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2014-02-04

ろくでもないとこも

今読んでいる本は、飲茶(やむちゃ)さんの「史上最強の哲学入門」。この間まで東洋の哲人(青い本)を読んでいたんだけど、今は西洋の哲人(赤い本)に移った。どちらも面白い。

どどーんと太っ腹に平易な文章で書かれていて、最近読んだ章のルソーなんて「無職で、倒錯した性癖のある四十代のニート」呼ばわりである。

ルソーは、人民主権を説いてフランス革命に多大な影響を及ぼしたフランスの偉大な思想家として知られるが、四十近くまでは、うだつのあがらない芸術家志望だったそう。

愛人との間に五人も子供を作っては次々と捨てたり……、婦女子の前にお尻を出して現れたり……、と品行方正とはほど遠い、露出狂のろくでなしであった(なお、尻出し事件で捕まった件について、彼は「こうすれば彼女たちにお尻を叩いてもらえるかもしれないと思って……」とダメな釈明をしている)。

それが四十近くになって気まぐれに応募した論文が受賞して、一躍、時の人になったとのこと。

どうしようもないルソーであったが、たったひとつ凄まじい才能があった。それは「情緒的で感傷的な、みんなを泣かせる大衆受けする文章が書ける」という才能であった。

教育者としては明らかに失格であろう露出狂な彼の教育論を説いた本「エミール」は、現在でも教育界で必読書とされ、彼は教育学の祖と呼ばれたりもするという。

「国家とは、公共の利益を第一に考えて運営される、民衆のための機関である」という現代に通じる国家観を民衆に浸透させたルソーの功績は計り知れないほど大きいだろう。

世の中どれもこれもに完璧な人なんていなくて、聖人でも秀才でもない人間が、どこかに欠陥を抱えながら、それでも自分が役立てる社会的役割を果たして不格好に生きている。ということを、よく思う。そう思えば、人を批判的にみるばかりではなくて、私たちはお互いをどんなふうに生かし合ったらいいかと、考えやすくなるんじゃないか。

ルソーはまぁ、かなり極端な例かもしれない。けれど、例えば「政治家の浮気」がスキャンダルになったりする。正直なところ私には、浮気をするとか妻以外に好きな女性がいるのが政治家としてダメ(=政治能力が低い)というのが、どうつながるのか見えていない。それって関係あるんだろうか。辞職する必要があるのか。愛人がいなくて政治能力が低い政治家より、愛人がいても政治能力が高い政治家のほうが、国民的にはいい気がするのだけど。いや、別に愛人がいなくて政治能力が高い政治家でもいいけれども。いるいないは評価軸に含まれるのか。

もちろん、奥さんがその政治家を袋だたきにするのは自由だ。夫としてダメというのは、私にも理解できる。奥さんの友人、親戚が腹を立てるのもわかる。けれど、それは夫婦という関係性での話だ。なぜ政治家と国民という関係性でつながっている立場から、自分のプライベートを責められなければならないんだ!と言われれば、そうですね、関係ないですね、と私は思ってしまう。

当人が起こした問題に直接・間接に関わる人が、その人を許せないというのは、もちろんあって当然と思う。残忍な罪であれば、生涯許せないということもあって当然と思う。でも、その問題に直接・間接には関わらない人が、直接問題に関わる人と同等に、その人のその後の人生を、その人との関わりを、一切断じてしまったら、多くの非聖人に機会は残されなくなってしまう。問題を起こしたその場所から離れたところに、何らかの開かれた機会があるからこそ、私たちはいろいろと失敗しながらも、社会的役割を担って生きていくことができるんじゃないか。

いや、政治家って役割が特別ダメなんだよ。というなら、なんだったらいいんだろう。民間だったらいいのか。サラリーマンだったらいいんだろうか。社長だとダメなんだろうか。部長になるのはどうなのか。大きな会社だとダメなのか。その線引きは誰が決めるんだろう。どれくらいの期間もつ、どれくらいの人数に支持される価値観だろう。なんてことを考えてしまう。

その社会的役割と関係ないところ、あるいは遠い昔の失敗や失言を取り上げて、人から社会的役割の機会を取り上げていったら、誰も何もできなくなってしまう。やっぱりこの人じゃダメだ、この人もダメだ、とっかえひっかえを続けて、改まってじゃあ誰ならいいの?って考えたときに、誰もいないですね、ってことになってしまう。

それよりは、それぞれに社会的役割と人のつながりを支援して、社会的にどう活かすかというほうへ意識を向けたほうが、世の中の力は満ちていくと思う。

理想論、きれいごとかもしれない。自分で書いていて、抽象論だなぁと思う気持ちもある。でも、私たちの世界には、時として断じる父の手も必要なら、時として包み込む母の手も必要だ。どちらも、必要なんだと思う。人のろくでもないところに社会が心を広くしていないと、可能性の世界は閉じていく一方だ。バランスの問題ではあるけれども。はぁ、駄文すぎた…。

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