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2013-06-19

仕事が風邪治す

今日は大きな仕事の客先打ち合わせが午前10〜12時で入っていたのだけど、目が覚めたら11時10分だったという夢をみた。時計をみて飛び起きるのだけど、私は実家にいて、母が生きていて、事態を説明すると、「あらら、車で送って行こうか」と彼女らしい一言。いや、必要な書類が会社にあるから渋谷経由で行かないといけないし、電車で行ったほうが早いのよ。っていうか、どっちにしろ間に合わないよー。と、わたわたしているうちに目が覚めた。

現実世界の時刻を確認すると、午前4時前。そうそう、夏風邪をひいて体調が急降下し、もはや休めるのは今日の午後しかないと、昨日は午後半休をとって早々家に帰ってきたのだ。んー、だるいよーと思い、熱をはかってみるも36.5度。平熱が低いので、確かに普段より高いが、36度台でこのだるさかーとくったりして昼間から床についた。とにかく汗をかくのが良かろうとふとんをかぶって丸くなり、夜に一旦起きてゴハン(というか野菜)を食べ、再び床について布団をかぶって丸くなり。それで夢をみて焦って起きたら翌朝4時だったという次第。

こんな夢をみてしまったら、もう眠る気になれんなぁと思い、午前6時くらいまでうだうだして(でも結局6時から7時までは寝てた…)、よし朝だ、打ち合わせだ、夢の通りになってなるものかと気合いを入れて会社に出かけ、書類の最終チェックをして15分前に客先に到着し、無事お打ち合わせ終了。

社に戻ってからも、このところ複数案件が並走して立て込んでいるためかテンション高いまま(寡黙なのでわかりづらいが)晩まで走り続ける。その後会食を経て、家に帰ってきて熱をはかったら35.3度。やっぱりこの辺の温度だと落ちつくんだわー。まずまず快調。仕事に風邪治された感。ここで気を抜かないのが大事だな。

もうこの歳にもなると「いつかのために」に続く自分の思いってこれといってない感じがする。今自分がもっている力のかぎり、今いただけている仕事に尽くす。今を日々積み重ねる。そういうお年頃なんである。風邪をひいている場合ではない。

2013-06-11

己を知ること

開催直前にこちらにも記したDevLOVE.Career.Design」の会を終えての雑感メモ。当日は平日晩、無料イベントというのに、申し込みされた方がひとりの欠席もなくご参加くださって、なかなかしっとり良い会だった。

ご参加者がエンジニアという想定はしていたのだけど、そのほとんどがWebでなくソフトウェアエンジニアの方で、Webクリエイティブ職のキャリアをテーマにまとめた私のスライド話が、前説として十分機能したかは自己評価が難しいところ。

ではあるものの、話の冒頭は「ソフトウェア業界とWeb業界が抱える問題の共通性」みたいなところから入り、ご参加者にはそれぞれ自分が身のおく業界の問題を整理するBGMとして私の話をご活用いただくようくれぐれもお願いし…で、手元でメモを書き留めながら熱心に話を聴いてくださった。そして後半のワークも、各テーブル途切れることなく議論を展開されているように見受けられ、良かった。

短い時間だし、初対面同士で話すし、参加者の立場も参加目的もさまざまという構造のイベント。こちらがみんなを何らかの共通認識にいざなうというのでもないし、「自分のキャリアや自分の業界について、自分で考え、自分の言葉で話す場を提供する」のが主旨だったと思っているので、そういう意味では前・後半に分けた構成で成功したかな、と甘めの自己評価。時間たらずではあったと思うけれど、その不完全燃焼感も含めて持ち帰っていただいて次につなげてもらえたらと。また、そうしたいと帰り際に声をかけてくださる方、ブログに書いてくださる方があったのもありがたかった。

それと別に、今回交流させていただいての所感。質疑応答の時間やワークショップ中のやりとりで、限られた時間ではあったけれど、ご参加者の直接の声を伺えた。その会話のキャッチボールから私のなかで何となく浮上した仮説は、「自分について」じっくり考える時間、話す時間をなかなかもてずじまいという人が結構いるのではないか、ということだ。実際「自分のキャリアについてなかなか考える機会なしにこれまでやって来たので、今回よい機会だと思って参加した」という方がいらしたこともあるが。

例えば何か新しい技術について、仕事仲間と話すことは日常的にあるかもしれない。その技術について自分がどう思うか、自分の考えを述べることも積極的にやっているかもしれない。でも、それをそう思う自分とはいったいどういう人間なのか、自分はどういう価値観の持ち主だからそういう考えに至るのかと、自分の側に鏡を向け直して、自分をとらえる機会・時間があまりないのかもしれないなぁと思った。

まぁ仮説と言うほど立派なものでもないし、今回の参加者の多くがそうだというのでもない。直感と直観のはざまのひらめきみたいなものなのだが、考えてみると自分の考察対象はいつも「自分」ではなく「他の人」や「世の中の事象」に偏っているな、という人が一定数いるんじゃないかと思ったのだ。

もしそういう人がいたら、ちょっと意識して、何かに対して考えるのと別に、そう思う自分とはどういう人間なのか、も考えるようにすると、自分というものの理解が深まると思う。何かに対する他の人の意見を聞いたときも、この人の意見に対して自分が共感・違和感・反発を覚えるのはなぜなのか。それは、自分がどういうことを大事にする人間だからなのか、どういうことを馬鹿馬鹿しいと思う人間だからなのか、という視点でとらえ直してみると、自分というものが浮き彫りになってきて、より深くを知れると思う。

多くのことがらは絶対的評価をもたない。絶対に正しい、絶対に間違っているということは、世の中にほとんどない。自分の価値観と照らし合わせて、ある出来事やある人の意見が良く見えたり、悪く見えたりするという類いの主観的なものだと思う。だから、こうした日常の外部刺激に対して、自分がそれをどう思うかとあわせて、そう思うのは自分がどういう人間だからかを考えてみると良いと思う。そうやって人間は相対的に自分というものを理解していく生き物だと思うから。

またそういう意味でも、同じ価値観・気持ちいい相手とばかりでなく、考えの異なる人、時には不協和音を感じる人とも相対してみるのは有意義なことだ。極悪人とつきあう必要はないと考えるが、いろんな価値観・タイプの人と関わることでこそ、自分自身というものがより深く理解できるし、自分のものの見方を広げていくこともできる。大人になってゆとりが出てくると、そういう違いこそが面白いと感じられるようにもなる。違いをすぐさま優劣の上下関係でとらえず、タイプの違いとして並列関係でとらえてみると、ものの見方が豊かになって気持ちもよい。

閑話休題。なぜ、そんなに自己理解にこだわるのか。メリットはいろいろあるけれども、今回のテーマに関連づけて言うならば、先が読めない業界・世の中だからこそ、先を予見する以上に己を知っておくことが、堅実で俊敏なキャリア選択に有用だと思うからだ。

世の中の行方を中長期でとらえるのは難しいご時世だ。それに比べて、自分のことをより深く多面的に知っておくことはできよう。それができていれば、世の中が変わったとき、自分はそれに対してどう舵をきりたいか早期の判断がしやすい。

己の現在地(自分は何がどこまでできていてどこから先できていないか、何がどこまで見えていてどこから先見えていないか)、そして己の進みたい方向、己の負っている制約条件を把握し、言語化できるまでに意識化できていれば、あぁ世の中がこう変わっていくんだなと察知したとき俊敏に判断がきく。反対に、自分がわからなければ、判断にも時間がかかる。先送りしているうちに選択肢が狭まってしまう。深い自己理解は、このご時世に自分らしく有意義に生きていくために、けっこう鍵になると思う。

今回人前で話すことをやってみて、やっぱり私は話し手というより構造づくりの人間だなとつくづく思ったのだけど、いくつかお話をいただいていたりもあり、あまり活動の幅に制限を設けず(でもまぁ裏方の構造づくりを主軸にしつつ…)自分のできることをコツコツやっていこうと思う。

2013-06-04

目的志向の折衷主義

私は折衷主義だ。手段や手法単体に偏見をもたず、そのとき、その状況で、自分あるいはその対象者にとって最もフィットする手段を柔軟に選べるのがいいと思っている。さらに言えば、目的に応じてより能率的な手段・手法を組み合わせられる柔軟性と創造性が大事だと思っている。

勉強法でいうならば、「セミナーに参加する」というのはよくやり玉にあげられる身で、けっこう不憫なやつである。「受け身な学習法」「人の話を聴いたって身にならない」「セミナーに行ってる暇があったら自分で手動かして覚えろ」とよく言われる。

しかし、「ある知見をもった人が、それを得たいという人たちに向けて知見を共有する」という構造が、それ単体で「どう転んでも無駄」という性質をもっているわけではないだろう。どう調理したって無駄だということであれば、そもそもそんな構造自体が数百年前に滅びているはずだ。

「成人の能力開発の70%以上は経験によって説明することができる」と言われる。経験してなんぼ、何事も人の話を聴くだけじゃ身にならない。それは疑いようのないことである。しかし、「それだけじゃ身にならない」を「それは身にならない」とイコールで結んでしまうのは、極端な解釈だと私は思う。

「それだけじゃ身にならない」のは当然のこととして、それでも何か新しいものを身につけたいとき、まずは詳しい人から体系立てて話を聴いて、ある程度その新しいものの知識概念マップを自分のなかに描くことで、その後の経験学習を能率化することができたりする。あるいは、自分なりのやり方は確立しているんだけど、他の人のやり方も聴いて自分の硬直化しているやり方を見直したいという人に有効な面もあるだろう。

学習者本人は、そのセミナーを自分の学習計画の中の一部と位置づけてうまく次に展開していくことが大事だし、セミナー主催者は、そのセミナーの目的によっては演習を取り入れたり、セミナー前後にも目を向けてその位置づけを学習者と共有し、前後に取り組むべきアドバイスなども盛り込めば良いという話だ。

手段や手法というのは、その特性を知ってうまいこと活かせばいいのであって、組み合わせたほうがさらなる能率化が図れると思えば必要な手段を組み合わせて講じればいい。一つの手段・手法を取り上げて、その欠点を指差して無駄だといっても、あまり意味はないのではないか。

物事には、なんだって特徴というのがある。特徴があるからこそ、それに存在価値があるのだ。特徴をもった時点で、それは良い面も悪い面も持つのであって、それ単体を取り上げて悪い面を指摘しても発展性がない。良いとこどりして組み合わせて、より能率的に目的に向かえばいい。私は本来目的志向×対象者視点×手段は折衷主義なので、そんなふうに思う。これはこれで私の主義主張なので、それに偏っていると思われるが。

あと、人それぞれに、自分にあう手段とか手法とかもあるから、学び方にしても何にしても、自分にとってより好ましく、進み具合のよいやり方というのがある。その辺りは、自分の好みを知って能率よいやり方を選べるのが大事だと思う。そういう前提のうえで、お互いに自分のやり方を意見・情報交換したり、取り入れ合ったりできたら、もっともっと有意義になるんじゃないか。

「セミナーに参加する」というのも、もう少し抽象化して言うならば、「人の話を聴くことを学びの機会とする」ということ。場面がセミナーであろうとなかろうと、「人の話を聴くことを学びの機会とする」ということは、多くの人がやっていることだ。逆に、人の話からは何の学びも得ていないという人は、実際は学んでいるのに相当無自覚であるか、あるいは学ぶ機会を相当損失し続けて生きているかのどちらかだろう。それぞれに自分の場を、偏見や先入観から解放されて、より自由に、より豊かにデザインすればいい。そう思う。

DevLOVE.Career.Designの前説

開催日が明後日に迫っていますが…、記録もかねて記すと、DevLOVE( #devlove )というエンジニアさんのコミュニティで「DevLOVE.Career.Design」という会を開くことになり、そこでお話をさせていただくことになりました。明後日6/6(木)の晩に渋谷のmixiさん社内を借りて行われるんですが、エンジニアやWebクリエイティブ職のキャリア形成や、こうした職種を取り巻く組織や業界の人材育成などにご興味ある方は、ぜひ足をお運びください。

お話をするといっても私は前説みたいな役割で、先日ここにも書いた「中堅Webクリエイティブ職のキャリアを考える(序章)」のスライドを口頭で再共有させていただく感じです。そうやって私が話している間に、それを聴きながら自分のキャリアについて、あるいは自分を取り巻く会社や業界の人材管理・育成面について、思うところや問題意識なんかをメモしたり整理してもらえたらいいかなと。それを後半、小グループに分かれてシェアしてもらったり、それに対して今より良くするためにどういう解決アプローチが考えられるかをラフにディスカッションするといった流れです。で、最後に全体共有。

キャリアについてや、組織内外の人材育成の仕組みづくりとかキャリア支援体制みたいなところって、なかなか改まって考える時間がとれなかったり、他の人と意見交換する場がなかったり、他社がどんな体制でやっているのか情報交換する機会がなかったりすると思い、そういう場をまずはつくって、各々持ち帰れるものを作れたらという、比較的ゆるめの会であります。

私にとっては、当事者であるエンジニアの皆さんの問題意識など直接聴ける貴重な機会なので、それをたっぷり聴かせてもらって、自分や自社ができることを考えたいなと思っています。というわけで、私のスタンスは話しに行くというより、話を聴きに行くモードだったりするのですが、前説は前説で…皆さんにいろんな考えが浮かんでくるBGMとして活用してもらえるよう努めたいと思います。

2013-06-01

タチさんとイースト菌

近所の本屋さんで、なんとなく手にとった「白州正子自伝」を読んでいる。そこに彼女の「おつき」の女性だったというタチさんが出てくる。

病身だった母親にかわって「寝る時も起きている時も、食べる時も外出する時も、傍にいなかったためしはない」という彼女の恩人だそうだ。また彼女の子どもも、海外に行くことが多かった白州次郎氏(旦那さん)と彼女に代わって大いに世話をしてもらったというので、「実の母親以上に縁が深かった」「何事にも替えがたい数十年の恩愛」と、その間柄を記している。

太平洋戦争が始まると、白州家は鶴川村に疎開し、見よう見まねで畑仕事をしたり、手製の麦粉でパンを焼いたりして暮らすようになる。パンをふくらますのに必要なイースト菌は手に入れるのが難しく、それもタチさんが伝手を求めて、どこからか探してきてくれた。けれど、それはヤミだったから、どこで仕入れるのかは彼女にも教えてくれなかったという。

そのタチさんが、68歳のとき脳溢血で突然倒れた。彼女はあわててタチさんの部屋に飛んでいった。

その瞬間、私の脳裏にひらめいたのは、事もあろうに、「ああ、これでイーストが買えなくなる」ということだった。

誰にでも、これに似た経験というのが、あるのではないか。私は立ち止まって思う。なんでこんな大切な人の一大事に出くわしているのに、私の心中に真っ先に思い浮かんでくるのは、こんな瑣末なことなのか…と。

私はこの身を八つ裂きにしたい思いに駆られたが、人間とは、とどのつまりそんなに非情なものなのであろうか。ほんの一瞬のことだったが、私はこのことが、一生忘れられないし、許すこともできない。

そう彼女は記している。私はさらに立ち止まって考える。この人間非情論を、安易に退ける気はない。それはそれとして受け止めるところもあるのだが、一方でこんな疑問も浮かんだのだった。「何かに出くわした時、真っ先に思い浮かんだ感情」が、果たしてその思いの核心であり、全体をとらえた感情なのだろうかと。そうとは必ずしも、言い切れないのではないかと。

真っ先に思い浮かんだという「時間軸上の一番」が、必ずしもその思いの一番核心をついたところとは言えないのではないか。あとからじわりじわりやってくる、いろんな感情の総体が自分の思いの全体であり、その思いの核心はそのじわりじわりの中にあることも十分考えられるのではないか。

あるいは、いつまで経ってもつかみどころのないままで、言葉にならず自分の内にさまよい続ける核心もあるのではないか。そのように思う。それでも、何らかの意味をもって心のなかに在り続け、たとえば後年に自分の自伝をしたためるにあたって、その人のことに章を割かずにはおれないと自分を突き動かすような表れ方をする、そんな核心もあるのではないか。

また一方で、その瞬間にイースト菌が思い浮かんだのは本当に瑣末なことなのだろうか、とも考え出す。動物にとって、食べ物を与えてくれる対象というのはそれこそ命の恩人であり、もしかすると恩人性というものに根の深いところで直結しているのではないか、とも。自分の生に欠かせない存在が失われていく、というような。

まぁ、これは私の妄想癖で解釈が過ぎるかもしれない。が、いろんな面からこういうことを立ち止まって考えてみる余暇は悪くない。いくら考えても余りあるほど、人間は複雑で深淵なものであるから。

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