思索世界の外化
まれに、このブログを読んで思うところあったということで、面識のない方がメールをくださることがある。つい先日もそんなことがあって、今回は直接お会いすることになった。
市井のブログの書き手にもそういう事態が起こるというのは、Googleの力によるところが大きいと思う。昔のホームページ時代には、本当に自分の知人友人しか訪れなかったから。今は検索エンジンを通じて、過去10年間に書きつづった言葉の何かにひっかかりを覚えて、いろんな人が訪れる(ページを開いた途端、うわっ文字だらけ!と思って速攻立ち去っている人も少なくないと思うけど…)。今回の方も、8年前に書いた文章を読んでメールをくださった。
とはいえ、いかに時代が変わり検索エンジンが進化を遂げても、書き手が市井の人であることに変わりはない。「あちらがこちらを知っていて、こちらがあちらを知らない人」から声をかけられるという事態は、相変わらず私の日常になかなかないのである。なので、丁寧につづられたメールをいただくと、こりゃ希有な体験だなぁと思いながら、いただいたメッセージを拝読することになる。
特に私の日常は、あなたの頭の中どうなってるの?と講師や受講者の頭の中を覗き込ませてもらって、それを観察してはつなぎあわせるための策略を練るような仕事なので、私の頭の中どうなってるの?とこちらに目を向けられることってあんまり記憶にない。
時々不思議な人扱いはされるが…、基本的に興味は人に向けるものであって、私が興味をもたれる機会ってそんなにないのだけど、ブログを読んで思うところあってメールをくださる方というのは、自分の思うところを伝えたい気持ち半分、こちらに対する関心半分という感じか、話していると、少なからず私の頭の中がどうなっているのか?という問いをもっているように感じる。なので、私も別段出し惜しみするようなものもないし、こういうことを考えている頭ですと開示する。
短時間に共有するとなると、結局言葉を使って伝えるほかないので、あれこれおしゃべりしながら、あれについてはこう思う、これについては私はこう思うんですよねと、自分の思うところをざっくばらんに話していく。そうするとまぁ、きっかけとなったブログが「心のうち」ってブログなだけに、というか私が根っから哲学寄りの概念的な人間なだけに、話は必然的にそっちに傾斜していく。
今回も問いに応えつつ思うところをあれこれしゃべっていたら、私が自分のことをどうみているか、人のことをどうみているか、生きる意味をどう捉えているか、私のなかにある愛情というものについて、とまぁ、結局そんな話をあれこれ口にしていた気がする。
こういうのって普段あまり声に発していないことで、自分の思索世界で完結している話を外化する機会になっていた感じだ。あぁ、そうね、私こういう人間だわねと、話しながら顕在化する自分に改めて納得していくような感じ。時々、声にのせてそういう話をしてみるのも、きっと大事なんだろうな。時々。という体験記。
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