学んだことをどかす作業
赤ちゃんの頭の中には、
言語、数の基本概念、視覚対象の物理的特性、生物や無生物の運動などの情報を素早く学習できる生得的制約が備わっている(*1)
という。つまり、人間は赤ん坊の頃からなんらかの「知識」をもっており、その後延々と「まっさらから学ぶ」ということはなく、なんらか既有知識をもとにして新しい知識を獲得したり、物事を理解したりしているということ。
学習を支援する立場としては、学習者がすでに持っている知識を特定し、それをいかに効果的な「足場」として持ち出し、能率的な学習・転移を促せるかが、腕の見せ所となる。今回の学習者が、学習テーマに関連してすでに知っている知識が何なのか。何を足場として新しい事柄を提示したらわかりやすいのか。
正しい知識ばかりではなく、その学習テーマに関連した思い込み、誤概念、先入観といったものも含む。あればそれを取り出して、「こういうふうに思っているかもしれないけれど、実は違う」という「どかす」ステップが必要になる。それを組み込まないと、知識は足場からくるってしまう。
どかす方法も、「実は違う」と言ってどかせるものではなかったりする。乱暴にやると、学習者が長く大事にしてきたものを真っ向から否定し、自尊心を傷つけて険悪に終わってしまうことになりかねない。それでは、本来目的の学習成果に結びつかず、むしろ遠のいてしまう。
すごい仕事ができる人が、必ずしも教えるのが上手とは限らないとは、こうした背景だ。その新しい知識を学ぶとき、学習者がどんな誤概念を持ち出しやすく、どんな誤認識に至りやすいか。それをどう、どかしたらいいか。ここについて理解がないと、この「どかす」ステップをうまく組み込めない。
ここの学習者理解をいかに深め、研修設計に反映させられるかが大事な仕事のひとつだ。これこれをどかす必要があるから、今回はこういう導入にして、こういう課題を出すことで、誤認識があった場合は顕在化させてフィードバックする演習を組みこむ。「講師」という肝の役割を実務スペシャリストにお願いする私のような人間は、この辺の設計仕事を務められてこそ、いる意味があるというもの。慎重に、慎重に。
それにしても、この誤認識。我がごととして考えても慎重なつきあいが必要だ。激変の世の中にあって、役割が変わったり、職場を変えたり、同じ職場にいても外のイノベーションによって前提が覆されることが避けられない時代。一度身につけたものが通用しなくなって、学習棄却して学びなおす局面は今後も増えていくだろう。40代であれ50代であれ容赦なく、時代は変化を求める。
有効とされて必死に覚えた知識・スキルがいつの間にか価値を失っていたり、「これが当たり前」と言われて身体にすり込んできた行動様式・規範・価値観が、ふと気づくと非推奨のふるまいに変わっている、なんてことが起こる。これを自分で気づいて棄却するのは、けっこう骨が折れる作業だけど、できるだけ「あぁ、変わったのね」と軽やかに、通用しなくなったものは棄てて新しいものに適応できる柔らかさをもっていきたい。そのほうがだいぶ、生きるのが楽そうだ。
*1:「授業を変える 認知心理学のさらなる挑戦」米国学術研究推進会議 編著/北大路書房
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