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2014-06-30

学びの後の学びサイクル

「今回学習したことは有意義だと思うんだけど、自分の仕事や職場環境に取り入れるのは難しい」というのは、社員研修でも勉強会でもよく聞かれる声だ。

オープンな勉強会などで、参加目的が「人脈づくり/コミュニケーション」なら別の価値が見出せると思うんだけど、「学習」目的で参加したのであれば、道なかば感が否めない。「今の仕事のパフォーマンスをあげたい」「先々必要とされる能力を先手打って身に付けておきたい」「その学習テーマに興味があり、習得したい」と思って参加したのに、そこで終わってしまってはもったいない。

「学習」というのは、ガニエによれば「行動に見ることができる学習者の特性や能力が変化するプロセス」と定義される。乱暴にいえば「行動変容」。だから勉強会に参加して「勉強になったー!!」と思っても、その後の自分の行動になんら変化が見当たらなければ、身になったとはいえない。それを習得したとは言えないのだ。

このあいだ参加した勉強会、その前・後の自分を比べてみて「行動に見ることができる変化」があるか。自分の仕事のやり方、(途中)成果物、工程、視点の持ち方、コミュニケーションの仕方は、どう変わったか。「少しは変わったと思う」とかではなくて、具体的に「何がどう変わったか」を言語化できるか。

意識的に自分の認知・行動を「変えた」場合、その言語化は難しくない。意識化は言語化とほとんど同義だ。言語化が難しいなら、何も変えなかったからではないか。とすると、学習は終わっていない、習得できていない、勉強会後に学習プロセスが断絶しているという仮説が立つ。乱暴かしら…。

でも大人が学習をやりきるのは、けっこう難しい。大人って「とりあえずしばらくはどうにかしのげる」だけの様々な知識・スキルをすでに習得済みだから、どこかで何か新しいものに触れても、日常に戻ると前のままでもやっていけて、ゆえにそのままやってしまう。意識的に「ここをこういうふうに変えよう」という言葉に展開して仕組み化しないと、流されていってしまう。

意外と学習は完遂しないままになりやすいものだし、意外と学習プロセスを完遂するのは難しいものなのだ。時間もかかる。勉強会参加だけで学習プロセスが完遂するケースはまれだ。すごい優秀な人は別として、一般的にはそういう認識でいたほうが学習は続けやすいのではないかと思う。

意識的に自分の仕事のやり方を変えるよう企てる。勉強会などで先駆者の話を聴いてきたのであれば、そのどのエッセンスをどうやって自分の仕事や職場環境に取り入れるのか。ガイドラインやマニュアルに組み込む、チェックリストやテンプレートに組み込む、ワークフローやスケジュールに組み込む、ルーチン業務に組み込むなどして、仕組み化する。

仕組みをしばらく運用してみてアウトプットを繰り返し、それを自分でも振り返り、信頼をおく上司や同僚・同業者やクライアントからもフィードバックをもらう。自分ではできているつもりでも、他の人からみたら全然できていないこともざらにある。人の声に素直に耳を傾けて、自分のアウトプットの問題点を正面から受け止めて分析する。こうやって、コルブの経験学習モデルをぐるぐるまわしていく。

コルブの経験学習モデル
経験学習尺度の構成

大人の学びの70%以上は、仕事経験によって説明されるそうだ。この「経験」部分をどう舵取りするか、それによって学びの成果は大いに変わる。できるなぁという人は、このサイクルをまわすことが日常になっている。たぶん、ここに書いてあることが、「え、何当たり前のことだらだら書いてんの、あんた」というレベルで日常に組み込まれている。

成人の学びの70%以上は仕事経験から得られる

ちなみに「研修や読書」からは10%だけど、もちろん無意味というわけじゃない。これにはこれのユニークな強みがあるのは、それを通じて学びを得た経験がある人なら説明不要だと思う。

私は教育を定義したデューイの言葉がうまく言い表しているなと思うのだけど、「教育とは、経験の意味を増し、その後の経験の進路を導く能力を高めるところの経験の再構築、再組織化である」というの。学習の能率化というのかな。経験価値の増幅というのかな。そういうのが研修や読書の中にあると思う。

「ある特定の経験から必ずある特定の学習が得られるわけではない」(*1)とも言う。同じ経験をしても学習結果に個人差が出るのは、誰もが知るところ。同じ勉強会に参加しても、その後それをどう取り入れるかで結果はまったく違うものになる。

私は社員研修をつくってクライアントに提供する立場だけど、研修直後までの任務が多く、その後まで人材開発のコンサルティングしますよ、みたいな広範な仕事はあまりない。それはそれで餅は餅屋だと思っているけど、視点は研修屋じゃなく、人材開発のサポーターとしてありたい。

受講者が実務で活かすのが難しいと感じていそうだなと思ったら、先方マネージャーさんと相談して、受講後のアンケートにこんな項目を設けたりする。

●今回の研修内容から「今後の実務に取り入れたいこと」、研修を受けてみて「今の仕事のやり方を変えようと思うこと」があれば教えてください。
●今回の研修を受けて「有意義だとは思うが、自分/自社の実務で取り入れるのは難しそうだ」と思うことがあれば、具体的にどのような障害・懸念が思いつくか、教えてください。

研修で全部が解決できるわけじゃない。だけど、受講者本人にも実務導入の壁を考えてもらい、言語化(意識化)してもらう。その現場の懸念点をマネージャーさんにレポートすることで、次のステップに進む際の問題を俎上にのせることはできる。けっこう共通の懸念事項が挙がってくる。ささやかではあるけれども、お客さんと同じ枠組みで問題意識をもって、次にバトンをつなぐ1走者として人材育成をサポートしたい。

話題がとっ散らかっているけど、最近「職場学習の探求 企業人の成長を考える実証研究」(生産性出版)を読みつつ、お客さんに研修を納めつつ考えたことメモ。

*1:金井壽宏・古野庸一(2001)「一皮むける経験」とリーダーシップ開発 - 知的競争力の源泉としてのミドルの育成. 一橋ビジネスレビュー. pp.48-67

2014-06-26

経験は万物の師

ここしばらくは毎日が、研修本番か、教材類の納期か、その間際か。それが4〜5案件併走する感じで走っていて、なかなか忙しく過ごしていた。今もその中にはいるのだけど、ある程度まとまったものを納めて、いくらか落ち着いてきたような、そうでもないような。気が抜けないのはずっとそうなのだけど、とにかくこの半年はあれこれ納めまくったなぁと感慨を覚える6月の暮れだ。

私の手がけるプロジェクトは、何千万とか何億とかそういう規模の案件じゃない。ワークショップやトレーニング形式の研修だと受講者数は数名〜十数名が多く、講演形式やオンライン形式だと百・千名単位に及ぶこともあるけど、そういうプロジェクトはまれだ。

プロジェクトメンバーは、講師と私の基本2名体制。講座を複数展開するのに講師が複数ということも多いけど、その場合も基本的には講座ごと講師と私2人でキャッチボールをする。案件によっては、アポイントや受発注まわりを営業さんがフォローしてくれる。

あと欠かせない登場人物はクライアントのみ。基本的にオーダーメイドで作るので、クライアントさんにフィードバックをもらいながら作っていく。クライアント側は1〜2名のこともあれば、5〜6名に及ぶこともあるけれど、基本的にはこうした数名規模で、こじんまりとやっていくのが常だ。

講座の日数も、時にひと月以上に及ぶものもあれど、基本的には1日〜4、5日間程度に収まることが多い。プロジェクト期間は数か月に及ぶけれど。

こういう感じで、とにかくクライアントごと、案件ごとに手づくりすることを大事にして細々とやってきて、なんだかんだ丸めると10数年は講座を作っては納め、作っては納めしてきたことになる。

そのいずれもユニークな案件ではあったけれど、それにしてもここ1年くらいを振り返ると、手がける案件が彩り豊かになってきた感がある。OFF-JT(研修)で終わらせずにOJTプログラムまでセットでご提供するものとか、反転授業の設計してモバイルラーニングのコンテンツを開発したり、パイロット版で社員座談会を開いてそこから研修プログラムに落とし込んでみたり、社員研修の内製化のコンサルティングみたいな仕事も出てきた。

渦中にいると、とにかく目の前の案件を頑張ってやるのみ!なのだけど、少し引いて眺めてみると、その広がり感に自分でも驚く(そもそもニッチな活動範囲での広がりであることは重々承知だけど)。

度胸と野心が足りず、自分からこういったニュータイプ案件を取りにいこうとはなかなかならないのだけど、そんな自分でも同じ界隈で一つひとつ案件を経験していく中で、少しずつ自分が作れるものや提案・提供できることが大きくなっていって、少しずつ信頼関係が太くなっていって、手がける案件に広がりが出ていくというのは、すごく嬉しいし、楽しいし、面白いと感じられる。

10年後の目標を立ててそれを目指すとかが全然性に合わない私のような人間にとって、キャリアの歩み方ってのはこういうのがフィットするよなぁと実感する。数年単位でふと自分の歩みを振り返ってみたときに「あ、轍が見える」という感覚。今歩いている線上になんとなーく「この先進む道筋が見える」という感覚。

クライアントさんから相談をいただいて要件をヒアリングして、企画提案してはクライアントにフィードバックをもらい、講座設計してはまたフィードバックをもらい、教材を作ってはまたフィードバックをもらい、研修を納めては現場で受講者の反応を確認し、事後にはアンケートを確認し、実施レポートを納めてはクライアントからフィードバックをもらい、その一連のプロセスや結果を受けて反省し。そうやって、5年、10年、15年とやっていく中で、得られるものの尊さを思う。地味だけど、そういうことに信頼をおいて仕事をやっていきたい。

経験から学ぶためには、経験するだけでは不十分であり、その経験から知識を生み出すための「内省」を行い、経験学習のサイクルを循環させることが重要である。(*1)

コルブの経験学習モデル

*1:「職場学習の探求 企業人の成長を考える実証研究」中原淳(編著)生産性出版
*2:「経験は万物の師」とは、ジュリアス・シーザーの回想録「Commentarii de Bello Civili」の中にある記述。これを教えてくれたのも*1の書籍

2014-06-25

行き先は自由

おとといの日曜日、昼過ぎにふとiPhoneに触れたら「12:12」だった。そこから本を読んだり場所を移動したりして次にふとiPhoneに触ったら「13:13」だった。おおぅ。そこからまた、本を読んだり場所を移動したりして次にふとiPhoneをさわったら「14:14」だった。おおおぅ。さすがに三度目はびっくりした。こういうことって、なんで起こるんだろう。しばらく考えてみるも、答えの当てはない。

こういうのって、怪奇現象的にとらえる人もいれば、なんかいいことあるかもしれない!と意味づける人もあるかもしれないし、何かそういう時期なのかしらと「時」にフォーカスする人もいれば、何か私すごい力が備わってるんじゃないかしらと「自分」にフォーカスする人もあるかもしれない。答えの当てがなければ、行き先は自由だ。

「なぜ?」と問う人間だからこそ不思議現象になるのであって、「なぜ?」と問う人間がいなければ不思議現象は生起しない。とすると、ことの発端は人間が「なぜ?」と問う生き物だから、という行き先もありかしらとか、ごちゃごちゃ考える。

最近の世の中はどうも不穏なことが多く感じられるのだけど、ことに向き合った自分の行き先は自由なんだよな。巡り合ったことに注意を向けるのも向けないのも、どの側面に注目して、何を受け流すかも、どんな意味づけをして、どんな意味を与えず踏みとどまるかも自分次第。自分がその世界をつくってる。

そして自分次第でありつつも、自分は広大な無意識と無知と未知の世界に放たれている。何かには気づいていて、だからこそそれに注意を向けているわけだけど、一方であるところから先は見えていないのであろうし、そのことに気づけていないのだろうし。自分が何かにこだわってそれを注視しているのだとすれば、その死角で何かを見逃していたりするのだろうなと。なんらかの自分フィルターごしにそれをみているのだとすれば、何かを見誤っていることもあるんだろうなと。

情報化社会のなかで生きていると、ものすごくたくさんの情報に触れる機会はあるんだけど、実際に自分が真っ当に取り扱えるだけの力量をもった情報ってすごく少ないんだろうと感じることが多くて、危なっかしいなぁと思う。危なっかしいなぁと思いつつ、うまいことつきあっていくしかないんだろう。行き先は自由。広大な無意識と無知と未知の世界で自分が行き先を決めていることをわきまえて、うまく舵を取っていくのが大事なんだろう。

そして自分がきちんと内奥に迫れるところ、自分がその先に意味を見出せるところを軸にして、しっかりやろう。しばらくずっと忙しい日々が続いている。これが、私がしっかりやるところなんだろう。そこをしっかりやる。

2014-06-15

父の日デート

会社で招待券をもらったので、興味があれば一緒に行こうと誘って、父とミッション[宇宙×芸術]という展覧会に行ってきた。朝10時に清澄白河の駅で待ち合わせ、夏の太陽に照らされてそびえ立つ高層マンション群と、築50年はくだらない木造2階建ての家々がでこぼこ入り交じる町なみをのんびり歩いた。整備された平たい車通りがまっすぐのびていて、店は駅前にすらほとんど見当たらず静かだった。しばらく歩くと、東京都現代美術館が突如現れる。

立派な建物の中に足を踏み入れると、またずいぶんと静か。サッカーW杯のブラジル大会で日本初戦がちょうど10時開始だというのに出かけたので無理もないか…。二人ともサッカー音痴の上に、芸術音痴。展示物を味わい尽くすことは到底できていないふうで中をぶらぶらしたのだけど、その音痴具合が絶妙に合っていたので気楽に楽しめた。うちの会社が制作協力した展示には「こいつぁ馬鹿には作れねぇな」と感心していた。

観賞途中、すこし開けたガラス張りのスペースに出たときに、父が遠くに目を向けて足を止めた。珍しく何かをじっと見ているから、何か注目の展示でもあったんだろうかと思ったら、「あの洗濯物はみごとなカラーバリエーションだなぁ」と建物の外をみて感心している。「あぁ、そうそう。私も来る途中、あの家見て思った。あれ、鯉のぼりみたいだよねぇ」と返す。なんというか、こっちよりそっちというズレた親子だ。しかしその洗濯物はほんと、赤に青に緑に黄色と示し合わせたようにカラフルで、それが築50年風のくすんだ木造の家々を背景に、夏の日射しを浴びながら風に揺れていて、ちょっと注目せずにはいられない風情が感じられたのだった。

ちょうど展示を見終わった頃に正午をむかえたので、そのまま築地に移動してぶらっと場外市場をひやかした。しばし賑わいを堪能すると(まわる)寿司屋に入ってお昼を食し、そのあと銀座に移動して喫茶。

ここで父、今の想いのたけを小一時間しゃべり続けた。父はよくしゃべるので、会った時にはたいていいろんな話を数時間続けるのだけど、今回はひととおり語り尽くすと、あぁ全部言っちゃったなぁという感じでそれを振り返っていた。表情はすっきりしていて、話したことを後悔しているふうも感じられなかったので、まぁ大丈夫かな、良かったのではないかなと、とりあえず受け止めている。

人の話を聴くときには、「聴きすぎ」が起きないように注意している。この人は、他の人にはなかなか言えないことを自分にはしゃべってくれているというので悦に入ってしまっては、聴き手のプロとしていけない。それは自分の自尊心を満たしたいがための「聴く」であって、相手を軸にした「聴く」になっていない。

自分の好奇心に任せて質問を投げるのも、(もちろん普通の会話ならまったくもって問題ないんだけど)人の相談を真剣に聴く立場からすると思慮が足りない。踏み込んだ質問を投げかけるときには、それに答えることで相手があとで過剰に追いつめられてしまうことがないか、そこへの配慮が欠かせない。安易に答えを言語化させては望ましくないこともある。どんなにそれが自分には本質的な問いに思われても、そこに迫るにはタイミングとして早すぎることだってあるし、自分が本質を見誤っている可能性だってある。

一方でやはり、問題をうやむやにせず本質に迫って解決に向かうには、その掘り下げ質問が欠かせないということもたくさんあるわけで、その関わり方やタイミングの加減は実に難しい。

ただ、問題の本質を見抜いたという自負に心を占拠されて相手を問いただしている状態は、「私はあなたの問題の本質を見抜きましたよ」というのを相手に認めてもらいたがってやっているコミュニケーションにすぎない。そうなっていないか、自分の内側に鋭い評価の目を向けて事前チェックする意識は欠かせない。今は掘り下げない、踏みとどまるという選択肢を、常に自分の身近において選べる状態にしておくよう心がけている。

しかしまぁ、そういう思案をしているだけで完璧じゃないし、自分の見立てが常に正しいともいえない。そして、この慎重さが人とのコミュニケーション上で壁になってしまうこともある。万人に正しいふるまいなんてきっとない前提で、世の中の役割分担でいったら、私の適性は思慮深さを重んじるほうにあり、ある人の適性はもっとエネルギッシュに踏み込んでいくほうに向く、そうやって役割分担して、いろんな人がいろんな人と持ちつ持たれつ相互作用していくのが人間関係ってやつなんだろうなぁなんて思っている。と、ややこしい話を書いてしまった。

母が他界し、私も歳をとり、ここ数年で父はずいぶんと胸のうちを私に話すようになった。「娘」「子ども」というだけでなく、もう少しとらえどころのない話し相手として私との関係性が広がっているなら、それはきっと今の父にとっていいことなんだろうと思う。とにかく「まっすぐにきちんと話を聴く人」として私があったらいい。

別れ際、父が「それで今日は何だったんだっけ」と言うので、とっさに「父の日」と腹の内を明かしてしまって、あぁ失敗したと思った。「6月のとある日曜日」とかなんでもない日と返せたら良かったのに。こういうところがなんというか、洒落てないというか品が足りないというか。己の器の小ささを感じた。

2014-06-11

時間は自分のなかにある

入り組んだターミナル駅の構内なんかを歩いていると、故障したかなにかで止まっているエスカレーターに遭遇することがある。点検・修理中だと立ち入り禁止になっているんだけど、まだ手つかずの状態だと、その止まったエスカレーターをみんな昇ったり降りたりしているので、私も利用する。

この経験が一度でもあるたいていの人は、止まったエスカレーターに突入するところで歩く速度を落とし、最初の一歩を慎重に踏み出すに違いない。私はその後の一段一段まで気を抜かず、普通の階段の昇り降りとはまったく違うという心構えで足を運ぶ。脳内シミュレーションして相当慎重に臨んでも、身体がついていけず、つんのめってしまうからだ。

ここ、つまり、止まったエスカレーターの上は身近な異次元空間だ。そのシチュエーションにはなかなか遭遇できないけれど、場として見ればごく日常的な、時間の停止を疑似体験できる空間と言えよう。そんな体験、大金も払わずにできるなんて思いもよらないので、今日までそんなふうに考えたことがなかった。浅はかだった。今度機会が巡ってきたら、もっと大事に味わおう。

それにしたって、あの疑似的な時間消失体験で得られる違和感は、体に深く刻み込まれて忘れることができない。体が時間に乗っていないというのは、なんとおかしなことだろうか。今もそのおかしな感覚を、もやりと身体が思い出せる。

逆にとらえると、夜眠りにつこうと部屋を暗くしても横になっても、私の体はいつだって時間が動いている前提なんだなぁと気づかされる。人の無意識は、その動力の働き続けるのを自然のものとして生きているのだ。と、かれこれ長いこと、人は時間と空間を前提に生きているという当たり前のことを、つらつら文章にして書いているだけなのだけど。

止まったエスカレーター以外で、時間が止まっているのを目の当たりにした経験はもう一つあって、それは自分の時間は止まっていないのに、目の前の人のなかの時間が停止したというやつだ。母が息を引き取ったとき。あの光景は、時間というのは人のなかにあるんだ、というのを痛烈に感じさせる。

人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。

先ほど読み終えた、時間どろぼうの名作として知られるミヒャエル・エンデの「モモ」より。

今日は若干無理くりな感もあるが、11時から19時まで急遽休暇とし、たまった振休を消化中。拾い物のような時間もまた、儲けもん的味わいがある。夜の打ち合わせにそなえて、そろそろ仕事モードを復活させねば。

2014-06-09

水に帰ろう

このあいだ実家に帰ったとき、ちょうどお昼どきだったので、ご飯やら買い物やらして一緒に帰ろうと、JRの最寄駅まで父を呼び出した。駅の改札前で落ち合うと、まずは蕎麦でも食べようということになり、最寄りのデパートの上にあるレストラン街に向かった。

しかし、あの建物はデパートと言えるのかな。昔は確かにデパートだったんだけど、今は一応ひとつの建物としての呼び名は持っているものの、なんの統一感もなくテナントが好きずきに入っている感じだ。上階はかろうじて食事処をまとめたフロアになっているけれど、あとのフロアは電気屋、パソコンスクール、楽器屋、内科クリニック、囲碁クラブ、市役所の連絡所と、なんでもござれである。ともあれ、駅最寄りの大きな建物に入った。

私たちがエレベーターに乗り込むと、中学生くらいの女の子2人組が乗り合わせた。エレベーターの中には4人だけ。扉がしまって、エレベーターが静かに上昇を始める。女の子2人組がカラオケを話題にする。そのデパートの上のほう1フロアは、カラオケボックスになっているようだ。彼女たちはそこへ向かっているのだろう。

父が口を開く。「こんなところにカラオケボックスつくって、人入るのかなぁ」って、え、それ私に言ってるの、彼女たちに声かけてるの?それとも独りごと言ってるの?声が大きいので判別できない。特にどれという意思もないのかもしれない。ともあれ、その声は確実に彼女たちに届いている。それは間違いない。

とっさに私は、ここで女の子たちをびびらせてはいけないし、父が女の子たちにうざがられてもいけないと、所作を選ぶ。大丈夫、安全です、無害ですというふうを、彼女たちに無言で示す。私はこの人の娘であって、ほら私はかなりノーマルな、どこにでもいそうなお姉さん(あるいはおばさん)でしょう、怖くないでしょうというふうに笑う。すこし申し訳なさそうな顔して、声を出さずに微笑む。下手に何か口にしたり詫びたりすれば、父に対して失礼になってしまうから、彼女たちのほうに顔を向けて、表情だけでこの場を穏便に済まそうとしていた。無意識にやっていた。

すると彼女たち、思いのほか自然と「うーん、そんなこともないですよ、そこそこ人入ってます」と普通に返答をよこした。私は、あ、大丈夫なのかと、ひとり胸を撫でおろす。今度は一転、自分のつくろった振る舞いに恥ずかしさを覚える。なんなんだろうな、私はまったく。下手な心配、取り繕った態度は、父にも彼女らにも失礼というもの。なんだかなぁ。まったく。そう思った。私がいちばん、しみついちゃってるんだよなぁ。

一瞬の中和剤が利いたからこそ、彼女たちは平静に返答できたのでは、という可能性も捨てきれはしないのだけど。ともかく、もっともっと、私は水に帰ろうよ。そう思った出来事だ。

2014-06-07

親知らずを抜く

歯を抜くとは大変なことですよ。「5分くらいで終わりますよ。そんなにたいそうなことではありませんから、大丈夫ですよ」、そうおっしゃいますけれども、いや、麻酔しないと痛いことなわけでしょう、なんかものすごいよくわからないやつでメキメキ、メキメキって顔ごと揺れましたでしょう、終わった後ぶくぶくぺってすると真っ赤でしたでしょう、「はい、終わりましたよ」と言われて、願わくばすぐ失礼したいのに腰くだけちゃって、こりゃすぐには立ち上がれますまいという感じになってしまいましたでしょう、「大丈夫ですか、ちょっと横にして、ゆっくりしていきますか」というので、目を閉じてしばらくじっとしていたら目から涙がこぼれてきましたでしょう、はぁ痛いというんじゃない、悲しいというのでも言い切れていない気がする、罪悪感、喪失感、この涙はなんだろう、意味づけの言葉を探してみるも、これという言葉が見つからない、かといってそう複雑な感情とも思われない、これこそ人間の真正な感情の表出のように感じられますでしょう、処置が終わった後も違う薬を3種類も処方されて、これ飲まないと平穏ではいられないというわけでしょう、「今日はお酒と運動は控えてくださいね」って、もう全然後までひきずってるってわけでしょう、たいそうなことが私の身に起こり、今なお起こっているというわけでしょう。やっぱり、歯を抜くとは大変なことですよ。

いやぁ、大変なことをしてしまいました。このたびは私の一存で、多大なるご迷惑とご心配をおかけしまして、合わす顔がないとはまさにこのことです。体内の小人諸氏におかれましては、怒るもの、嘆くもの、意気消沈するもの、さまざまあろうかと思われ、あるものはまた私が服用した薬によって、その感情の発露すら断たれている状況かと思うと、胸が痛みます。自分がしたことの事の大きさに、今さらながらびびっている次第です。しかしながら、まだもう2本抜く予定になっており、これをともに乗り越えていただきたく、どうかご理解賜りたい。

親知らず 抜いた歯に詫び 親に詫び
腰はくだけて 足もとゆらり

歯医者を出た後、うたわずにはいられず詠んだ一句。下手っぴなのもまた、ひとつの歯が全身、全霊に強大なる影響をおよぼす様をえがくエッセンスとして味わえるというものです。

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