的に投げ続けているのではないかと思う。外から与えられる問いによって、私たちは自分の考える視点を変えたり、視野を広げたり、動機づけられたり、興奮させられたりする。

フランスの思想家、ルソーは四十近くまでうだつのあがらない芸術家志望で、愛人との間に5人も子どもをつくったり露出狂で捕まったりとろくでなし扱いだったそうだけど、あるとき懸賞論文の募集を見て、天啓を受けたかのような衝撃を受ける。ルソーを目覚めさせた問いは「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したか」というもの。その懸賞論文に受賞して、ルソーは一躍時の人になった。

何を問うか。何を問われるか。日常的にどんな問いを立ててくれる人のそばに身を置くか。そういう環境の威力のようなものを最近感じる機会が続いた。昨日読んだ、ここの記事もこれに関するもの。

効果的な問いを立てることも、問いに対する自分の答えを適切に評価することも、経験のいる仕事だ。メタ認知能力を養うには時間がかかる。熟練した人は、自分で秀逸な問いを立てて、それに自ら答える自問自答のなかで、秀逸な答えというのを見いだしていく。良い上司や先輩・同僚に恵まれると、そうした問いを日常的に受け取れる。それが後の成長に大きく影響するんだよな、と改めて考えた。

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