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2013-11-03

頭を下げきったところ

日頃いろんな人に世話になっているので、「ありがとうございました」と言ってお辞儀する機会は少なくない。改まって頭を下げることもあるが、街の雑踏の中で別れ際にほとんど歩きながら行うこともあるし、立ち止まった状態でもあまり仰々しいのはかえって何かというので比較的ラフに行うこともままある。TPOもあるし、それはそれで良いと思っている。

けれど、最近お辞儀をするときは、頭を下げきったところで一旦動きをとめて息を静めるという所作を心がけている。ほんの一瞬のことなんだけど、この静止時間をもつことの意味を強く感じる。実際やってみると、この一瞬に相手にたいする感謝の念が、きゅっと身体の中で結晶するのを感じるのだ。その時間をもたぬお辞儀より、自分の気持ちが自分の身に迫ってくる感じというか。

そう、相手に迫っていくのではない、自分に迫ってくるのだ。自分の中にある気持ちの結晶を、自分自身で眼前にとらえて再確認する感じ。

相手の足を止めてしまってもいけないので、ばれない程度に…みたいなふるまいで、相手には何の利もないし、伝わるものが何か変わるわけでもない。言ってみれば自己満足にすぎないのだけど、そういうところにやり残した感がないように暮らしていくってことが、大事なことなのかもなぁと思うお年頃。

気持ちと、言葉と、所作。この3つが自然に、そして豊かに自分の内から立ち上がってきたときの、落ちつくべきところに落ちついた感は、ちょっと独特の納得感がある。

お作法とかをしっかりやっている人にとってみれば、お辞儀に限らずさまざまなふるまいにおいて当たり前にやっていることだと思うのだが(もっとこみ入ったことをやっているのだろうけど)、私はそういうところが至らない。とっさに出てくる所作って、なかなかポンとは変えられないものだけど、時間をかけて静かに馴染ませていきたい。

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