元気であれば
夏休みが終わった。休みに入る数日前まで無計画だったのだけど、なんだかんだと直前に予定を立て、小旅行に出かけたり、帰省して家族と食事をしたり、母のお墓参りに行ったり、美容院に行ったり、ラジオを聴いたり、コーヒー屋さんで本を読んだり(どんどん地味に…)。小さなお楽しみを巾着袋につめこんだ感じで、暇すぎず忙しすぎず、豊かな夏期休暇だった。
休暇の前後には公式・非公式の会社の飲み会もあり、久しぶりに会社の人とお酒を酌み交わした。最近は夜の会食というと1対1でしっぽり飲むことが多いので、みんなでわいわい、酔っぱらう子らもいてよっこらしょ(支えて帰路につく)というのが久しぶりの感覚、懐かしかった。もっとさかのぼると、よっこらしょされていた方なので、これがまた…。
最近はもう行き着く所まで行き着いた感あり、つまるところ、自分の縁あった人の元気なことが心から嬉しい、これに尽きる。身内に大病などもあったので(おかげさまで快復中)、身近な人の健康が身にしみる。夏期休暇中にも、偶然コーヒー屋さんで旧友に会ったのだけど、元気そうな顔をしているのを見て心底幸せを感じた。もうそれだけで十分という気分になって、それはそれで歳の割りに老けこみすぎな危機感を覚えなくもないのだけど。
母が生前、お正月の抱負に毎年恒例「家族みんな元気で」と言っているのを、私は毎回考えるのが面倒だから一つを使い回しているんだろうと思ったりもしていたんだけど、いやいや本気も本気よ、と今なら気持ちがよくわかる。本当に、みんなが元気だったらもうそれだけで本当に心から嬉しいものだ。
身近な人や仕事で縁あった人が、健康で幸せなら何よりだし、何か自分に働けることがあればサポートする。中途半端に触れる情報はものすごい増えた昨今だけど、結局のところ自分が真相を知れる物事、自分がなんらか貢献できる物事はそんな倍倍には増えていかないわけで、むしろ情報が大量になだれこんでくるからこそ、「これが情報のすべてではない」「それを批判したとして、その後自分がどう生産的にそれに関われるというのだ」と気を引き締めるばかり。
人によってスペックも指向性も違うので、いろんな進化のありようがあると思うけれど、わが身に関して言えば、相変わらず日々積み重ねる経験と内省のなかで、自分の貢献できることをわずかずつ増やしているに過ぎない。それを愚直にやっていくしかないし、私の器でできることを少しずつ地に足つけて増やしていこうと思っている。
あと4ヶ月で、今の会社も勤め出して丸10年になる。頭を整理しながら、今年後半戦も気持ち新たに頑張ろう。
なんだか最近、文章を表に書きづらい感が増してしまっていたので、ここらで少し気分を軽くしてみたい。ということで、かなりまとまりのないお話を一つ。
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