古きをあげて新しきを買う
MacBook Airを買い替えた。今私が使っているのを友だちが欲しいというので、自分のを買い替えることにした。というと極端だが、ここ十年くらいは、だいたい私がパソコンを買い替えて、それまで使っていたパソコンをその友だちにあげる流れとなっている。恒例にしようと話したわけじゃないけど、何台かお古をあげているうち、今春には彼女が私の家に遊びに来たとき、「MacBook Air欲しいなぁ」と、にんまりして言い残していくまでになった。半年を経て、いよいよ彼女に譲る時がやってきた。時は満ちたのだ。
私にしてみれば、壊れてもいないのにパソコンを廃棄するのは忍びない。しかし、使う頻度も高いので3、4年経過すると買い替えたいなぁという想いが去来する。そのとき、そんなに使用頻度高くない自然児の彼女が、3、4年前のものなら私にとっちゃー最新ものよ!と言って喜んでくれると、じゃあと新しいのを買う気になる。双方にとって、ありがたい流れだったりするのだ。
自分で使っていて不満のないものを、彼女が欲しいというタイミングであげるわけじゃないのだけど、今回はバッテリーのもちがいいものに買い替えたくなった。最近カウンセリングで使うのに4〜5時間もつものが欲しくなり、もとのは最大4時間でぎりぎりもたなかったりする。今売られているのは9時間もつというので、実際がそれより短かったとしても5時間はもつよなぁと気になりだした。
でも、そう頻繁にカウンセリング機会をもっているわけでもないし、電源ありの所を押さえられる限りは問題ないので、どうしようかなぁと思っていたところで、今春の彼女の言葉が脳裏で結合する。あぁ、彼女欲しがってたんだ、前にあげた白いMacも調子が万全じゃないそうだし重たいし、MacBook Air欲しがってたなぁと。
彼女は毎度、私が次を買うまで大事にそれを使ってくれる、ありがたい貰い手だ。この半年に新しいのを自分で買っていることは9割方ないかなぁと思いつつ、場合によっちゃ、この間に白Macが壊れちゃって仕方なく買い替えたって事態もないわけじゃなかろうと、昨晩連絡をとってみた。
それで私のお古MacBook Airいるかと尋ねると、「待ってましたー」の返信。やはり。それで買い替えることに決めた。決めたら、あとは買うだけだ。そのまま22時までやっている量販店に出かけて、買って帰ってきて夜中にセットアップした。あと、これまで使っていたMacをきれいに。来週末には、友だちの家にお古Macをもっていってセットアップする。なんとなく、自然の流れにのってモノが場所を移していく感じで、快い気分だ。
これに限らずだが、私の中では無理なく自然体で納得している筋書きなんだけど、人にその思考回路を共有すると納得を得られないってことがある。それで、人がいい、アホ、もったいない、都合よく使われている、もっと幸せになれる!など、いろいろと意見をもらうのだけど、それもまた人生のおかしみ。こちらを思って言ってくれるのもありがたいが、自然体でその筋書きに納得している自分も嫌いじゃない。いろんな人の何かを大事にしたい気持ちを、風通しよく自分の中に受け容れながら、あなたと私の関係をそれぞれに作っていけるのが豊かだ。
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