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2014-03-09

転換期という時代背景

ある企業さんから、春先に開く社員総会で100名強を相手にキャリアの話をしてくれないかという相談が舞い込んだ。昨年3月にSlideshareにアップしたスライドを見て、お問い合わせくださったそう。講師らしき経験は数えるほどしかないので、いつも以上にびびりながら打ち合わせに出向いたのだけど、そういう状況ならこういう話はできるかなということに落ちつき、結局お引き受けすることになった。

しかし私の日常は、キャリアの中でも「学習」にフォーカスをしぼった仕事にどっぷり浸かっている。「キャリア」という広域の概念をすこし浴びなおして言語感覚を刺激してから話す内容をまとめるのが良かろうと思い、2冊ほど最近のキャリア本を買ってみた。

そのうちの1冊が児美川孝一郎さんの「キャリア教育のウソ」という本で(これは学生の就職活動寄りの本なんだけど面白かった)、その中に

転換期とは、かつての古い「標準」は崩れているが、新しい「標準」はいまだ生まれていない時期のことである。

という一文があった。なるほどなぁ、うまいこと表現するものだなぁと思いながら読んだ。

転換期に立っている時に、「今は転換期です」って言い切るのって難しいよなぁと思っていた。A→Bに転換した後に、AとBの間を「あの時は転換期だった」と指し示すのは比較的楽ちんだと思うんだけど、確立されたBがない時点では、先々に一通りが転換し終えてBに落ちつく保証もない。一向にBが確立されなければ、今は転換期とはならない。Bがやって来ないなら、今は崩壊期や終末期かもしれない(でも、んなこと言い出したらやっぱりさびしいので、何らかのBがやってくる可能性を信じるか、あるいは自分たちで創り出す意志をもって、「転換期」と言うことになるとは思うんだけど)。

けれど、いずれにせよ時代の大きな転換期となれば、100年〜300年くらいの尺で見る必要があるんだろう。と思うと、かつての古い「標準」が崩れている時点で、これはもう「今は転換期です」としてしまって、とりあえず自分が生きている時代は「死ぬまで転換期であり続けるのだ」と割り切ってしまったほうが、すっきり生きられる気がする。

生きている間と言わず、その後も転換期が終わる保証はないのだし。もしかしたら、この先ずっとずっと転換し続けて、どこかに落ちついて数百年という日々は訪れないのかもしれない。人のキャリアは多様化の一途をたどるのかもしれない。

この本は、「何歳になったら、たいていの人はこうする」という標準が成り立たなくなったからこそ、今「キャリア」という概念が脚光を浴びているというのに、正社員として就職することを念頭においた、崩れ去った「標準」ベースのキャリア教育をそのまま続けているのは滑稽だ、と指摘している。

帝国データバンクによると、企業の設立から倒産までの平均年数は、時期にもよるけど、ほぼ30年超に落ちつくそうだ。今後はもっと短命化するだろうし、会社の設立からずっといる人など限られるから、社員が出入りするのを前提とすると、終身雇用どころか、20年同じ会社に勤務するというのが、なかなかイメージできない世の中だ。

一方、個人が働く期間は40年、50年と長期化の様相。「仕事」とか「働く」という概念自体も、いろいろと多様化していくのだろうし、転換期を生きているんだという前提で、変化とともに生きることを楽しみたいと思う。

とか書いているうちに誕生日を迎えた!Googleのトップページにアクセスしたら、Googleロゴがケーキになってた。というわけで、日が明けて一番最初にお祝いしてくれたのはGoogleだった…。ありがとうございます。この一年も、どうぞよろしくお願いします。

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