職種名とアイデンティティ
日本は欧米から多くのものを輸入しているけれど、新しい概念とか制度とかを持ってくるときに、表層的なところだけすくってそのまま使おうとするから無理が出るとか、意味がないとか、そんな話をよく聞く。新しいものを外から取り入れるのはいいけれど、もっと本質を理解して咀嚼して、日本の実態にあわせて適用すべきじゃないかと。
職種については、どうだろうかと考えた。職種名も、インターネット界隈なんかでは、いろいろ新しいものが輸入されているように思う。いまやグローバル社会で、特にインターネットの業界など世界共通で分け隔てなく考えたほうが自然なものも多いだろう。
ただ、社内も取引先もおおかた日本人で構成されているような職場環境なら、あるいは自分自身がこってり日本人タイプなら、日本の実態にあった職種分類やチームワーク、日本人にあった職種の捉え方について考察してみるのも悪くない、かもしれない。
職種分類は、欧米のほうが日本よりはっきりくっきりしているという話を聞く。それぞれの職種名がきちんと立っていて、アートディレクターはアートディレクターの仕事をする、デザイナーも然り、エンジニアも然り。自分の果たすべき職能を発揮し、それ以外の仕事はしない。そういうチームワークで、プロジェクトを進める。というような。
(最近聴いたわけじゃないので、もし事情が変わっていたら教えてほしい。あるいは、そもそもそんなことないという話もあれば聴きたい。どっちかっていうと、緩和傾向にあるんじゃないかと想像するけれど)
それに比べると、日本はそういうところの線引きが曖昧で、代表格に「総合職」と「一般職」での採用とかがある。私がおつきあいの深いWeb業界だと、ディレクター・デザイナー・プログラマーなどの職種分類があるけれど、実際問題ディレクターの職能を何とするか辺りは、業態、会社、プロジェクトごとにだいぶ異なるもので、1社の中でも個人差が大きくて混沌としているケースが少なくない。
期待される役割が、個人の力量やバックグラウンドによって変わるのは日本に限った話ではないはずだし、世界各国どんなチーム編成でも互いに協力し合わないといい仕事はできないわけで。
とすれば、これは程度問題かもしれないけど、日本のほうが職種の分類があいまいなチームワークで仕事を進めることが多いとするならば、それはそれとして、意識的にうまいこと活かしていくのも方法だよなと思った。
風呂敷とかばんの話を読んでのことだ。薄羽美枝編著「賢者の本」の文化科学高等研究所の山本哲士氏の講義から。
風呂敷にも述語性があります。先ほどから述語性という、日本語には主語がありませんと言いましたけれども、風呂敷一枚、布一枚、それをバッグのようにもできれば、一升瓶も包める、一本も二本も包める、平らなものも包める、立体的なものも、包める、何でも包めます。これが述語性です。
どういうことかというと、対象に自分の側が合わせていくのです。ヨーロッパではこの発想は有り得ません。対象は向こうにいって分離して、かばんのように全部機能をきちんと作っちゃうのです。だから、かばんは便利だし、要するに、何でもスポッと入れればいい。だけれど、そこに一升瓶は入らない。スイカは入らない。ところが、風呂敷はそれを全部できます。先ほどの箸もできます。全部作用できますね。これが述語性ということです。
ここまでうまいこと断定的に言われちゃうと、かえって反抗心を煽られる方もあるかもしれないが、日本人が「対象に自分の側を合わせていく」という感覚は、なんかしっくりいく感じがする。私の個人的なものだろうか。
いずれにせよ、欧米から輸入される新たな職種名に心かき乱されることなく、何年持つかわからない職種名に自分のアイデンティティをゆだねることなく、述語的に自分の役割を捉えていく、そうやって自分ができることを広げていくほうが、時代に即した変幻自在なアプローチだと思う。風呂敷が「包む」という述語でアイデンティティを捉えるように。
日本語には主語がない、とよく言われる。これ、日本語に特徴的なものかと思ったら、そうではなかった。世界の言語の8割は主語などないそうである(*1)。これを知って、こってり日本人の私は妙に納得感と安堵を覚えたのだった。そうだよな、そりゃそうだよなと。となると、よく指摘される「日本語には主語がない」というのは、英語との比較か。
東洋の思想には、「私という個が先にあるのではなく、関係の総和として私(個)がある」という考え方がある(*2)。これが、私にはとても自然に感じられる。「対象に自分の側を合わせていく」のと同様に。グローバルにやっていく上では、こればかりでは成り立たないんだろうけれど、自分たちの自然体を意識化して、それを強みとしてうまく活かしていけたらいい。
*1.薄羽美枝編著「賢者の本」(山本哲士氏の講義より)
*2.飲茶著「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」
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