こだわらない消費
最近、買い物をしていてふと気づいたのだが、ひとり暮らしを始めて以来、日用品の類いはずっと同じ製品を買い続けている。洗剤はアタック、柔軟剤はハミング、歯磨き粉はクリアクリーン、部屋・洗面所・手洗い・風呂・台所掃除はなんちゃらクイックルと、そればかりを買い続けて早16、17年になるだろうか。途中で別のブランドに乗り換えた記憶がない。きれたら前と同じもの(の詰め替え用)を買ってきた。
迷いなし。品質や価格を比較して、毎度より最適なものを勝ち取ろうという気概がなく、日用品の購入にいちいち検討時間を割かない。そう考えると、最初に日用品を買いそろえたときの決断はなかなか大きなものだったんだな。
なんてことを思いながら、これまで買い続けてきた日用品のメーカーを調べてみたら、どれもこれも「花王」製品。そのことに自覚ないまま今日まで来てしまったが、これだけ花王ぞろいの理由とはいったい…。ひとり暮らしを始めた時、私はどんなふうに製品を選んだのだろうか。
一言でいえば「かなり適当に選んだ」ということになるが、その「適当」を言葉に表すなら、子どもの頃からずっとテレビCMで見てきた長寿&メジャー製品を、ドラッグストアだか量販店の店頭で一つこれと選んだ、ということになる。
店頭での決め手までは曖昧すぎてうまく言葉に表せないが、それこそが長年にわたる企業のブランド訴求みたいな取り組みの結実なのかもしれない。その辺は一消費者には想像が難しいけれど。
しかし簡単なところで、物心ついた時からテレビCMで見続けてきた製品・メーカーへの信頼感ははかり知れない。そして長寿であることは、この先もずっとあるだろう、ある日急に生産中止になって再び別の製品を検討する時間をとられるようなことはないだろうという安心感がある。
さらにメジャーなものなら、一般的なドラッグストアや量販店で簡単に入手できる。買いに行ったけど置いていなかったということになると、同じものを探し求めて他店に足を運ぶか、その店で買える別の製品を検討する手間が発生する。いずれにしても時間と意識を使うので困る。毎度同じものを買う想定で、いちいち困らないものにしておきたい、となると。この辺が無意識の判断でなされたんだろう。それが実感としては、一言「かなり適当に選んだ」になっている。
あとは、メジャーなものならどこも一定レベルの品質は確保しているんだろうと勝手に思っていて、それであればどこでも構わないという具合。また、長寿&メジャー製品はたいてい詰め替え用を売っているので、そうするとランニングコストが安くなるのだろうし、買い物も軽く済むんだろうし、環境にもいいんだろうというイメージも後押しした感(これも別に値段を確かめるわけでもなく無意識に漠然と)。
いやはや、適当だな、まったく。と思うが、個人的にこだわりのないものを買う時の温度感というのは、大方こんなものではないだろうか。
ちなみに、もっと日々の暮らしを大事にして生きている人は、日常使うものこそ大事に選ぶかもしれないし、もっと移り気かもしれない。必ずしも日用品だから横着するという話ではないと思っている(日用品選びに横着なのは私の生活力・生活意欲の乏しさによるところが大きい…)。
なにはともあれ、自分がこだわるものについては「悩んでいる時間も楽しい」とか、そこに時間と意識を使うのが有意義になるが、こだわらないものについて時間と意識を使うのは手間に感じる。何にこだわるかは、人によっても違えば、同じ人でもそのときの状況によって違う。
売る側としては、消費活動の少なくない部分がこうした「こだわらない消費」に類する想定で、潜在的なお客さんの動きをイメージしないといかんのだろうなぁと思う。当然といや当然のことだけれども、製品を送り出す側に立つと熱っぽくなりやすいので注意しないと。まとめ、花王はすごい。
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