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2013-12-29

型をくずす

ちょっと前、クレジットカードのことで質問があって、カード会社のサポートセンターに電話をかけた。(おそらく私より年下だが)お姉さんが丁寧に対応してくれ、一件落着したので電話を終える段に。お姉さん「ありがとうございました」、私「ありがとうございました。助かりました」と言ったら、電話越しに一瞬の間。お姉さん、「ぁ、ありがとうございました!」と改めて快い返事をくれた。

日は変わって仕事納めの日。(飲んでてだけど)ぎりぎり終電に間に合わずタクシー帰り。運転手さんが「僕はこう思うんだ」とよく話す方で、それをふむふむと聴く。家の前に到着して精算してドアがあいたところで、おじさま「ありがとうございました」、私「ありがとうございました。よいお年を」と言ったら、車中に一瞬の間。おじさま、振り返ってニッと笑うと、目を見開いて「よいお年を!」と返してくれた。

2つの「一瞬の間」が重なってみえた。型をくずす、ということ。例えばお礼を言うとき、「ありがとう」「感謝します」といった文例集からはみ出して、ひとつ気持ちを添えること。「助かりました」「良いお年を」、どちらもまったく凝った台詞じゃないけれど、お茶におかきを添えるように、相手への気持ちをひとつ添えて出す。そうしたことが、会話に命を吹き込むような、大事なことに思えた。

文例集をたずさえて知識偏重に陥ると、あれもこれも手元の知識でやり過ごす繰り返しにはまってしまう。専門的にやっている分野なんかは、自分の知識の取り扱いにも注意深くあたれるかもしれない。問題はむしろ、気を抜いた日々の暮らしの中に現れてくるのではないか。気を抜けてこその日々の暮らしだし、ある程度の知識活用の自動化は必要なことだろうと思う。けれど、無自覚に日々の暮らしをそれに丸のみされたくもない。

われわれは太陽について、雨について、あまりにも多くの知識を得たために、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなった。
河合隼雄「昔話の深層」(講談社プラスアルファ文庫)

外から取り入れた知識だけに頼り切ってしまうと、自分の中にわいた感情、自分の感覚から得られる情報を無視したり軽視したり。そうしているうち、さらに自分の感情・感覚をとらえる力は弱体化していって、頼ろうにも頼れるものがなくなってしまうかもしれない。そんな危うさを覚える。

知識を軽視するわけじゃない。外から取り入れる知識も、内からわき起こる感情も、外と内の間を探り当てる感覚も、大事にしたい。大事にして、届けたい。どれをも取り入れて、うまいこと配合して活かせるのが、人間のおいしいところだと思う。

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