首痛の真相
2年ほど前、私は突然首の痛みにおそわれた。端的にいうと「むちうち」のような症状だったが、事故にあったわけでもなく、朝の通勤途中にいきなりそれは起こった。ほとんど身動きがとれなくなり、過呼吸になり、救急車には2回乗ったし、1週間はほとんど寝たきり、数週間は3〜4時間出勤して後は自宅作業とさせてもらった。
しばらくして快方に向かったのだが、それ以来、結婚式に参列する時くらいしかヒールははいていないし、少し重たい荷物を運ぶときはキャスター付きのバッグを使うようにして、首にはだいぶ気を遣っている。それでまずまず普通の生活を送れている。
原因は未だ特定できていないし、何で快方に向かったのかも明快な答えはない。ただ、だいぶ首の調子が良くなった頃に、「何で良くなったのか」と尋ねられて、そういえばどの辺で調子良くなっていったんだろうなぁと思い返してみたら、胃腸科の先生のところに行ったタイミングが思い出された。
激痛まっただ中のときは、救急病院の先生、外科専門の先生、整形外科の先生、東洋医学の先生と、いろいろな先生に診てもらった。それぞれの専門で、突発的なむちうちだとか、骨のゆがみのせいだとか、小腸に菌が入ったとか原因を見立ててもらい、電気治療やらマッサージやらしてもらった。
その集中治療期間に足を運んで、まったく専門的な治療を受けなかったのが、先に挙げた胃腸科の先生である。その当時もここに書いたのだけど、東洋医学の先生から「小腸に原因がある」と診断され、わらをもつかむ思いで私は胃腸専門の医者を訪ねた。受付時点ですでにいぶかしがられたが、診察室に入って先生にことの経緯を話したら「首が痛いのは首が悪いからだ。小腸に原因があるわきゃないだろ」とあしらわれ、他の病院でももらった痛み止めの内服薬を処方されて終わった。小腸の診察はもちろんなかった。
ただ、あの時が一つの転機だったように思われる。というのも、私はその先生の前でボロボロ泣いたのだ。こっちは、もう本当に痛くて辛くて、いつ治るとも見込みたたぬ状態でお先真っ暗だというのに、そんな鼻で笑ってあしらわなくてもいいじゃないかというのをきっかけに涙がこぼれて、一度決壊したらしばらく止まらなくなってしまった。
涙を流すこと自体はあまり我慢しないので、出るときは目の自由にさせてやるのだけど、それは一人のときが基本だ。人前ではそうそう泣かない。というか、一人の前では、といったほうが正しいか。その年は母が他界した年で、病院で息を引き取るときや葬儀のときなどは、さすがに人前でもわんわん泣いていた。が、あとはまぁよく一人で泣いていた年だ。ただ、一人のときに自由に涙を流して、そうして感情をせき止めないでやれば、気持ちはそれなりに解放されるものだと思っていた。
けれど、後で思い返してみると、あの先生の前でこのやろーと思いながら泣いたのが、快方の転機になった気がしてならないのだった。一人の人間の前で泣き、相手に涙をすくってもらえるというのは、どうも自分一人で泣くのと違うところに至る気がする。一人で流す涙は自分の手元に落ちて結局皮膚の内側に戻っていくけれど、人の前で流す涙は相手がすくってどこかへやってくれてしまうような、こちらには少なくとも全部は戻ってこないような。
その年は2月に母が他界し、3月に震災があり、おまけに…まぁいろいろあって、心折れることが立て続いていた。厄年かなんかだったしな。首痛の原因を心労やストレスのせいにするのも、人前で泣いたら治ったというのも、安直でどうもなぁという抵抗があって、原因も快方の理由も特定できないものは特定しないままがいいと思っているのだけど、このやろーと思いながらお医者さんの前で泣いたら気が楽になってちょっと良くなった、というのは少なからずあったんだろうなぁと振り返る。「人の前」が「初対面の医者の前」というのが、自分の将来を暗示しているようで苦笑してしまうが…。
ともかくそれ以来、一人で泣くのと人の前で泣くのとは意味が違うのだ、というふうに考えるようになり、友人の涙を目の前にすると、頭の中でそれをすくいながら、これでいいのだ、と思う。自分の皮膚の内側に戻さずに、ここに置いていくのがいいのだ。そう信じて、ただ見届けるばかりなのだが。
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