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2013-11-13

首痛の真相

2年ほど前、私は突然首の痛みにおそわれた。端的にいうと「むちうち」のような症状だったが、事故にあったわけでもなく、朝の通勤途中にいきなりそれは起こった。ほとんど身動きがとれなくなり、過呼吸になり、救急車には2回乗ったし、1週間はほとんど寝たきり、数週間は3〜4時間出勤して後は自宅作業とさせてもらった。

しばらくして快方に向かったのだが、それ以来、結婚式に参列する時くらいしかヒールははいていないし、少し重たい荷物を運ぶときはキャスター付きのバッグを使うようにして、首にはだいぶ気を遣っている。それでまずまず普通の生活を送れている。

原因は未だ特定できていないし、何で快方に向かったのかも明快な答えはない。ただ、だいぶ首の調子が良くなった頃に、「何で良くなったのか」と尋ねられて、そういえばどの辺で調子良くなっていったんだろうなぁと思い返してみたら、胃腸科の先生のところに行ったタイミングが思い出された。

激痛まっただ中のときは、救急病院の先生、外科専門の先生、整形外科の先生、東洋医学の先生と、いろいろな先生に診てもらった。それぞれの専門で、突発的なむちうちだとか、骨のゆがみのせいだとか、小腸に菌が入ったとか原因を見立ててもらい、電気治療やらマッサージやらしてもらった。

その集中治療期間に足を運んで、まったく専門的な治療を受けなかったのが、先に挙げた胃腸科の先生である。その当時もここに書いたのだけど、東洋医学の先生から「小腸に原因がある」と診断され、わらをもつかむ思いで私は胃腸専門の医者を訪ねた。受付時点ですでにいぶかしがられたが、診察室に入って先生にことの経緯を話したら「首が痛いのは首が悪いからだ。小腸に原因があるわきゃないだろ」とあしらわれ、他の病院でももらった痛み止めの内服薬を処方されて終わった。小腸の診察はもちろんなかった。

ただ、あの時が一つの転機だったように思われる。というのも、私はその先生の前でボロボロ泣いたのだ。こっちは、もう本当に痛くて辛くて、いつ治るとも見込みたたぬ状態でお先真っ暗だというのに、そんな鼻で笑ってあしらわなくてもいいじゃないかというのをきっかけに涙がこぼれて、一度決壊したらしばらく止まらなくなってしまった。

涙を流すこと自体はあまり我慢しないので、出るときは目の自由にさせてやるのだけど、それは一人のときが基本だ。人前ではそうそう泣かない。というか、一人の前では、といったほうが正しいか。その年は母が他界した年で、病院で息を引き取るときや葬儀のときなどは、さすがに人前でもわんわん泣いていた。が、あとはまぁよく一人で泣いていた年だ。ただ、一人のときに自由に涙を流して、そうして感情をせき止めないでやれば、気持ちはそれなりに解放されるものだと思っていた。

けれど、後で思い返してみると、あの先生の前でこのやろーと思いながら泣いたのが、快方の転機になった気がしてならないのだった。一人の人間の前で泣き、相手に涙をすくってもらえるというのは、どうも自分一人で泣くのと違うところに至る気がする。一人で流す涙は自分の手元に落ちて結局皮膚の内側に戻っていくけれど、人の前で流す涙は相手がすくってどこかへやってくれてしまうような、こちらには少なくとも全部は戻ってこないような。

その年は2月に母が他界し、3月に震災があり、おまけに…まぁいろいろあって、心折れることが立て続いていた。厄年かなんかだったしな。首痛の原因を心労やストレスのせいにするのも、人前で泣いたら治ったというのも、安直でどうもなぁという抵抗があって、原因も快方の理由も特定できないものは特定しないままがいいと思っているのだけど、このやろーと思いながらお医者さんの前で泣いたら気が楽になってちょっと良くなった、というのは少なからずあったんだろうなぁと振り返る。「人の前」が「初対面の医者の前」というのが、自分の将来を暗示しているようで苦笑してしまうが…。

ともかくそれ以来、一人で泣くのと人の前で泣くのとは意味が違うのだ、というふうに考えるようになり、友人の涙を目の前にすると、頭の中でそれをすくいながら、これでいいのだ、と思う。自分の皮膚の内側に戻さずに、ここに置いていくのがいいのだ。そう信じて、ただ見届けるばかりなのだが。

2013-11-06

意識が高い人、低い人

仕事がら「学習」をテーマに人と話をすることは多い。仕事場面はもちろん、イベント会場での立ち話や、プライベートのおしゃべりでも。そうした場で時々相談をもらったりするのが「職場で意識が低い人たちにどう働きかけたらいいか」というお題である。

「意識が高い人/低い人」とは最近よく聞かれる表現だが、なかなか使うのがためらわれる言葉だ。話の中で使われるときも、「いわゆる」を前につける人が多い。「いわゆる、意識が高い人」あるいは「こういう言い方はあまり好きじゃないんだけど、いわゆる意識が高い人」といった枕がつく。

なかなか、自分の言葉として使うのがためらわれる言葉なのだ。なんでだろうと考えてみたんだけど、絶対的に、全面的に「意識が高い人/低い人」と認定される人などいないという前提を、みんなが潜在的にもっているからではないかと思った。

意識が高いか低いかというのは、「すべてに対してではなく、何かに対して」「絶対的にではなく、相対的にみてどこかの誰かより」「生涯にわたってではなく、現時点でみるかぎり」「万人からではなく、自分(あるいは誰かしら)の主観的評価を含んでみたところ」意識が高い/低いのである、という不安定さ。

生まれながらにして、すべての事柄に対して意識が高い/低い人などいない。という気がするのに自分が誰かを、何の枕もつけずに「意識が高い人/低い人」と言いきってしまうことへのためらいが、人に「いわゆる」をつけさせるのではないかと妄想。

ともあれ、意識が高い人、あるいは中立的な立場をとるリーダー層が、意識が低い人を引き上げねばならないという使命感なりミッションなりを背負って話題にあげる。それにどう応えるかはもちろんいろいろで、その人の視点の持ち方や職場環境、悩んでいるポイントによって変わるわけだけど、「意識が低い人に何かを学習させる際、意識が高い人と同じアプローチをとっても、よい成果は得られない蓋然性が高い」とは言えるのではないか。

であるからして、もう一歩踏み込んで「意識が低い(と思われる)人」を捉え直してみてはどうかと。一つは「何に対して」意識が低いのか。一つは「何によって」意識が低いのか。

私が扱うのは学習なので、範囲としては「学習に対して意識が低い(と思われる)人」をテーマに考えたいのだけど、まず「何に対して」だ。その人は、本当に学習に対して意識が低いのかを深堀りしてみたい。

学ばせたいと思っている学習テーマに対して意識が低いのか、何かを学ぶという学習行為全般に対して意識が低いのかでも、取るべきアプローチは異なる。そして、もしかして学習に気乗りしないのは、学習テーマによるものではないかもしれない、ことも視野に入れないといけない。働いている職場環境、会社のこと、仕事のこと、業績のこと、プライベートのこと、人生のことで問題を抱えているのかもしれない。

だとすると、どんなに力をいれて学習そのものを促したって、いやそもそもそういうこと考えられる状況じゃないんだって、ということもある。その場合、どこまで介入すべきはかなり込み入った問題になるけれども、少なくともそういう視野をもって学習者の全体を捉えることは必要である。

「何に対して」が学習そのものだったとしても、「何によって」意識が低いかで、取るべきアプローチは変わる。

それを学ぶことの重要性を認識していないからであれば、どうしてそれを習得する必要があるのか、それを習得しないとどんなマイナスがあるのかを具体的に示してあげるのが有効だ。

重要性を認識していても、自分がそれを習得できると信じられなければ、やる気にはならない。自分がやったところで、難しそうだしものにできないだろうといったあきらめが背景にあるようなら、着実にものにできる習得のステップを具体的に示してやることが有効だろう。ゼロ地点からの小刻みなゴールを設定して示してあげたり、どれくらいの時間でどこまで習得できるといった時間目安を示してあげたり。

重要性はわかっているし、やればできるとも思えるけど、どうもその学習テーマに興味がわかないということもありうる。そうであれば、重要性を説いたり学習プロセスを示すより、それ自体の面白さや、習得することの楽しさを示してあげたほうが有効だろう。それを習得することで何ができるようになるのか目の前でやって見せてあげたり。その時はぜひ、にっこりと。

多くの場合、複数入りまじっているとは思うので合わせ技になるだろうが、ともかく「意識が低い人」で済ませずに、もう一歩踏み込んでとらえることで、いわゆる意識が高い人とは違うアプローチが具体的に検討できるかもしれない。おそらくは数年先の未来を熱く語るより、具体的な成功体験を積み上げていける道筋を仕事現場で着実に作ってあげたほうが能率がよいのではないか。

意識が高い人と同じアプローチで、高みを目指してみんなで一流になろうぜ!と威勢よく働きかけても、気持ちは離れるばかり、相手はしらける一方。繰り返し働きかければ、どんどん溝が深まって、意味がないというより逆効果・悪循環を引き起こしかねない。それよりは、別のアプローチで小さくとも確実な一歩をねらって歩み寄ったほうが成果につながるかも。

あとは、意識が低い(と思われる)人を見下さないことか。意識が低いというのは、冒頭に述べたように生来的なものではないと私は考える。自分だって、何かに対しては意識が高くても、何かに対しては意識が低い人であり、今ここでは意識が高い人でも、いつかのどこかでは意識が低かった人である。

品質への意識は高いが、コストへの意識は低いとか。テクノロジーには意識が高いが、クリエイティブには意識が低いとか。ユーザー視点にはうるさいが、ビジネス視点に欠けるとか。効率化には余念がないが、効果UPには貢献できていないとか。トレンドは押さえているが、知識基盤がいまいちだとか。仕事には真剣勝負だが、家のことは任せきりだとか。

自分がコミットしてほしいものに、相手がどれだけ意識を高くもたなくてはならないのか、というのは、冷静に一度はひいて考える必要がある。自分と同じだけの志しで、その仕事に、その学習テーマに向き合わなくてはならないのか。それは会社のミッションか、自分が望んでいるだけなのか、自分の価値観の押しつけになっていないか。

自分には自分の、人には人の、尊い価値観もあれば、止むに止まれぬ事情もある。仕事とどうつきあいたいかも人それぞれだし、プライベートでどういった事情を抱えているかも人それぞれだ。自分と共有する学習テーマの習得が、その人の人生にとってどういう位置づけのものかは、必ずしも自分と共通しないという学習者視点でとらえることも、一方では必要だろう。

もちろん、仕事において習得が必須だからこその使命感だったりミッションをもって取り組んでいるのがたいていだし、私はそういう人たちのサポーターとして働きたく、それを生業にクライアントさんの研修づくりに励んでいるのだけど。うまくまとめがつけられないので、この辺で。

2013-11-04

子どもの心の解像度

私は子どもをもたないので、子をもつ同世代の人たちと、親子関係や子育てについて話すときは、自分の子ども時代を振り返りながら話すことが多い。この間もそんなシーンがあって、自分の小学生時代のことを思い出した。小学5、6年生くらいのときのことだ。親との決定的な分離体験は、このときではなかったかと振り返る。

その頃、わが家には父方の祖父が京都から遊びにきていた。父の兄弟は多く、当時祖父は自分の子どもたちの家を転々としていた。どこの家でも世話に手を焼いてたらい回し…という見方もできなくはないが、その期間を経てほどなく祖父は他界したので、最期の挨拶にまわっていたようにも思われる。もちろん、そのとき祖父は元気だったので当時そのようには思わなかったのだが。

そんなわけで、祖父はうちにもしばらく滞在したのだが、その期間の母の疲労はけっこうなものだった。確か母は仕事ももっていたし、そのやりくりをしながら平日も休日も朝から晩まで祖父(と子ども3人)の世話をした。父もさすがにその時期はできるだけ早く会社から帰るよう気をつかっていたように思うが、仕事がら遅い日も多かったし、とにかく母が一切合切任される格好になっていた。祖父は祖父で、けっこう奔放な人だったから、母の気疲れは相当なものだったろうと思う。

その日は日中、ざぁざぁと大雨が降っていた。雨の中、祖父はすててこ姿か何かで外に飛び出し、なんやかんやと通りで叫び続けたという。雨でびしょびしょになっても、なかなか家に入らなかった。子どもたちが学校に行っている時間で、うちには祖父のほか母しかいなかった。母は必死に祖父をなだめ、一緒にずぶぬれになりながら、家の中に入ろうと何度も促した。しばらくして気が済んだのか、祖父は家の中に戻った。母は祖父を風呂にいれ、床にやすませた。

祖父にしてみれば、子どもたちの家を転々とさせられて、自分の人生は確実に終末に近づいていて、言葉にあらわせぬ鬱憤のようなものがたまっていたのかもしれない。その感情を、大雨がひっぱりだしたのかもしれなかった。母は母で、全身を大雨に打たれながら祖父の叫び声を受け止め、それまで独りで抱え込んできた疲労もあいまって消耗しきってしまったのかもしれない。

村上春樹の「雨天炎天」に、「雨に打たれただけで人はなんと気弱になるのだろう」とあるのだけど、これはなかなか身にしみる言葉だ。

その日、小学校から帰ってきた私は、2階の子供部屋に向かう途中で衝撃的な情景を目にした。階段を上がりきったところの左手に、両親の寝室がある。その扉がすこしだけ開いていたので、なにげなくそちらに視線をやった。隙間の向こうに母の後ろ姿が見えた。電気をつけず、しーんとした部屋の中に、静かな立ち姿があった。大雨に打たれた2、3時間後のことだろう。

私は一瞬、硬直した。母の立ち姿にタバコの煙がまとっていたからだ。母の指先には、火のついたタバコがあった。母がタバコをくゆらせている、この情景には正直たまげた。

物心ついたときからタバコは父がよく吸っていたので、タバコ自体は見慣れたものだったのだが(当時は誰でも買えたので、よく隣の自販機に買いに行かされた)、母がそれを吸っているのはどうにもつながらなかった。

見てはいけないものを見てしまった気がして、息をころして物音を立てずに子供部屋に向かった。

その情景をみたとき、私は学習したのだ。あぁ、この人は私の母親というだけでなく、一人の人間として生きているのだと。一人の人間であり、一人の女性として生きているのだなと。そういうことを、この瞬間に鮮明に理解した。私は昔のことをそれほど憶えているほうではないが、この日はけっこう特別な日として記憶されている。

こういう経験を通して、人は自分と親とを分離し、自分と他者とを切り離して考えるようになっていく。そこに生まれるものは何だろうか。私は「寛容さ」だと思う。自分から人を切り離すことは一見さびしいことのようにも見えるかもしれないが、私たちはそれによって人に対する寛容さを手に入れる。少なくとも私がそのとき母に抱いたのは、そういう気持ちだ。

小学6年生というと、それくらいの心の解像度で世の中のことを捉えていておかしくない歳の頃なんだなとイメージする。もちろん、もっと早くから、もっと鮮明な解像度でいろんなものを感受する人はごまんといるはずで、何の共通基準にもならないんだけど、そういう認識も含めて考えれば、少なくとも私自身が子どもを甘くみないことには役立っている。

あの一件からずいぶん後になって、どうやら私たちを産む前は母がタバコを吸っていたらしいことがわかった。子育て中は控えていたようで、私たちが大人になると20年かそこらのブランクを経て彼女はタバコを再開した。見慣れると、なかなか似合っていた。晩年もがんが見つかるまで、ずっと吸っていたんじゃないかな。ちなみに肺がんではなかった。

2013-11-03

頭を下げきったところ

日頃いろんな人に世話になっているので、「ありがとうございました」と言ってお辞儀する機会は少なくない。改まって頭を下げることもあるが、街の雑踏の中で別れ際にほとんど歩きながら行うこともあるし、立ち止まった状態でもあまり仰々しいのはかえって何かというので比較的ラフに行うこともままある。TPOもあるし、それはそれで良いと思っている。

けれど、最近お辞儀をするときは、頭を下げきったところで一旦動きをとめて息を静めるという所作を心がけている。ほんの一瞬のことなんだけど、この静止時間をもつことの意味を強く感じる。実際やってみると、この一瞬に相手にたいする感謝の念が、きゅっと身体の中で結晶するのを感じるのだ。その時間をもたぬお辞儀より、自分の気持ちが自分の身に迫ってくる感じというか。

そう、相手に迫っていくのではない、自分に迫ってくるのだ。自分の中にある気持ちの結晶を、自分自身で眼前にとらえて再確認する感じ。

相手の足を止めてしまってもいけないので、ばれない程度に…みたいなふるまいで、相手には何の利もないし、伝わるものが何か変わるわけでもない。言ってみれば自己満足にすぎないのだけど、そういうところにやり残した感がないように暮らしていくってことが、大事なことなのかもなぁと思うお年頃。

気持ちと、言葉と、所作。この3つが自然に、そして豊かに自分の内から立ち上がってきたときの、落ちつくべきところに落ちついた感は、ちょっと独特の納得感がある。

お作法とかをしっかりやっている人にとってみれば、お辞儀に限らずさまざまなふるまいにおいて当たり前にやっていることだと思うのだが(もっとこみ入ったことをやっているのだろうけど)、私はそういうところが至らない。とっさに出てくる所作って、なかなかポンとは変えられないものだけど、時間をかけて静かに馴染ませていきたい。

2013-11-02

ひょんな風

最近「ひょん」が重なった。そう腰を落ちつけてゆっくりおしゃべりする機会がなかった方と、ひょんなことから数時間にわたって話し込む。もともと私は、慣れた相手であろうとなかろうと1対1で会って話すことが多いのだが、それにしてもここ最近「ひょん」が立て続いた。

そんなさなか、話も食事もお酒も進んだ頃合いに、こんな問いを投げかけられた。大事にしているものって何ですか。

うーん、何だろうなぁ。特別これというコト・モノがある感じもしないけれど、何もないという感じもしない。少し酔った頭でイメージが浮かぶのに身を任せていると、あぁ、多様性か、と思い当たる。人によっては、それに自由という言葉をあてるかもしれないが、私にとってみると、多様性という表し方が一番しっくりくる。

多様性って、大事だ大事だと言われる割に、現実ではそんな大事にされていない。人間は自分の主観と切り離れられない生き物だから当たり前といえば当たり前だけど、知らず知らず自分の価値観で他の人の価値観を評価して優劣や善悪を評定するということが起こってしまっている。自分の価値観、自分の住む国や地域の価値観、あるいは自分が生きる時代の価値観にのまれて他の価値観を評価してしまう。

けれど、例えば数百年前を生きた武士を考えてみたい。ある武士が敵に囲まれたとき、降伏するぐらいならと自害する。この選択を、私たちはそんな簡単に「自殺は何がなんでもいけません」と言いがたくなる。違う時代を生きた人の価値観を、簡単に否定することは憚られる。

同じ時代を生きる人の価値観だって、それと同じように自分とは違う。同じ会社、同じ業界、隣近所に住んでいても、その人は自分の価値観と同じではないのだ。人間に、人の人格を指して善悪や優劣の評定を下すことなどできない。

それを当たり前として、人の話を聴きたいし、人の生き方を肯定的に捉えたいし、その人の価値観を前提にして人のキャリアをサポートする仕事を生業としたい。それが私が大事にしたいものだ。

だから、大事にしたいものは多様性で合ってるんだろうなぁと、話しながら思った。実際、これより下手っぴな話し方だったので、話を聴いた彼女は真意がわかりづらかったと思うが、それはお酒のせいではなく、もともと私が話し下手なせいなので仕方ない…。

実は、その日の昼間、私は同じ話を別の方に話していた。別に、そこでも同じ質問を受けたわけではないのだが、なんでだか武士の例え話を同じ日に二度もすることになった。なんだろうな、これは。日中にお会いした方とも、久しぶりの再会で、またゆっくり仕事抜きでお話しするのは初めてだった。

その数日前には、客先からの帰り道におしゃべりが深まり、そのまま近場のコーヒー屋に入って終電まで話し込むことになったりもした。

「ひょん」なことというのは、時折まとまってやってくる。ひょんな風が吹いている、とでも言おうか。しかし、その風がどんな意味をもち、どんな意味をもたぬかはわからない。私はただただそういう風を、風が吹いているなぁと眺め、吹かれる。

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しかし、「ひょん」を後押ししているのは確実にインターネットであるなぁと思う。昔は「ひょん」が起ころうとしても、なかなか物理的な障害が多いものだったが、今は「ひょん」をひょいと形にしてしまうインフラがある。そして人は会い、語らい、通じ合う。インターネットがなかったら、こんな容易にいろんな出会いを関係に発展させることはできなかっただろう。やっぱりインターネットは素敵だ。

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