「客人」パフォーマンス
ここ数年、ビジネス界隈でリフレーミングとかデコンストラクションという言葉を聞く。時代も変わってきているんだから、ビジネスのやり方もこれまでの見方とらえ方を変えて脱構築しないと。
そんな問題提起を聞いて最近考えるのが、となると「主人」ばかりでなく「客人」も時代変化に順応して役割を脱構築せねば、うまいことバランスがとれないのではないか、ということ。
ビジネスの役者っていうのは、主役級でいうと「主人」と「客人」だろう。3Cとか4Cとか、はずせない役者はそれぞれの事業領域にあるだろうけれども、なんにしたってこの二役は欠かせない。
で、あらゆるビジネスがこの二役の「相互作用」を前提に成り立っているとすると、主人のたたずまいやふるまいが変わっても客人のそれが変わらなければ、それは有機的に作用しないんじゃないか。そんなことを考える。
いやいや、客人のそれが変わってきたからこそ、主人もそれに対応して「変わらなきゃ!」と言ってるわけで、客人はすでに変化を遂げてるよ。そう言われればそんな気もするのだけど、わが身を顧みるとどうも疑念がわいてくる。
果たして、長いこと従来型の世界で「客人」を演じてきた私は、その役割を真っ当に変えられているだろうか。まったく変わっていないとは思わないが、いいところ取りしているだけというか、変化しようとする「主人」と有機的に相互作用するまでの「客人」パフォーマンスを発揮しているわけではあるまい、と。
いやいや、なに馬鹿なこと言ってるんだ、「客人」に合わせて「主人」が変化するのが当然だろう。「客人」至上主義からすると、そう思われるかもしれないし、自分も仕事する「主人」側に身をおいて考えれば、その視点は欠かせないものだと思う。けれど、一方で私は一市民であり、「客人」の立場でも生きている。
だから、客人の立場で、この時代に求められるリフレーミングやデコンストラクションを考えることも、それはそれで有意義に感じられる。客人としてどう今の時代変化に順応していくと、変化を志す主人とうまく相互作用して、より良い暮らし、街、社会に通じていくものか。そういう視点でわが身のふるまい方を考えることも、歳を取ると大事に思えてくる(できてないけど)。
何にも変わってないよなぁと自分のふるまいを思うのは、例えば何かのネットサービスを使っていて、もっとこうなったらいいのになぁと思うこととか、あれココおかしくない?とか思うことがある。そのサイトには「ご意見はこちら」のフォームがある。でも、それを利用して直接フィードバックすることってほとんどない。良いわーと思ったときも、その反応をサービス提供者に返すことってなかなかしない。
オフラインにしても、例えばカフェやコンビニ、スーパーやデパートでお客さんしているとき、電車に乗って乗客しているとき、銀行でATMを利用しているとき、極力寡黙に、手際よく、面倒でない客を演じるのが私のスタンスになっている。手短に注文をまとめ、お会計は素早く、無駄話をせずさっと代金を出してさっと列から抜ける。お昼時の混む時間帯にコンビニのレジで光熱費の清算はしない。いわゆる従来型の客(と思う)。
まぁそれ自体は別にそのままでいい気がするし、自分の性分みたいなものも含むのでいいも悪いもない気がするが、何か特別なことがあったときも客人の私は、それをフィードバックするより極力黙っているほうを採っていると思う。
そこで何か口をはさむのは、店の主人側に対して邪魔をする感じ、どこか無配慮な感じが先に立ってしまう。あちらはあちらの考えで任務を全うしているのだし、こちらにはその任務の全体像が見えていないわけだし、いろいろ優先順位や前提条件もあるだろうし、上からは効果より効率化をうるさく言い渡されているかもしれない。そこで一部だけ切り取って物申すのは、いい迷惑に思われるかもしれないし、気を悪くしてクレーマーのように扱われるのもなんである。
というわけで、こうした商取引では無難にサイレントなマジョリティー客を演じるのが基本性格だ。やりとりは必要最低限にとどめて、控えめに。ひたすら与えられたものを享受し、思うところは思うのみ、自分の思考のネタにするばかり。こういうスタンスが、長年かけてこびりついてしまっている。
時代は「主人」と「客人」が直接関係をもち、活発にコミュニケーションを図り、関係を深化していく方向にあるようだが、それに対応した変化は自分のふるまいに感じられない。なんでもかんでもフィードバックすればいいとも思わないし、SNSに書き込めばいいとも思わない。だからこそ、どういう客としてのあり方が今後にフィットするかは、けっこう手探りだなって思う。
「客人」であるところのConsumer(消費者)を含むビジネスモデルが、B2Cに限らず、マーケットプレイスのようなB2C2Cとか、オークションサービスのようなC2Cとか多様化していて、客人の役割も解釈が広がっている。いろんなあり方、つながり方が出てきた。
こういう時代に、従来の「客人」スタンスのままいるのは、ちょっとズレ感が出てくるよなぁと思う。じゃあ、どう変わっていくのがいいのか。「主人」と「客人」が有機的に相互作用していく健やかなつながりってものを、客人の立場からも考えていきたい。
そしてそんなときには、最もミニマムな「主人」と「客人」の直接関係に原点回帰して、自分の「客人」としてのふるまいを見直していくのがいいんじゃないか、少し時間をかけて。そんな気がするのだ。
昔なじみの近所のクリーニング屋。そこで切り盛りしているおばちゃんと、奥で仕事しているおじちゃん(おばちゃんがいないときだけ表に顔を出す)、客人である私。それくらいのミニマムな中に自然に生まれてくる配慮とか思いやりのある関係性をイメージして、これまでの「客人」スタンスを柔らかい頭でリフレーミングしていけたらと思う。
自分のふるまいが、この先どう変わっていくかはまだわからないし、そう大幅な変更はないかもしれないけれど、今より自然で健やかな「客人」としてのたたずまいは、なんとなくある気がしている。店の主人への心のもち方、向き合い方、たたずまい、ふるまいのようなもの。
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