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2014-01-23

感じていること、表出するもの

ブログを書くとFacebookに自動投稿される設定を、一旦止めたのだけど(2つ前の話参照)再開した(早い…)。2つ前の話を読んで声をかけてくださった方、ありがとうございました。先週今週と集中的に、このブログに関する意見をうかがう機会があり(シンクロニシティ?)、そんなこともそうそうないので、いただいた言葉を大事にします。

自動投稿をやっぱり戻すかと思ったのは、「インターネットは情報を発信する側ではなく、受け取る側がコントロールするものだ」という話を聴いて、これは頼りがいある真理って感じする!と直感的に思ったからだ。私は真理に弱い。

だからまぁ、気楽に送り出そうと。「自由に、オープンに」、私にとってはこの手の文章も流すことがオープンさの体現ってことでいいじゃないかと。それで再開することにした。自分のことだけど、自分で決めたというよりは、おのずとそうなった。無為自然とは、なるほどな言葉だ。

あと一昨日、青山学院大学院の苅宿俊文教授のお話を伺ったとき、私が人に読んでもらえるところに文章を置くのはこういう背景もあるかなぁと思い、大変印象に残った(言葉を正確に書きとめられておらず、自分なりの解釈だけど)。

自分が「感じていること」と「言っていること」を合わせていくためには、他者の視点が必要なんです。自分が「感じていること」を他者に表出して、その人から質問や意見や感想をもらって、そうした相互の関わりの中で、自分が「感じていること」と「言っていること」を合わせていく。そうやって知的生産活動はなされていくんです。

これを聴いて、私が人の目の触れるところに個人的文章を置いているのは、共感を求めるというより、自分の「感じていること」と「言っていること」を合わせていきたいって感覚のほうがフィットするなぁと思った。そればかりでもないと思うけど。

自分が「感じていること」って、言葉やなんかで外に表出してみても、そのままそっくり言い表せた感覚は覚えない。とても難しい。でも言い表してみることで、「感じていること」と「言っていること」がいくらか合わさっていって、自分が本当に感じていることは何なのかを探り当てていくような、真理にいくらかでも近づいていくような感覚は得ることができる。

たとえ読んだ人のリアクションがなく、あるいは誰も読まなかったとしても、人が読む前提で文章を起こしていくだけで、自分しか読まない前提で書く文章よりずっと、「感じていること」と「言っていること」が合わさる作用は働くんだと思う。そういう状況で文章を書くのが、ひとつ私にとっては大事なことなのかもしれない。そこからさらに、誰かが興味を示して読んでくれれば単純に嬉しいし、何かリアクションをもらうことで「感じていること」と「言っていること」が合わさる作用もまた深まるんだろう。

といって、人が読む前提で書かずに、そのまま放置してあるメモ書きも散在しているんだけど…。とりあえずこれでブログの話は終了。このぐだぐだ3部作におつきあいくださった方に感謝。

2014-01-21

ビートたけしの若者論

NEWSポストセブンの「ビートたけし 視野の狭いオタクが飯のタネにされる構図解説」というのがFacebook上で話題になっていたので覗いてみた。文脈を理解する上ではリンク元をひととおり読む必要があるけれど、一部引用する。

若いヤツの多くが、無理して働いて自分の収入やステータスを上げようとしなくても追っかけられる趣味や道楽を選んでしまっているわけだよ。アイドルだとかスマホだとかラーメンみたいな狭いところに自分のテリトリーを限定して、その中だけで生きていこうとしているんだよな。 だから給料が少々下がろうが、税金が増えようが、そういうことは見ようとしないし、深く考えない。楽に稼いで、その範囲の中で自分の好きな分野だけを見て生きていこうってヤツが多いんじゃないか。

これを読んだとき、「臨床とことば」という臨床心理学者の河合隼雄さんと哲学者の鷲田清一さんの対談本の中の話と重なってみえた。

鷲田-昔の哲学は宇宙とは何ぞやとか、人生とは何ぞやとか、いつも全体を見渡すような知というものを求めていたように思うんですけれども。そういうこと自体が不可能になってきている。そして自分の小さな、たとえばどんな家が持ちたいとかどんな奥さんがほしいとか、老後はどうしたいかとか、どんな思いで暮らしたいとか、非常にプライベートなところでしか、幸福をイメージすることができなくなっている

一言で言うならば、「若い人がちっちゃくまとまっている」問題とでも言おうか。では、その話を受けて河合隼雄さんはどう応じたのか。

河合-同じことをちょっと違う言い方をすると、そもそも昔の青年、つまりわれわれが天下国家を論じてたというのは気宇壮大みたいだけれども、まったく幻想の中に生きてたということですよね。いくら論じてたって何もできなかったんだから。天下国家を論じられるという幻想の中にただ浸っていただけで、論じてみても何にも役に立たないということが、今わかってきて。そうすると、本当に自分の生きている世界で「自分が幸福とはどういうことか」とか「自分がおいしい水を飲むにはどうしたらいいか」というようなところに近づいてきたというのは、ある意味で言うと「各人が自分相応に考え出した」という言い方もできますね。昔の青年は、ある意味で逃げていたわけですよ。

この「言い方」に、なるほどと思う人もいれば思わない人もいるだろうけど、河合隼雄さんも当然これ一本の見方で捉えていたのではないだろう。いろんな言い方、見方ができることを示すために、「若い人がちっちゃくまとまっている」問題を、一般的な見方と違う言い方で提示してみせたということだと思う。

そして、この話を見比べつつ思ったのは、今の私は若者のそれに寄っている気がする、ということだ。私は狭いテーマですら「これは任せろ!」というものをもっているわけじゃないが。

ただ、20年近くやってきた仕事を引き続き積み重ねていって、少しでも専門性高く人様の役に立てたらなと思っている。あとはもう、家族と友人の助けになることをささやかにしていくくらいで、この人生はいっぱいいっぱいだろうなぁと、ある意味小さくまとまっちゃっているのだ。

たとえば父が介護を必要とするようになったら、かなりの時間をそこに割くことになるだろうとか、家も実家住まいにするかもしれないとか。家族一人守るだけでも相当な大仕事になるから、そんなに多くのことをこの先抱え込んで全うできるとはなかなか思えない。それで身の丈にあわせて自分ができることを粛々と、とか思ってしまう。もちろん今もっている役割は、ハードワークだろうと何だろうとしっかりやり遂げようと意欲的に思っているけれど。

ここまで分かりやすく小さくまとまっちゃったのは、ここ数年のことかもしれない。母を亡くしたことで私の中に起こった死生観はけっこう存在感があって、あと何年生きられるかわからないし、せいぜい20年か、みたいなのが静かにずっとある。その中でできることを考えると、そんなに無責任なこともできないなぁとか思ってしまう。

それに加え、母は自分が長年かけて築いた家族全員に看取られてこの世を去ったけど、私はそうした家族をもたないので、父をきちんと看取った後は、一人で亡くなるんだろうなぁと想像されるわけだが…。それを問題視するでもなく、どう現状を変えるかと考えるのでなく、それを環境として受け入れて、そこでどう生きていくか、それでOKな精神をどう築くかみたいな発想になっている。

家族をもっても、うまくいかないところはうまくいっていないし、お別れもするし、どうあれ多くの場合死ぬのは最期一人だしなぁとか、そういう現実的なことを知識として持ち過ぎたってことかもしれない。こういう「先人の残したものを知識として、ちっちゃくまとまっている」感じというのは、現代の若者的なのかもしれないなぁと思うのだった。いやぁ、暗いですなぁ、暗いですなぁ、そんなに暗い人間でもないんだけど、なんかすこぶる暗い人っぽい文章になってしまった。暗いんだろうか。いや、ゼロを起点にして明るい未来を志向するタイプなのだが。

しかしこれじゃあ、上から見てものの一つも言いたくなるだろうなと思う。そういう発想がつまんないんだよ!何小さくまとまっちゃってんだよ、変えりゃーいいじゃないか。30代後半で、まだなんにも見えてない小僧が年取っただのなんだのと生意気なこと抜かしやがって。そんな感じだろうなぁと思う。

でも、50年先いったらそれが当たり前になっているかもしれないし、それももう古い発想になっているかもしれないし、わからない。揺り戻しみたいなのもあるんだろう。上の人たちもまた、これが優劣や善悪の問題なのか、それとも時代変化ってことなのか、曖昧な部分を抱えているのかもしれない。

おそらくだけど、先日のブログで書いた火曜の人も、私の文章うんぬんより、こうした生きざまにもの申したかったんだろうと思う。ビートたけしさんの話を読んで、そう思った。昔もよくそうやって気づきを与えてくれた人だ。鈍いので私はいつもその場ですぐに気づけないのだが。

そんなわけで、目上の人に発破かけられる機会もせっかくもらったので、私は私なりに、やわらかい土の上で模索しようと思う。歳を重ねるとなかなかそういう機会もなくなるし。って、また年寄り発言をしてしまっているが、まぁでも事実、有り難い機会だったのだ。

2014-01-18

自棄と開き直りの間

一週間前の日曜日、このブログを面白いと言ってくださる方からインタビュー取材を受けるという機会があった。インタビューすることはあってもされることはないので、前日あたりからドキドキして過ごしたが、当日は彼女の自然な導きもあって、意外に気負わずおしゃべりできた。

その2日後の火曜日。昔お世話になった方と久々に会って食事した際、あの中二病みたいなブログは何なんだと一転、叱られまくり。上がったものは落ちるものだ。狭い世界だけ見てあんな要領を得ない文章を書いてる暇があったら、もっと世の中をみて、もっといろんなものを読んで情報をたくさん摂取して、もっとオープンにいろんな人とつきあって、閉じた世界から出ろと言われた。お前の立っている位置がそもそもズレてんだ、それにまず気づけ、そして変われ、というメッセージと受け取った。

もうそろそろ、この辺りで腰をすえてやっていったらいいかなぁとよぼよぼ思っていた矢先、一気に足もとが危うくなった。そればかりでなく愉しくおしゃべりして帰ってきたのだが、家に着いてからボロボロこぼれた涙にどんな意味があるのか、つかみどころないまま今日に至る。

ただ、そのとき直感的に思ったのは、あぁ私はけっこう必死にぎりぎりで生きてるんだな、ということだ。その意味も今だよくわかっていない。私は瞬発的に何かをとらえるのが得意じゃない。言葉にならないものに適当な言葉を与えるのも苦手なので、とりあえずそのままにしてしまう。そういうのも中二病的なのかもしれない…。

そして3日後の金曜日。別の方との会食に際し、あのブログは長いし、断定口調で堅くて人の意見を受け容れる余地のない感じがするし、人に共感してもらいたいと思ってFacebookに連動して流してるんなら、もっと人に向けた文章書かなきゃとの指摘を受ける。一週間で見事な二段落ち。世の中には流れというものがあるものだ。

しかし火曜日のときも、共感されたくてブログ書いてるんだろと言われたけど、それは違って、自分はものを考えるとき、文章に起こしながら考える。その一部がブログになっている。ただ結果的に、ブログを読んで共感してくれる人があれば、そりゃ嬉しいし、そうでない感じ方や考えに触れるのも、それはそれでありがたいと思う。

できるだけ多くの人に読まれたいという、いわゆるブロガーっぽい思いがあるわけじゃない。ただ、書いてアップロードしたものを読んでくれる人があれば、それは嬉しいと思う。何が先で、何が後と、なんでもかんでも因果関係で説明するのは違う気もするんだけど、因果関係っぽく説明するならそんな感じだ。

じゃあ、あんな中二病みたいで他人には読みづらい文章、シェアしなくてもいいじゃん。それは確かにそうだ。友人の中にも、日々の日記はSNS上に自動でシェアせず、特別共有したいエントリーだけ手動でシェアしている人がいる。自分がSNSでつながっている人がこれだけ多数・多様になったのに、あの文章を「読んでくれー」とばかりにシェアするのは現状にそぐわないかもしれない。と思い、とりあえずFacebookとの連動は切った。特別共有したい意志をもって書いたエントリーが出てきたら、それは手動でシェアしよう。

で問題は、そもそもああいう要領を得ない文章をブログとして公開することがどうなんだという指摘だ。それはとりあえず、今ここにこうして要領得ない文章を書いているように、引き続き書いていこうかなぁと今のところ思っている。

これまでにも、自分で判断してブログに載せなかったメモ書きはたくさんあるんだけど、どこで載せる載せないの線引きをするかは難しい。結局、自分が書いた文章を、よし、これは中二病レベルじゃないと適正に自己評価できるわけでもないし、誰かが事前にチェックしてくれるわけでもない。ただの個人ブログだ。書き続けながら、中三、高一と成長していくほかない。多少、生活改善は始めたし…。

それに、程度の差こそあれ、非の打ち所なくどれも完璧にこなしている人間なんていない。文章表現にしたって、生きざまにしたって、みんな完璧じゃない。「完璧でないのが人間」て前提でいくなら、私が個人的なブログで、誰に読むことを押しつけるでもなく、お金をとるでもなく、ネットの片隅に醜態をさらしているくらい、載せようが載せまいが勝手にしたらーという話だろう。

もちろん、自分が大事に思う人に失望されるのは嫌だし、できることなら期待に応えたい。というばかりでなく、人の指摘を受けて自分がもっとこうしたいと思うところは、そのように変えたい。人それぞれだよねーというんじゃなく、絶対的な真理があるなら、それを知ってそれに倣いたいという気持ちもある。でも実際に、何に倣って、何をしたくて、どうしたら期待に応えられるのかって、すごく複雑で難しいし、気持ちを切り替えれば翌日から中身総入れ替えできるわけでもない。

なので私としては、「いいわよ!ブログも何も全部やめるわよ!テキストエディタでハードディスクにカタカタ残していくわよ。これでいいんでしょ!」みたいな自棄を起こすのでもなく、「何を書こうと私の勝手でしょ!」とはねのけて開き直るのでもなく、ブログを書いていきたい。大事な人にもらった言葉は大事にしたいし、自分の中でのブログの意味みたいなものも大事にしたい。

自分の心のうちについてあーだこーだ書くというのは、この先もそのままかなぁと思う。人間て、自分の外側の世界と同じだけの広さをもって、自分の内側にも世界をもっているのだと考えている。そこをあんまり小さく見積もっていると、知らぬうちに中が壊れる。私はそんなイメージをもって、心のうちを書いている。それがまた中二病ってことなのかもしれないが、まぁそれはそれでいい。

2014-01-11

教育者としてのお釈迦さま

「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」によれば、お釈迦さまは「自分の言葉を文章に残すことを好まなかった」。そこで釈迦の死後、弟子たちは記憶を持ち寄って定期的に集まり、釈迦が生前言っていたことを経典としてまとめようとしたが、その経典作りは困難を極めたという。

というのも、弟子たちが釈迦から聞いた話がみなそれぞれで違っていたからだ。もともと釈迦自身は「一貫性」というものにそれほどこだわってはいなかった。なぜなら、彼にとって最大の目的は、目の前にいる人を「悟りの境地」に導くことであったからだ。だから彼は、個人ひとりひとりに合うように、毎回、手を変え品を変え、さまざまなやり方で教えを説いていた。
彼は小難しい理論や教義を上から押し付けるタイプのいわゆる教祖ではなかった。すなわち、「これこれこうなのだ」と理屈を教え込み説得するのではなく、「ちょっとこんなことをやってみなさい」と何かを実践させ、その実践を通して聞き手に「ああ、そうか!」といった「体験的理解(悟り)」を起こさせようとする。

というわけで、釈迦の発言は「目の前にいる人」によって異なり、あわせてみると矛盾しているものもあった。ゆえに、経典作りに際しては、釈迦の生前語った言葉を「言葉どおりに受け取って良いことなのか?」(普遍性が高い発言なのか)、「特定の個人宛に別の意図があって言っただけで、真に受けなくても良いことなのか?」(個別性が高い発言なのか)を解釈する必要があった。

この辺は、誰に向けて書いた文章なのか定かでないネット上の文章を読む私たちの日常においても、解釈の難しさをよく思う。「普遍性と個別性の線引き」をどこでどう解釈するかは、読み手にゆだねられている文章が多い。

閑話休題。釈迦にはたくさんの弟子があった。そして「言葉で伝達することができず、身をもって体験することでしか知りえないもの」を教えるのが釈迦の役割だった。

だからこそ釈迦は絶対に核心をつかない。核心の周辺をなでるようなたとえ話だけに説明をとどめ、弟子たちが自力で核心にたどり着けるよう、細心の注意をはらって語るのである。

ビジネスやサービスの領域で教育を扱うとき、ここの学習プロセスに対する注意はとても大事だと思う。ビジネスやサービスの領域では「受講者の満足度」の存在感が際立つ。効率化の時代、明快にわかりやすく短時間で「わかった」気になれるところを目指して、成果が出れば一定のやった感は得られる。

けれど、世の中には「言葉で伝達することができず、身をもって体験することでしか知りえないもの」もたくさんある。実務者のさまざまなスキル習得は、まさにこれだ。「このスキルを身につけるプログラムです」という打ち出しをするならば、そういうプログラムを設計して提供する必要がある。

もちろん、満足度の低いプログラムでは学習効果も望めないけど、そこどまりでもいけない。「学習者は満足、わかった気になって帰っていったが実際はわかっていない」という学習者の認識と実際のズレを引き起こすのでは、その後の継続学習の観点で害を与えているとも考えられる。

言葉で書くのは簡単だけど、実際このプログラム作りは本当に骨が折れる、論理的思考力と創造力を求められる仕事だ。これが満点なんていうのはない世界だけど、ここのところは大事にして人材育成の仕事に従事したい。

この本には、お釈迦さまが実際「ちょっとこんなことをやってみなさい」と導いたエピソードも紹介されているのだけど、その導きの見事なこと。教育コンテンツの創造力の豊かさにも、たいへん刺激を受けた。

2014-01-09

事例研究会のススメ

何かの実務を専門とする大人が集まって「勉強会を開く」というのは各地で催されているけれど、その基本構造は誰かが前に立ってしゃべって、それをみんなが聴くスタイルだと思う。

私たちが子どもの頃から慣れ親しんだスタイルだから自然とそうなる面もあるし、忙しい仕事人が短時間で新しい情報や知見を受け渡すのに能率的なスタイルを選択しているとも言える。新しい概念を知ったり、これまで見えていなかった・できていなかったことの気づきを得るには有用で、特にあるテーマの学び始めにはフィットするスタイルの一つだと思う(講義形式というだけで何の学習効果もないと断じるのは早計だと思う)。

一方で、講義形式はスキル習得に直接役立つ構造ではない。スキルが「自分でやってみる」ことなしに身につくことはない。

また、主催者がイベントとしての集客数を重視した場合、人数が多いぶん参加者の前提知識がまちまちになりやすく、話の構成はおのずと知識の基礎固めにフォーカスされやすい。「これから学び始める参加者にも満足してもらえるように、足並みをそろえる講義が必要」ということで、そのテーマを学ぶ重要性で学習動機づけ→「とは何か」の概念説明→どういう考え方があるかのモデル解説→その方法論や思考モデルについて理解を深めるための事例解説で、たいていは時間いっぱいとなる。

目的・ターゲット・ゴール・実施条件によっては、それが最適解となることももちろんあるのだが、勉強会の多くが意図せずそれに偏り過ぎてしまっているとすれば、それはもったいない。勉強会にはいろんな目的・ターゲット・ゴール・実施条件があるはずで、それに対応した勉強会の構造を講義形式以外にも選択できたらいい。ということで、事例研究会のススメを書いてみる。

ちなみに、ワークショップっぽいものを開こうとすると、事前に仮想課題をこしらえる必要が出てくる。これを多様な参加者が取り組みやすいテーマで、やって意味ある演習課題に落とし込むのは相当骨が折れる仕事だ。かといって、この辺手を抜くと、かなりぼやっとした勉強会になる。当日のファシリテーションも難易度が高く、いろいろと主催者の荷が重い。

それに比べると、事例研究会というのは、事例をもたぬ実務者はいないわけだし、比較的手軽に実施しやすいのではないだろうか。もちろん明かせること明かせないことはあるだろうけど、一つの事例を深掘りしてじっくり話しあうことで、抽象的な言葉の空中戦にならず、実践的な議論・知見の共有がしやすいかなぁと思う。

逆に言うと、飲み会やお茶会などで情報・意見公開しているときというのは、たとえ誰かが事例を挙げたとしても、聞き手はそうそう頭からお尻までじっくりプロジェクトを把握してもの言えるわけじゃないから、プロジェクトの背景や実施条件などがわからず、「まぁ、そんなこともあるよねぇ」としかもの言えなかったりする。「そういう条件下で、こういう状況に陥ったんだったら、もっとこうしたら良かったんじゃない?」といった批判的かつ建設的な議論の展開が難しい。

せっかく実務者同士が集まっているのだし、実務者は仕事で成果出してなんぼだ。いくら概念をしゃべれても実務で活かせていなければ仕方ない。誰かが提唱した抽象的な言葉を一切使わずに、自分の案件について自分の言葉で具体的かつ論理的に説明し、それをネタに参加者全員が議論を深め合えたら有意義ではないだろうか。

一言で表すなら、「少人数の実務者が集まって、一つの事例をネタに、ある関心テーマでどっぷり語り明かす小規模な勉強会」って一言じゃ息切れしてしまいそうだが…。

というわけで、じゃあ事例研究会的なものをやるとしたら、どんな感じで進めるかの案を書いてみる。自分がWeb系の仕事に従事する人の学習をサポートする仕事をしているため、そっち系の人をイメージして書く。3時間〜3時間半もの。

【準備】
●主催者は、特定の関心テーマで参加者を集める(UXでもIAでもUIでも、もっと狭く絞り込んでもいい)
●参加者には、自分が手がけた案件を事例としてネタ提供できる人を1人入れる
●参加者には、そのテーマに自分(主催者)より詳しそうな人を1人含めるといい
●参加人数は、全員でディスカッションできる程度に限定する(4〜5人、聴講入れたとしても8〜10人くらい?)
●主催者と参加者で、日時と場所を決める(場所は事例発表、落ちついてディスカッションしやすいところ)
●事例提供者は、事例を共有できるよう当日までにできるかぎりの準備をする(NDAを破らないように準備)
●主催者と事例提供者は、事例発表に必要な機材・備品などの環境は洗い出して用意しておく

[参加者向けのポイント]
○いろんな人が気負いなく事例提供者になれることが大事だと思うので、提供者に対する「しっかり準備して、うまくしゃべれよ」的なプレッシャーを与えない。提供者が当日うまくしゃべれない場合、聴き上手な人が質問して要点を聴き出しながら進める。それができないで当日ぐだぐだになったら、参加者全員の責任とする(くらいの勢いで)。

【当日の流れ】
1)主催者:アイスブレイク(10分)
●自己紹介とかしながら場をほぐしたり、遅刻者を10分くらい待ってあげたりする。
●自己紹介では、「今回のテーマに仕事でどんなふうに関わっているか」とか「自分なりに勉強してきた関連知識・スキル」などを情報交換。

2)事例提供者:事例紹介(60〜90分)
●事例となる案件の全体像を話す(クライアントの業種業態とか組織・サイト規模とかプロジェクトの目的・目標とかターゲットとか、前提事項・制約条件など)。
●プロジェクト発端から終結までの各工程を、「順をおって」「今回集まったテーマに関連するところにフォーカスをしぼって」説明する(各工程でどんなことをやったのか、どんな試行錯誤があったか、どう決着させたか、どうアウトプットして周囲の反応はどうだったか、それに対してどう対処したか、結果はどうだったか、どんな反省があるかなど)。

[事例提供者向けのポイント]
○時間をかけていいので、じっくり、つぶさに話す(ただしテーマに関わらないところは思い切って省く)。
○著名人の理論とかモデルとかの抽象的な言葉を持ち出さず、具体的かつ論理的に説明する。
○「ここで他の人だったらどうしたかなぁ」など、みんなに聴いてみたいことは後で質問できるようにメモっておく。
○NDAに触れることはしゃべらない、資料を見られないよう事前に消しておくなど、自分できちんと情報管理する。
○立たずに、着席して話す感じがよい(と思う)。

[聞き手向けのポイント]
○細々とした質問は途中でも自由にする。
○「自分ならこうするかなぁ」といった所見や、後ほどみんなでじっくり議論したほうが面白そうな話はメモに残しておいて、とりあえず一通りの話を聴く。

3)休憩(10分)

4)参加者:感想コメントを一人ずつ(20分)
●皆で議論したいこと、皆が普段どう対応しているか知りたいシチュエーションなどを挙げる(「あの場面は自分だったらこうしたな」といった意見や、「自分にも似たようなケースで同じように説得したつもりだけど、クライアントにこう切り返された。どう対処したらいいと思う?」といった議論のネタなど)。
●事例提供者も、「みんなに訊いてみたいこと」があればネタを提示。

[主催者か、できる人向けのポイント]
○参加者一人ずつの感想を聞きながら、有意義そうな議論のネタを抽出してメモっておく。

5)参加者:ディスカッションやらおしゃべりになだれ込む(80分)
●議論のネタ抽出も参考にしつつ、結論なしでいいので、好き勝手にしゃべる。各々持ち帰る。

さて、それでどうなるかはわからないんだけど…、成功したらぜひ教えてください…。

2014-01-06

本屋の散歩道

気になる本をいくつかメモって、新宿の紀伊国屋書店に行く。即買いたい本はAmazonで買ってしまうけれど、一度見合いしたい本などは本屋がいい。で、メモを片手に店に入ると、たいていリストアップした本をほとんど買わずに、別の本を買いこんで建物を出てくる。ちなみに新宿の紀伊国屋書店とは、8階建てのでっかい本屋ビルだ。いつもくたくたの酸欠状態で店を後にする。

本屋とはそういう場所なんだと納得して良しとしているが、リストアップしても買わずじまいなら、いっそメモを持たずに訪れてみたらと想像してみた。しかし、そうするとどうも得られるものが変わってしまいそうである。

毎度あのビルを全フロアひやかし歩く気力体力はないため、メモ無しだったらおそらく、1階の一押し棚と文庫本フロアを散歩するくらいで終わってしまうだろう。メモった本の多様さにもよるけれども、自分がリストアップした本に向けてフロアを行き来する散歩道、そこにこそ意味があるのだ。たぶん。

どのフロアを歩いても大量に本があるので、たいていはお薦めらしき平積みに専念してみていくのだけど、そうすると本と「目が合う」感覚を覚えることがある。これはAmazonにはない体験で、本屋で感覚する独特のものだなぁと思う。

実際はまぁ、いろんな人の力が働いているわけだけど、そうだとわかっていても極めて偶発的な出会いと感じられる余地が多分にある、それが本屋の魅力だ。これは私の関心外という本も視界に含めつつ、とにかくものすごい物量に圧倒されながら本に触れているので、私がその本に意識を向けた、視線をそこで止めたということが、ほとんど奇跡のように感じられる。ここのところに影響を与えている場の力は大きい。

この休暇中もそんな感じでリストアップしていなかった本を買ってきたのだけど、そのうちの一つが飲茶(やむちゃ)さんの「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」(マガジン・マガジン)。表紙から、これは目が合うっていうより…、静謐な哲学書が並ぶ中にこんなの置かれちゃ気にしないではいられないって感じだけど。

いっさいの言葉は、「世界にあるモノ(実体)」を指し示しているのではなく、ホントウは何らかの価値基準に従って世界に引いた、区別のための境界線を指し示しているのである。だから、言葉とは「区別(境界線)そのもの」だと言ってもいい。

なんて、今選ぶべくして手に取った感もある。本屋での本との出会いは、偶発性の先に必然性をも匂わせてくれる曖昧さが心地よい。

2014-01-01

統合も調和も

もう何年目になるのか、元日は中学時代の友人と連れ立って夕方から数時間、実家近くのマクドナルドに行って話しこむのがお正月の恒例となっている。妹には、いい歳なんだからもう少し店をバージョンアップしたらどうだと突っ込まれるのだが、まぁ実家近所で元日に開いている手頃なお店もないし、なんだかんだ恒例になると、これがいいんだよ、みたいな気分にもなるものだ。3年前、母の末期がんが見つかったときは、さすがに一回休みかと思ったけれど、そのときは友だちがわが家にやって来るというので、母も交えて3人で話をした。

今年も元日は、昼から兄一家を迎えて家族みんなで過ごした後、友だちと近所のマクドナルドに行って夕方から4時間半ほどしゃべった(さすがに店内はかなり空いているので、長時間居座っても迷惑にはなっていないふう)。

彼女と親しくなったのは中学1年生。もう四半世紀のつきあいだ。中学を卒業してからは、そう頻繁に会っているわけではないし、1年に一度も会わない時期もあったけれど、ここしばらくは少なくとも1年に一度お正月には会っている。

今年もいろんな話をしたが、ひとしきり話をした後に彼女が、私の話し方に理詰めのような堅さがなくなって、一年前までと比べてずいぶん穏やかな表情をしている気がすると言った。ちょうど私もこの年末に、自分の内面が「とけてきた」感覚をもったばかりだったので、生活感も人生観も自然児のような彼女がそう言ってくれるのを、ほぉそうかーと感慨深く受け止めた。

デザイン志向が度を越すと、さまざまのことを一つの型に収めること、つじつまを合わせること、一つに統合することにこだわり過ぎてしまう。しかし、事実は小説より奇なり。実際は、多くの偶発性に支えられて私たちは人生を生きている。因果律や根拠のようなものを絶対視するようになると、対極で働く力が見えなくなってしまう、存在しないものとして処理するようになってしまう。

これは人によって考え方が異なるところだろうけれど、私はどちらにも偏向せず、いい加減、いい按配なのが好みだ。オカルト的にもなりたくない一方で、因果律だけで世界のすべてを理解しようとも思わない。

組織の中にも社会の中にもいろいろある。一人の人間の中にさえ、いろいろある。いろいろあることを前提に、一つに統合することも、一つにまとめようとせず調和を志向することも、その時々で選べる人間でありたい。

今年自分が為すべきことは、すでになんとなく見え隠れしている。その一つずつに、力を抜いて、やわらかく自然体で関わっていきたいと思う。本年もどうぞよろしくお願いします。

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