3秒だか5秒だかの話
先日、会社帰りに渋谷の雑踏を歩いていたときのことだ。若者のバンドが駅前で演奏をしており、なかなかの人垣をつくっていたので、見るともなくそちらに目をやりながらぼーっと歩いていた。バンドの前を通り過ぎるくらいの位置では、私の視線は完全に横向きになっており、前方の様子をまったく気にとめていなかった。結果、前から来た人に思い切りぶつかってしまった。
はたと我にかえって「すみません!」と一言。正面を向くと、スーツにネクタイをしめ、私より少し背丈は小さいが恰幅のよい50〜60代くらいのおじさまが目の前に立っていた。あごを突き上げ、私を見下すようにして、ふんっというそぶりを見せた。
それと同時に、おじさまが「にやり」という笑みをその表情に含ませているのを私は視界にとらえた。私は一瞬固まった。これは、なんだ?と。
しかし1秒の間もなく、おじさまの後ろにひかえていた同行の男性が、行きましょうという感じでおじさまを促し、おじさまは特別言葉を発することもなく、その場を後にした。私はもう一度「すみません」と言ってすれ違った。3秒だか5秒だかの話である。
駅構内を歩きつつ、電車に揺られつつ、私は考えた。私は自分のなかに負の感情を飼うのが苦手なのだ。なので心のうちにいくらかでも負の感情を感知したときは、無意識の底に沈殿する前に手をのばし、手早くそれをすくいあげ、手のひらにのせて自分の意識のまな板にのせるようにしている。
それでおまえはどこから来たんだ?とか、そんなことで心に不穏を覚えるなんてあんまり人間がちっちゃくないか?とか、それを突いたりひっぱったり。そのうちに視界がだいぶ広がっていって、負の感情が浄化されていくのを見届ける。自分相手だとえぐい質問を投げて反応をうかがうこともできるので、人間の感情の観察機会にもなって一石二鳥なのである。
それにしても、あのおじさまは、なぜ笑いを含ませていたのだろうか。単純に考えると「よそ見してぶつかってきた目下の女がいて不快感を覚えた」場合、不快な顔を100%見せるというのが筋である。しかし、明らかに純度100%でなかった。そこには何か別のものが混入していたのだ。あれは何だったのか。
待てよ。あれだけ正面からドーンっときれいに当たって転倒も何もなかったのは、ぶつかる瞬間おじさまは立ち止まっていて身構えていたからと思われる。両方とも歩いている状態でぶつかっていたら、あれくらいの衝撃では済まなかったはずだ。それに私が正面を向いたとき、彼は仁王立ちしていた。人の往来がはげしく、立ち止まるような所ではなかったから、おそらく彼は私に当たることを少し前に察知して立ち止まっていたのではないか。
ぶつかる見通しがあって衝撃を減らすべく立ち止まったが、避けることはしなかった。なぜか。避けるまでの時間的余裕はなかった。そうも考えられる。しかし、それではあの「にやり」をどう説明する?ぶつかるとわかっていて、あえてぶつかったというほうが、あの「にやり」の説明はつく。
なぜ俺がよそ見している人間のために自ら率先して道をゆずらねばならないのか。そう思った彼は、当たるとわかっていて、避けずに当たった。それ見たことか、よそ見していると人に当たって迷惑をかけるんだよ。実際おまえは俺に迷惑をかけた。そして、おまえは俺に謝るはめになった。人に謝罪しなけりゃ済まないような迷惑を、おまえさんはやらかしたんだよ。あぁ恥ずかしい奴だ。という嘲笑の「にやり」。
この線なら一応の説明はつくが、どうだろう。私の考えは、自分の身を守るがため、むやみにおじさまの人格を低めるような発想に働いていないだろうか。うーん。では別の説は…。もっと単純に、どんなケースであれ優位に立つということに快感を覚えるタイプだったとか。それもさっきと五十歩百歩でいけてないか。しかし、あの独特の「にやり」を生み出す根源を、ほかにどう探しあてたらよいだろう。教育欲を満たしたとか。
結局おじさまの内面の出来事を私が解明できるはずもなく、「にやり」の根源について何かの結論に至ったわけではない。ただ面白いのは、ぶつかった直後にはいくらか負にふれていた私の感情が、家に帰り着く頃には「あのおじさま、面白い人だったなぁ」と真逆にふれているという現実である。
自然というのは偉大なもんである。人の気持ちは、時間にのって変化を遂げていく。一所に留まって同じ熱量をもち、そこに同じ形をしてあり続けるのではない。相当な思い入れをもって本人がそれを保持せんとでもしないかぎり、きっとそれの無理がないほうへと自然が移し変えてくれるのだ。
いやな気持ちをもったときなんかは、なんでもかんでもすぐさま言葉に表出してそれをいやなものと認定してしまうのでなく、ときには少し置いてみるのもいい。少し時間にのっけて自然のなりゆきに任せておくと、自分が無理なく包みこめる様相に変わっているということが少なくない。そういう自然の力に身を委ねてみる選択肢もあっていいんじゃないかなぁと思う。時と場合によるのだろうけど。
« 頭でっかち問題 | トップページ | 時間旅行と投資信託 »
あまりにまともにぶつかったので、それが可笑しかった。
綺麗な女性とぶつかったのが嬉しかった。
どちらかでしょう。気にするに値しませんよ。
投稿: saltpan | 2013-08-03 23:30
なにはともあれ、、前向いて歩かないといけませんな…。
投稿: hysmrk | 2013-08-04 06:55
ご無沙汰してます!
私も読みながら、これはぶつかったのが可愛らしい女性だったので「にやり」としたのだと推測します。
しかも立ち止まって待ち構えていたならなおさらです。
また、「すみません」と素直に謝られたのも気分が良かったのではないでしょうか。
想像してみてください、これが中年のおばちゃんだったり若い兄ちゃんだったりしたら、まず「にやり」はあり得ないと思います。
でもここで露骨にニヤっとするのは、やっぱり品が無いオッサンだな、、と思ってしまった私です。ふふ。。
投稿: ベル | 2013-08-06 20:18
わー、ベルさん! ご無沙汰しています。コメントありがとうございます。毎週私もそちらにお邪魔しているのですが、どうも「覗き見」慣れてしまってひっそりひっそり読んでいます…。
「可愛らしい」はかなりベルさんの過大評価と思われますが…とりあえず「目下の女」を「若い女性」と解釈する見方もありうることが、視点として抜け落ちていたなーとは思いました。自分のことだと、なかなかベーシックな観点が抜け落ちるもんですね。。
投稿: hysmrk | 2013-08-06 21:53