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2014-09-08

教えてもらう所

今日は翼状片手術の抜糸があり、ほんと壮絶だった。けど、その記録は前の話のコメント欄に寄せて、今宵はほーーーっとした気持ちそのままに、気のぬいた話を気ままに書こう。

昨日のおしゃべりで、これまで自分が「しまむら」と「ユザワヤ」を同一視してきたことに気づいた。「しまむら」を見ても、あぁあれねと思い、「ユザワヤ」をみても、あぁあれねと思っていた。生地が売っていたり、安価な服を売っていたりする所でしょうと、事業も一体化していた。どっちも赤いロゴで4文字の仮名で、似てると言えばそう言えないこともない、そうでしょう。

少し前まで「てもみん」のことも、手をもんでくれるマッサージ屋だと思い込んでいた。これも人と話していて、手でもんでくれるマッサージ屋だと知った。

人と話さないと、自分の誤った認識、思い込み、狭い視野や了見、器の小ささに気づけないということは山ほどある。しまむらやユザワヤ、てもみんに足を運んで実体験を得れば一番よいのかもしれないが、なんでもかんでも自分で現地に行って体験を得られるというものでもないし、自分で体験したとしても他の誰かほどの気づきを得られないということはままある。

人と話していて、こういった所に気づかせてもらえるのは有り難いことだ。歳をとってもツッコミを入れてもらえる人間であり続けたい。

ただ、まだ若い時分に「ビーフンは牛の糞でできている」という人の話を信じて、数年間焼きビーフンを食べられなかったこともあった。数年経ってその人と話している時、ビーフンは牛の糞ででできているからどうも食べる気がしなくて…と私が話したら、何バカなこと言ってんの?と突っ込まれて、え、だって、え…という展開になり、それが冗談だったことが発覚。人の話にはそういうこともあるから、注意せねばなるまい。最終的に自分の認識をどう構築するかは、自己責任なのだ。

そういえば、モンゴルとモロッコを同一視していたのは、世界地図をみていて自分で気づいたんだった。でも、それだって世界地図を調べて、作って、届けてくれた人のおかげで知ったのだ。独学という言葉があるけれど、それでもたいていの事柄はやっぱり、直接・間接のつながりで、いろんな人のおかげで学べている。そういう感謝を大事にしたい。

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