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2012-11-21

分かっても分けない

旅に出たからといって何か悟って帰ってきたわけじゃまったくないのだが、普段はかなりインドアな暮らしぶりなので、山と海と川と空くらいしか分けられない所に体をぽんと置いてみるのもいいもんだな、とは思って帰ってきた。

飛行機で移動中はずっと日本列島を見下ろす状態だったのだけど、その景色があまりに山続きなので驚いた。日本列島、こんなに山だらけだったのか…と。左は海、右は山、それがずーっと続いていた。普段いるところが例外なのであって、この列島の大方はこっちなのか…と今さら感慨にひたってしまった。

上から見ていると、ほんと海、山、空、ときどき川、湖、街ってくらいで、それくらいの要素でしか分けようがないのも、普段の視界とずいぶん違うものだなと思った。

それで、じゃあ普段私は何を見ているのだろうと考えてみると、街中で見慣れたものはもはや物体として捉えることすらなくなっていて、ただ風景の中を行き過ぎているだけって感じだ。私はもともと「形状」に対する意識が鈍く、たいていは頭の中に浮かぶ形のない思索のあれこれに意識の目を向けて街中を歩いている気がする。危ない…。

いや、仕事をしているときで考えよう。とすると、特に学習の現場に立ち会っているときや、客先・講師との打ち合わせの席なんかでは、けっこう感覚器を使っている気がするのだが、そういうときって「分かろう」としているから、おのずと摂取情報を「より詳細に分ける」方向に向かっている気がする。

例えば研修会場で運営なんかしていると、課題の最中に受講者が椅子からふわっと体を浮かす動きを捉えることがある。すると、あれは座り直しただけ、あれは椅子の座り心地が悪くて腰が痛いのかも、あれは消しゴムを借りたい様子、あれは一から書き直したいから新しいワークシートが欲しそうと、一見同じにみえる視覚情報を細かく分類してとらえている(こう書くと気持ち悪いが、ほとんど無意識にやっているので目はギラギラしていないはず…)。

仕事場面での情報摂取シーンを思い浮かべると、多くの人はそんな感じではなかろうか。より詳細に分かろう、分けようと。でも仕事場面のどんなシーンでも、できるだけ事細かに分けることが最善というわけじゃない。分けられることは能力であり、「分かる」分には詳細にできるに超したことはないだろうが、各事案で「分ける」かどうかはまた別の問題だ。

能力は「いつどんなふうに使うか、使わないか」をみずから選択できてこそ活かされるものであって、常に使うことを選択しているうちはまだものにできていないってことにしておいたほうが良さそうだ。

例えば、ある程度抽象度の高いレイヤーで研修の全体設計を考えているとき、受講者一人ひとりの属性を詳細に調べていって、Aさんにあわせるとこう、Bさんにあわせるとこうとやっていたら、いつまで経っても一枚の絵に落とし込めない。

数十人、数百人、ときには千人単位の研修の全体設計をする段階で大事なのは、一人ひとりの属性を詳細に(延々に)調べ上げることではなく、学習者に影響を与える多種多様な学習条件のうち、どの変数とどの変数に細心の注意を払って設計に落とし込めばより実施目的に適うかを能率よく見極めること、その観点をもって研修を構造化し、作り込むことだろう。そのために個人にインタビューを行うこともあるだろうけれど。

どこかで見切りをつけなければ、いつまで経っても分析から設計工程に移れず、受講者のことは一人ひとりよくわかっているかもしれないけど、何の具体的計画も提案できない人になってしまう。「これではAさんに不都合」「これではBさんに不都合」とダメ出しだけする人になってしまう。

これはきっと、いろんな分野の設計仕事に共通するものではないだろうか。いくらでも詳細に分けられることではなく、一定期間内にどれだけ目的に適ったシャープな切り口で分けられるか、その観点をもって設計図に落とし込めるか。って考えると「設計屋にはな、分かっても分けねぇときがあるのよ」と、決め台詞はこんな感じだろうか。どこで使うか知らないが。

で、シャープな切り口を実現する上では、どれだけ自在に時空をこえて物事の分け方を操れるかが大事になってくると思われ、飛行機から見る感じとか、宇宙船から見る感じとか、数千年・数万年前から今までを俯瞰する感じとか、いろいろな視野・視点をもっておきたいなと。そう考えると、実際にその身をもって飛行機に乗って上空から日本列島を見下ろしてみるのもなかなかいい体験だなと。一応、私の中では前後のお話がつながっているのだが、果たして。

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