タチさんとイースト菌
近所の本屋さんで、なんとなく手にとった「白州正子自伝」を読んでいる。そこに彼女の「おつき」の女性だったというタチさんが出てくる。
病身だった母親にかわって「寝る時も起きている時も、食べる時も外出する時も、傍にいなかったためしはない」という彼女の恩人だそうだ。また彼女の子どもも、海外に行くことが多かった白州次郎氏(旦那さん)と彼女に代わって大いに世話をしてもらったというので、「実の母親以上に縁が深かった」「何事にも替えがたい数十年の恩愛」と、その間柄を記している。
太平洋戦争が始まると、白州家は鶴川村に疎開し、見よう見まねで畑仕事をしたり、手製の麦粉でパンを焼いたりして暮らすようになる。パンをふくらますのに必要なイースト菌は手に入れるのが難しく、それもタチさんが伝手を求めて、どこからか探してきてくれた。けれど、それはヤミだったから、どこで仕入れるのかは彼女にも教えてくれなかったという。
そのタチさんが、68歳のとき脳溢血で突然倒れた。彼女はあわててタチさんの部屋に飛んでいった。
その瞬間、私の脳裏にひらめいたのは、事もあろうに、「ああ、これでイーストが買えなくなる」ということだった。
誰にでも、これに似た経験というのが、あるのではないか。私は立ち止まって思う。なんでこんな大切な人の一大事に出くわしているのに、私の心中に真っ先に思い浮かんでくるのは、こんな瑣末なことなのか…と。
私はこの身を八つ裂きにしたい思いに駆られたが、人間とは、とどのつまりそんなに非情なものなのであろうか。ほんの一瞬のことだったが、私はこのことが、一生忘れられないし、許すこともできない。
そう彼女は記している。私はさらに立ち止まって考える。この人間非情論を、安易に退ける気はない。それはそれとして受け止めるところもあるのだが、一方でこんな疑問も浮かんだのだった。「何かに出くわした時、真っ先に思い浮かんだ感情」が、果たしてその思いの核心であり、全体をとらえた感情なのだろうかと。そうとは必ずしも、言い切れないのではないかと。
真っ先に思い浮かんだという「時間軸上の一番」が、必ずしもその思いの一番核心をついたところとは言えないのではないか。あとからじわりじわりやってくる、いろんな感情の総体が自分の思いの全体であり、その思いの核心はそのじわりじわりの中にあることも十分考えられるのではないか。
あるいは、いつまで経ってもつかみどころのないままで、言葉にならず自分の内にさまよい続ける核心もあるのではないか。そのように思う。それでも、何らかの意味をもって心のなかに在り続け、たとえば後年に自分の自伝をしたためるにあたって、その人のことに章を割かずにはおれないと自分を突き動かすような表れ方をする、そんな核心もあるのではないか。
また一方で、その瞬間にイースト菌が思い浮かんだのは本当に瑣末なことなのだろうか、とも考え出す。動物にとって、食べ物を与えてくれる対象というのはそれこそ命の恩人であり、もしかすると恩人性というものに根の深いところで直結しているのではないか、とも。自分の生に欠かせない存在が失われていく、というような。
まぁ、これは私の妄想癖で解釈が過ぎるかもしれない。が、いろんな面からこういうことを立ち止まって考えてみる余暇は悪くない。いくら考えても余りあるほど、人間は複雑で深淵なものであるから。
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