実務者の焦点
私たちは一仕事終えた後、あるいは何かやっている最中にも、自分の仕事ぶりを自己評価している。これでいいのかしら、あれで良かったのだろうかと振り返っては、不安に思ったり反省したりする。そのとき、何を参照して自分を評価しているかというのは、けっこう重要な問題である。
カウンセリングの大家、河合隼雄さんが著書「カウンセリングの実際問題」で言及している話がとても好きだ。ある学校の先生が、河合隼雄さんに質問してきたときの話である。
その先生はカウンセリングの勉強をして、学校内にカウンセリングルームを開いた。そこへある生徒がやって来て、その先生の教えている教科について質問してきた。相談事じゃなかったが、邪険にもできないのでいろいろと教えてやった。
ひと通り質問を終えたので帰るかと思ったら、しばらく黙った後で生徒が悩みを相談し始めた。先生は、それまでいろいろ教えていた勢いで、「こうしたらいいだろう」「このようにしなさい」と指示をしてしまった。生徒は喜んで帰っていき、翌日「おかげで問題が解決した」と報告に来た。
このときのことを振り返って、先生は河合隼雄さんにこう質問したのだった。「先生、私のやったことはカウンセリングでしょうか」。
この言葉から、河合隼雄さんは先生の不安をこう汲み取った。カウンセリングでは教えたり指導したりしてはいけない。自分は生徒に教えてしまったのでカウンセリングではない。カウンセリングではないからだめなのではないか、それを恐れている。
河合隼雄さんは先生にこう返したという。「自分のしたことがカウンセリングであるだろうかと反省する前に、自分のしたことは役に立ったのだろうかを考えてください」。
これって本当にいろんな仕事にあてはまる、とっても大事なことだと思うのだ。もちろん、自己評価するときには多様な参照先があっていい。河合隼雄さんが「〜と反省する前に」と表現したように、「自分のしたことはカウンセリングだろうか」を後で考えてみるのもいい。けれど、まず最重要の振り返りが、実務家にとって何なのかという焦点を見誤っちゃいけないと思う。
私のしたことはデザインか、これはUXデザインと言えるか、私のした仕事はあの概念モデルの要件を満たしていないからプロとして欠陥ではないか。こうした内省が、自分がそれのプロとして他者から認められたいがための自己満足的な振り返りで終わっていないか、一度問うてみる価値はあると思う。
自分の職種の職能要件や、先進的な概念モデルと照らし合わせた振り返りも、自分の職能を洗練させていく上で有意義な場面はある。それは、そう思う。同業者と飲んだり語らったりするとき、あるいはその職能や概念について深く理解し、研究・発展させようとするとき、中長期的に自分がより良い仕事をしていこうと励むとき、こうした観点で自分の仕事ぶりを評価することは有意義だろうし、学びもあると思う。
けれど、1つの案件を預かっているまさにそのとき、何より大事なのは、やっぱりその案件で役に立つってことに尽きると思う。
職種というのは、ある専門での人の働き方を汎用的なモデルに展開したものだ。ある工程の概念モデルも、やはり抽象化されていて、だからこそ多くの人に価値がある知見になるのだし、裏を返せば現場でそのままやっても一般化されすぎていて案件事情に配慮した仕事ができない。そして、世の中の汎用的なモデルをそのまま適用しようとして、その案件事情に配慮した仕事ができないのは、実務者として致命的だと思う。
河合隼雄さんがこのお話の締めに、こう書かれている。
これらのことを簡単にいうと、誰かが悩みをもって来たときに、「私がこの人のために、現在できる最善のことは何か」をまず考えよということになると思います。こう考えますと、われわれのできることはたくさんあります。
自分にできることは、きっとたくさんあるのだ。ある職種の職能要件を自分がどれくらい満たしているか否かに関わらず、そのプロジェクトメンバーに選ばれた、限られたメンバーの一人としてできることは、たぶんたくさんある。だから、今この問題の解決に向けて自分がどう役立てるのかを、一番大事にできるのがいいと思う。実務者の焦点って、そこだと思う。
そうして役に立つように一つひとつやっていったら、自分が心の奥で欲しているものもきっと手に入るから、大丈夫なのだ。
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