目とおでこ
数年前から翼状片(よくじょうへん)という目の病気もちである。目が紫外線に弱かったり、漁師のように陽を浴び続けているとなる病気らしい。私はかなりインドアな人間なんだけど、両目ともかかって、白目にかけらのようなのが肉眼でしっかり見える。これが黒目のほうに侵入してくると視力に影響が出るので、手術で取ることになる。だけど、取っても再発率が高いので、延ばせるかぎりは取らずに様子をみる、というものらしい。
ということで、目の手術なんて、想像するだけで卒倒しそうな私は、病名を与えられてから数年寝かせてしまっていたのだけど、昨年の晩秋あたり、仕事で目を酷使したためか充血がひどい日が続き、いよいよまずいかと思って、重たい腰をあげた。会社近くの眼科クリニックで紹介状を書いてもらい、大きな病院へ。
12月に診てもらったところ、両目に翼状片、加えてひどいドライアイ。なんでも「あなた、普通の人の5分の1しか涙の量がないよ」とのこと。ドライすぎる。それによってか、目の中に傷もできているとの診断。とりあえず、すぐ手術するのも難しい(荒れている)というので、しばらく目薬をさして事態の沈静化を図ることになった。
それにしても、涙量を測る検査というのが、「目のなかに乾いた紙を入れて数分置いて湿り具合を測る」という、そのまんまじゃないですかっ!という検査法。直前に麻酔の目薬はさすものの、手に汗びっしょり、心はぐったり、紙はしっとり。
病院で使う器具とか検査ツールの類って、「もう!そのまんまじゃないですかっ」みたいなのばっかりな気がするのだけど、医師だけじゃなくて、その先にいる幼気な患者の気持ちに寄り添った製品開発したら億万長者になれるんじゃないかしら。コストあがって病院に採用されるまでが大変なのか。その辺頑張ってくれる方がいたら、ぜひ「採血」からなんとかしていただけると有りがたい…。
それはそれとして、目薬さしながらしばらく様子をみた2月の本日、病院を再訪。涙量を測る検査はなかったけど、眼圧の検査、これも怖い。か弱い目めがけて風を飛ばしてくるって、そんな横暴な…。「はい、おでこを器具から離さないでくださーい」って、危険が訪れることをわかっていて、よけない人間がどこにいるというのだ。
「は、はい」と答えながらも、何回やり直しても器具からおでこが離れる。途中で笑ってしまったが、おでこが逃げるのを私には止められないのだった。おでこに同情しながら、よしよし、おまえは悪くないよ、と胸のうちで慰める。
こういうとき、思う。私は、「私」という統合された概念の意志によって動いているのではないのだよなぁと。ある時はおでこによって、ある時は目によって、私は動かされているのだ。結果が私である。私という概念の意志が、どんなにおでこをたしなめたところで、おでこは私の言うことを聞いたりしない。よけるものはよけるのだ。私というよくわからない概念より、おでこという存在明らかなる細胞。むちゃくちゃだけど、あながちむちゃくちゃでもない。
それで、ともかく診察は「前に比べると落ちつきましたね」ということで、もう3ヶ月目薬をさしながら沈静化を図る。5月の様子をみて、右目の手術を考えましょうとのこと。がびーん、手術…。とりあえず、そのことは5月まで思い出さないことにする。目薬をさしながら、紫外線をさけながら、穏やかに3ヶ月過ごそう。
全然関係ないけど、診察中に「あなたは、あれだね、作家と同姓同名だよねぇ」「えぇ、そうなんですよ」という、よくやる会話があったんだけど、その後に先生「親戚とか、何か関係あるの?」、私「いや、まったく…」、先生「(後ろの看護師さんに向かって)彼女は山梨だっけ?」、看護師「えぇ、山梨です(断定かつ即答)」というやりとりがあった。彼女は出身地まで一般常識なのか、と感心した。
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