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2013-01-30

1月どこ

年明けて1、2週は比較的ゆったり構えていた気がするんだけど、半ば頃から急にいろいろ立て込んできて、あっという間に1月も終わりだ。はやい。年末年始がもうずいぶん昔のことのように思える。

年始の記憶を取りにいこうと頭の中を探索しても、数週間前の地点にそれが見当たらない。おせち料理やお雑煮、初詣の記憶はどこに保管してあるのか…。1月前半の記憶も、いろんな人と会って話し込んでいたためか、それぞれが独立した時空におさまって、うまく私の記憶の時間軸に乗っかっていない感じがする(私の記憶の時間軸は日頃からあまり働いていないが)。でも、とてもゆったりして豊かな時間だった気がする。

そして1月半ばからはなにか毎日、今日はあれを作って、明日はあれを仕上げて、明後日はあれを納めに行った後とんぼ返りであれを作りに戻って…と慌ただしく、仕事中心にすえて、なかなか引き締まった時間を過ごした。それで気づいたら月末。1月はどうもつかみどころがない。

ひとつ年始らしく喜ばしい改善は、毎朝のプール通いを再開したことだ。ノロウイルスにかかって1キロ体重が減ったのを見て、乗るっきゃない、このビッグウェイブに!と勢いづいた。まぁそのうち500グラムはすぐもとに戻ってしまったけれど、それは想定範囲内だ。やる気になって早々に心折れないよう、あらかじめ自分に言い含めておいた。

数字がどうあれ、やっぱり泳ぐのは単純に気持ちいい。身体がしゃんとして気分もよい。

私はもともと毎朝プールで泳いでから出勤するのを習慣としていたのだけど、ここしばらくは怠け癖がついていた。週末はちょこちょこ泳いでいたけれど、毎朝やるのはなかなか。しかし、いつもぐずぐずと再開したいなぁ、再開したいなぁとは思っており(日中の私は)、その機会をノロにもらったようなものだ。

私がプール通いするのを知ると、「なんて健康的な!」と言ってくださる方がこれまでに何人もいたけれど、実際のところはプール通い以外何ひとつ身体にいいことをしていないといっても過言ではないくらいで…。以前、漢方の先生に「あなたは水泳していることでかろうじて健康でいられていますね」と脈をはかりながら言われたことがある。

とにかく、ここに書いたもののまだ数日連続でできているだけなので、数週間続けて、身体をちょっとすっきりさせたい。と、すごく日記っぽい1月の記録を気分で書いてみた。つかみどころがない。

2013-01-27

極上の一本を選ぶ

一つ前の話で、冷蔵庫に水しか入っていなかったと書いたが、私はどうも家単体でなく、家と街とあわせて「住まい」ととらえている感があって、食べ物は近所のスーパーやコンビニに置いてある、という感覚で暮らしている。

実家に住んでいるときはそんなことはなかったのだが、ひとり暮らしとなると「狭い」ことが前提になるので(あ、そうじゃない人もいると思いますが…)、おのずと全部の機能を家に求めなくなったということか。ひとり暮らしの家とは、どうも感覚的に「家」ではなく「部屋」どまりなのである。

部屋の中だけでは狭いし寒いし閉塞してしまう。だから、本を読んだり文章を書いたりぼーっとしたりするときは、暖をとりつつ開放感をもって過ごせる近所の喫茶店に出かける。人がリビングでテレビやDVDを観る感覚に近く、映画館に足を運んで物語を愉しんだりする。テレビ鑑賞に比べれば頻度は圧倒的に少ないが、それも個人的にはちょうどいい。

ある意味ものすごく贅沢で、ものすごくシンプルだと思うのだが、病気になって表に出られないとき、家の中に食べ物がなかったら困るでしょう!と言われれば返す言葉がない。

でもこのシンプル生活観はけっこう私の暮らしに馴染んでおり、「場所」に限定せず「媒体」選びにまで発展している感がある。例えば、寝る前にちょっと人の声が聴きたいなぁと思うときは、ラジオ/Podcastを流す(我が家は基本無音である)。映像を愉しみたいときにはYoutubeなどを観ることもあるが(我が家にはテレビがない)、映像で物語世界を堪能したいときには映画館に行く。文字で物語や人の考えに触れたいときは本を開く。

声が聴きたいときは音声のみ。物語を観たいときは音映像全部入りの空間に身を閉じ込めてどどーんと。思考に触れたいときは研ぎ澄まされた言葉に絞って堪能。贅沢!シンプル!それが得られるというだけでなく、他の余計なものがついてこないところがいい。刺激の種類が多ければそれだけ豊かというものではない。限定された刺激を受け取って、自分の中に広がる世界の豊かさを大事にしたい。

力は、使い続けなければ必ず廃れる。極上の一本から繊細な刺激を感受する力を、損ないたくないという恐れ、ずっとずっと伸ばし続けたいという願いが根底にあるのかもしれない。なので、シンプルな対称性が成り立つ刺激を無意識に選んでいるような。

放っておくと、昔テレビっこだった私は「なんでもテレビ」になってしまいそうなのだ。だから未だに怖くて家にテレビを置けない。ラジオとか聴いていると、音1本にしぼって伝えるということが、なんて豊かな伝達となりうるかを実感する。もちろんそこは、ラジオパーソナリティから裏方で番組作りをする人まで、その道のプロの力が結集してそうなっているのだろう。またポール・オースターは「書物はそれが書かれたときと同じ慎重さと冷静さとをもって読まれなければならない」と書いている。

受け取る側の私もそれに応え続けられるよう、願わくばこのシンプルな選択を続けて、それを味わえる極上の媒体を選び、その繊細で濃密な発信を存分に味わえる感受性を鍛え続けたい。

考えてみれば、人とのコミュニケーション手段もそうで、昔は長電話、長メールもよくしたものだけど、最近は会えるものなら直接会って1対1で数時間話し込むというのが一番多い。これも自然とそうなっていったのだが、すごくシンプルな帰着だと思う。人間、人に会えるのは生きている間だけなのであり、直接に会うことでその場で感受できる質・量こそ半端ないものだし、そういう自分であり続けたいと思うのだ。

※前後で、話がつながっているようでいて、つながっていないように感じると思うが、つながっているということにして、やり過ごしてほしい。

2013-01-26

ノロにかかる

昨日の未明から、わかりやすくノロウイルスの症状にやられた。あれは突然やってくる。フルセットでやってくる。とくに吐き気がひどい。そして、あとで計ってみて知ったが高熱まで出る。全身めためたのぐったりだ。

昨日はある講座を提供する本番の日だったため、朝無理やり大荷物をもって表に出てみたが(迷惑)、家から50m歩いたところで、これはもうどうしようもないと悟り、外出を断念。家に帰ってあのデータを送って、あのパソコンを借りることにして、あの打ち合わせ事項を一通り共有できればなんとかなるかと目処をつけて、家のほうに向き直る。

そこからの、今来た道50mの、なんと長いことか…。続けて10歩歩くのがやっと、気が遠くなって度々くずれ落ちそうになる。が、そこで膝をまげてしゃがみこんだら、もう立てない。立てないと、必要な連絡が仕事関係者にとれない。どうにか家にたどりついて、あと20分以内に諸々連絡をとらねばならない。家に帰りつきさえすれば、少しは落ちついて最低限の仕事ができる気はした。

そしてこの連絡がとれれば、講座そのものへの影響はさほど出ないだろう。私の仕事は本番前日までに何ができるかが大きいし、今回は現場に機転のきく主催者メンバーが多く運営およびオブザーバーとして参加することにもなっていた。前日でなく当日ノロにかかったのは不幸中の幸いかもしれない。不幸であることに変わりはないが。けっこう気を遣って、マスク、手洗い、うがい、やってたのになぁ。

ともかく、意地で10分くらいかけて50mを移動し、なんとか帰還。人間、守りたいものがあると強くなるもんだな、と感心。それ無しの私だったら、たぶん道ばたに転がっていただろう。家に着くと、5分ほどぜーはーして態勢を整え、諸々連絡をして、あとは会社の人にまるごとお任せをした。無事終わったようで良かった。関係者には顔向けできないが。

一夜明け、体調はまずまず落ちついた。熱はあるけど吐き気はない。昨日近所のコンビニにも行けない中、冷蔵庫に水が入っていたのは幸いだった。おかげで脱水症状にならずにすみ、一命をとりとめた感。水しか入っていなかったのが難だが…。いやぁ、なんというか、びっくりした。

2013-01-09

アンバランスの妙

1月3日、年明け早々の都内の地下鉄はがらがらに空いている。立っている乗客は一人もおらず、座席も四隅しか埋まっていない。私もあいた隅に腰をおろす。途中駅で、父と娘の2人組が乗ってきて私の向かいに座った。

女の子は小学2〜3年生くらいだろうか。ミニスカートに黒いタイツ、一丁前に足を組む。放り出した膝下がすらりと伸びて格好いい。こりゃ生粋のSかと思いながら視線を上にもっていくと(って私の視線移動、ほとんど男そのものだが)、イメージにピタリとはまる、つんとすました顔。手には大きな文字で「宮沢賢治」と書かれた本。うーむ、「アタシ、バカは嫌いなの!」とかいうセリフをはいたら、すごく様になるんじゃないかしら。

なんて感心してみていると、おもむろに人差し指を鼻の穴の中につっこんだ。その淡々とした所作にぐらり。躊躇がない。恥じらいもない。淑女への道のりはまだまだよのぉと思いながら様子をみていると、左の穴から右の穴へ、その指を口の中にいれてフィニッシュした。これには姉さん衝撃を隠せず(でも隠した)。

色っぽい足と、勇ましい手の指さばき。数分の間に、このアンバランスの妙を特等席で見せつけられて、私は一人うなってしまった。そんな私をもう一人の私が静観しながら、人のふるまいに一貫性を求めるのと、ステレオタイプにものを見るってのは案外、表裏一体なのかもしれませんなぁとぼやいている。わかるような、わからないような。

ともあれ、こういう不統一なバラバラ感に遭遇すると、凝り固まったものの見方をひと思いに叩き割ってくれる感があって、なかなか味わい深い。

2013-01-08

セラミックヒーターを買うまで

ビックカメラでセラミックヒーターを買った。ダイキンのセラムヒートという遠赤外線暖房機。1消費者の購入までのいきさつをメモ。

 

私は寒がりだし、部屋もフローリングむきだしで寒いので、前からエアコンのほかにもう一つ暖房器具を部屋に置きたいとは思っていた。のだが、なんだかんだとやり過ごしているうちに季節は変わり、まぁいっかを繰り返し。

 

が、来る冬、来る冬、毎度冬は寒く、部屋も寒く、身体をふるわせて部屋にいる。いい加減これだけずっと欲しいなぁと思っているのだから、きっと買っても後悔はしないだろうと思い、数日前「本当に買うかも」モードにスイッチを入れてビックカメラへ行った。

 

一度目は様子見、買うならこれだなぁというところまでいって、家に帰って一晩寝かせてみたが、やっぱりあれ部屋においたらいいかなぁという気持ちが残っていたので(高まっていたわけでもない)、では会社帰りに買って帰るか、と再びビックカメラへ足を運び、買ってきた。

 

先の商品を選んだのは、(1)ビックカメラの暖房器具売り場で前のめりに売り出し中だったのと、(2)試演中になっていて前に立ったらあったかかったのと(暖房器具だから当然だが)、(3)商品下に設置されていたパンフレットを読んだらいいこと尽くめでべた褒めされていたのと(パンフレットだから当然だが)、(4)店頭に暖房器具の種類別特性一覧みたいなマトリクス図が張り出されていて、セラミックヒーターは即暖性に◎がついていたのと、(5)デザインがシンプルで色味も落ちついていたためだ。

 

あと、(6)私がその商品のスポットライト下にいるときに、背後の母娘が「これ、いいらしいわよー」と噂話ふうにささやいていたのを耳にしたのも、世の中のどこかでコレ評判がいいんだなぁと思った記憶があるので、一応付け加えておく。

 

で、大方気持ちを固めつつ、28,000円台を提示する値札の下に書かれた、他店でこれより安く売っていたら店員にお声がけください的な一言への対処を思案。手元のスマートフォンで価格.comをチェックしたら、なんと18,000円台がある。さすがに1万円値切るのは難しいだろうと思いつつも、これを見て28,000円のまま売ることもないだろうと思い、注意書きに従って店員さんに声をかける。

 

「これの在庫ってありますかね?」と尋ねると、「ありますよ」と店員さん。スマホを手に、「これね、価格.comの最安値で18,000円台があるんですけど、どれくらいまでいけますかね」と私。「うーん、量販店さんの最安値までは落とせるんですけどね。それだといくらになりますかね」と店員さん。一緒にスマホ画面を覗き込みながら、量販店の最安値までページを下っていく。コジマネット23,379円、これで手をうとうじゃないかと相成り(ネット販売っぽいけど)、きりよく23,000円にしてくれた。1万円値切ったら、5千円まけてくれた格好に。値切ったの、初めてかもしれない。初めてのお使い的にちょっと気分高揚。

 

「持ち帰ります?」と言われて、「できるかぎりそうしたいんですけど、ちょっと持ってみていいですか?」と試してみる。まぁ、持てないことはない。店員さんも「10kgくらいですね。まぁもてないことはないですね」と言うので、「じゃあ持ち帰ります」と宣言。

 

しかし店員さんも、店と私の家との距離も移動手段も知らないでよくぞ言いきった。店から出る前に、エスカレーターを数階下るだけで腕が折れるかと思った。だいたいこういうのは往々にして、もっている間に重たさが増してくるものなのだ。小学生のときに習っただろう。店員さん、もしや自分の体格、体力、筋肉、店と家の距離想定で言っていたのでは…。

 

とか、今さら言っても始まらない。角張って持ちづらい大きな段ボールを持ち、休み休みどうにか店を抜け、駅の改札を抜け、電車に乗って、最寄り駅から家まで汗をにじませながら帰ってきた。

 

まぁそれでも、数日後に届く身軽な最安値より、今日持ち帰れる重たい安値である。欲しいときが買いどき。おかげで今、右半身はほかほかだ。そして左半身は寒い。遠赤外線とはそういうものらしい。

2013-01-07

年始の仮説

「年末の戸惑い」を書き留め、年末年始の間もぼやーんと考えていたというか、自分の内側で何が起こっているのか耳をすましていたら、うーん、キャリアカウンセラー然としたものにもう一歩近づこうという流れが来ているのかなぁと思いついた。

今の「研修をつくる」仕事も、私としてはキャリアカウンセラーの仕事の一環としてやっているつもりなのだけど、まぁやはり「一環」だ。今の仕事のありようは「法人に対してソリューションを提供する」ということになろうが、「個人に対してカウンセリングを提供する」ということも、それこそキャリアカウンセラーの本分ともいえる欠かせない役割だし、本分であろうとなかろうと私が尽くしたい仕事の一つのありようではないか。

もともと20歳から30歳くらいまではほとんど個人を相手とするB2Cに従事してきた。30歳くらいから徐々に法人を相手とするB2Bの業務比率が高まり、ここ数年は法人のお客さんにソリューションを提供する仕事が大半を占める。

法人に軸足を移した背景には、キャリアカウンセラーとして個人と向き合うにしても、B2Bの現場経験のない人間が、B2Bの現場をどれだけリアルにイメージできるものか、どれだけそこで働く人の気持ちに寄り添えるものかと考えたこともある。結果的に、ここ数年で得た実務経験と感情体験には、B2B特有のものが多分にあった。

ヒアリングにせよ、企画立案にせよ、提案書作成にせよ、プレゼンにせよ、受注確定にせよコンペ負けにせよ、受注後のプロジェクトマネジメントにせよ、講義や演習の設計・開発にせよ、教材や本番の納品にせよ、その後のレビューにせよ、B2Bならではの現場感情を存分に味わった。B2Bへの移行期、「私は法人相手はどうも苦手で…」と逃げ腰にならず取り組んで、本当に良かったと思う。

まぁ、あらゆる人のあらゆる経験や感情体験を自分のものとすることはできないので、いくらやったって、人の気持ちを推し量るのに十分とはいかない。けれど、とにかくここ数年で得たものは大きかった。

それを踏まえて、ここから2〜3年くらいの間で、再びキャリアカウンセラーとして、個人と向き合う時間ももっていけたらいいな、と思っているのではないか、と。自分のことながら、まだ仮説なのだけど…。

別に、B2Cビジネスという体でなくても構わない。本業をそれに移行したいということでもない。というと中途半端だと思われるかもしれないけれど、中途半端にしたくないからこそ、安易に今の仕事を移行する気はわかない。

今の仕事への責任みたいな話を別にして、個人的な仕事のやりがいでいっても、私は法人の仕事を有意義だし、好きだし、大事にしたいと思っているので、現実的な仕事の比重として当面B2Bをやっていくのは変わらないように思う。

長い目でみても、会社が私をそのように活用したいと思い、私もこの会社ではこう働くのが一番会社の理念に通じた貢献ができると思うかぎり、それでお世話になるのがいいと思っている。実際は今も、軸足がB2Bにあるだけで、いろいろやらせてもらっているし、今後も提案すればいくらでも領域を広げられるし、変化をもちかけられる環境でもある。

というわけで、今すぐどうこうということはないのだけど、法人向けに「学習の場の構造化とその洗練」に力を尽くすのと別に、個人の深遠さに向き合って一緒に可能性を探し当てていくキャリアカウンセラーとしての仕事を、これから2〜3年くらいかけて身体を動かしながら模索していけたらいいかなぁと。

昨年MBTI認定ユーザーとしてのカウンリング活動を再開(というか開始)したのも、これの予兆という気がするし、昨年は一対一で会って人と話し込む機会が多くあったのだけど(もともとの傾向ではあるが)、その過程で、あぁこういうふうに一人の人と丁寧に関わりをもつことの尊さを、もっと意味ある形に昇華できるかなぁと手応えを得たりもした。

とりあえず、中途半端に駆け出してぜいぜい言わないように、今は準備体操をしたりしている。そんな新年です。相変わらず、こういう感じの曖昧模糊とした文章が挟み込まれること請け合いのブログですが、本年もどうぞよろしくお願いします。

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