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2012-10-27

実務者の焦点

私たちは一仕事終えた後、あるいは何かやっている最中にも、自分の仕事ぶりを自己評価している。これでいいのかしら、あれで良かったのだろうかと振り返っては、不安に思ったり反省したりする。そのとき、何を参照して自分を評価しているかというのは、けっこう重要な問題である。

カウンセリングの大家、河合隼雄さんが著書「カウンセリングの実際問題」で言及している話がとても好きだ。ある学校の先生が、河合隼雄さんに質問してきたときの話である。

その先生はカウンセリングの勉強をして、学校内にカウンセリングルームを開いた。そこへある生徒がやって来て、その先生の教えている教科について質問してきた。相談事じゃなかったが、邪険にもできないのでいろいろと教えてやった。

ひと通り質問を終えたので帰るかと思ったら、しばらく黙った後で生徒が悩みを相談し始めた。先生は、それまでいろいろ教えていた勢いで、「こうしたらいいだろう」「このようにしなさい」と指示をしてしまった。生徒は喜んで帰っていき、翌日「おかげで問題が解決した」と報告に来た。

このときのことを振り返って、先生は河合隼雄さんにこう質問したのだった。「先生、私のやったことはカウンセリングでしょうか」。

この言葉から、河合隼雄さんは先生の不安をこう汲み取った。カウンセリングでは教えたり指導したりしてはいけない。自分は生徒に教えてしまったのでカウンセリングではない。カウンセリングではないからだめなのではないか、それを恐れている。

河合隼雄さんは先生にこう返したという。「自分のしたことがカウンセリングであるだろうかと反省する前に、自分のしたことは役に立ったのだろうかを考えてください」。

これって本当にいろんな仕事にあてはまる、とっても大事なことだと思うのだ。もちろん、自己評価するときには多様な参照先があっていい。河合隼雄さんが「〜と反省する前に」と表現したように、「自分のしたことはカウンセリングだろうか」を後で考えてみるのもいい。けれど、まず最重要の振り返りが、実務家にとって何なのかという焦点を見誤っちゃいけないと思う。

私のしたことはデザインか、これはUXデザインと言えるか、私のした仕事はあの概念モデルの要件を満たしていないからプロとして欠陥ではないか。こうした内省が、自分がそれのプロとして他者から認められたいがための自己満足的な振り返りで終わっていないか、一度問うてみる価値はあると思う。

自分の職種の職能要件や、先進的な概念モデルと照らし合わせた振り返りも、自分の職能を洗練させていく上で有意義な場面はある。それは、そう思う。同業者と飲んだり語らったりするとき、あるいはその職能や概念について深く理解し、研究・発展させようとするとき、中長期的に自分がより良い仕事をしていこうと励むとき、こうした観点で自分の仕事ぶりを評価することは有意義だろうし、学びもあると思う。

けれど、1つの案件を預かっているまさにそのとき、何より大事なのは、やっぱりその案件で役に立つってことに尽きると思う。

職種というのは、ある専門での人の働き方を汎用的なモデルに展開したものだ。ある工程の概念モデルも、やはり抽象化されていて、だからこそ多くの人に価値がある知見になるのだし、裏を返せば現場でそのままやっても一般化されすぎていて案件事情に配慮した仕事ができない。そして、世の中の汎用的なモデルをそのまま適用しようとして、その案件事情に配慮した仕事ができないのは、実務者として致命的だと思う。

河合隼雄さんがこのお話の締めに、こう書かれている。

これらのことを簡単にいうと、誰かが悩みをもって来たときに、「私がこの人のために、現在できる最善のことは何か」をまず考えよということになると思います。こう考えますと、われわれのできることはたくさんあります。

自分にできることは、きっとたくさんあるのだ。ある職種の職能要件を自分がどれくらい満たしているか否かに関わらず、そのプロジェクトメンバーに選ばれた、限られたメンバーの一人としてできることは、たぶんたくさんある。だから、今この問題の解決に向けて自分がどう役立てるのかを、一番大事にできるのがいいと思う。実務者の焦点って、そこだと思う。

そうして役に立つように一つひとつやっていったら、自分が心の奥で欲しているものもきっと手に入るから、大丈夫なのだ。

2012-10-21

私のふつう

仕事関係で共通の知り合いも多く、いつからかTwitterでフォローしあっていたもののお会いしたことのなかった方と、先日初対面する機会があった。このブログを気に入ってくださっているマニアックな…もとい奇特な方で、書き手としてはありがたい限りだ。

おしゃべりする中で、その方がこんな話をしてくれた。このブログは、実際には起こらなかったこととか、私が実際にはやらなかったことが書かれている。実際に起こったことや、私が言ったことやったことと同等か、それ以上の分量を割いて、実際には起こらなかったこと、やらなかったこと、それを通じて内省したことなんかが書かれているのが面白い。そういうのってメタ的にそれをみていないと書けないし(というようなこと、たぶん…)。

これが私にしてみると、へぇそんなふうに思いながら読んでいるのかーと興味深かった。メタ的にとらえやすい性向は把握していたけど、そういう文章の分類とか量って意識したことがなかった(実は分量についてその場で言及していたかは曖昧なのだが…)。

そんな感想をいただいて、私はこんなようなことを応えていた。私の内界、つまり自分の皮膚より内側の世界というのは、確かに外界より圧倒的に狭く小さい。自然科学的な体積でみたら、外界(つまり自分の皮膚より外側の、果ては宇宙までの世界)のほうが圧倒的に広く大きい。

けれど、私の主観的な感覚でいったら、内界と外界の体積は同等くらいに感じながら普段過ごしている。だから、ブログに書いている内容もそれを反映して、ふつうに書いていると、自分の内界と外界の話が同等くらいに出てくるのではないか。しかも外界のことはなかなか、人に配慮すると書けないことも多いので、私の内界に起こった思索、内省、妄想のあれこれのほうが若干量が多くなるのかもしれない。

そんな私の内界と外界の感覚を、その方は不思議な生き物をみるように聴いていた(笑)。これはなかなか興味深かった。みんなそれぞれに「私のふつう」っていうのをもっていて、話さなきゃそれが他の人にとってもふつうだと思っているんだけど、実は全然違ったりする。そういうのが、こういうふうにあらわになっていくおしゃべりって、たのしいなぁと思うんだ。

2012-10-20

セカンドオピニオンの裏面

昨日病院に検査結果を聞きにいって、父の腫瘍は癌(悪性)だったことが特定された。と同時に、この間の手術で一通り除去できたこともわかった。もう少し根っこが深くまで入り込んでいたら、また別の治療が必要になっていたので、本当に良かった。筋肉のほうまで根っこが入り込んでいた場合、今回の手術では除去しきれないと言われていたので、手術後も内心ひやひやしていたのだ。

やっぱり発見してから手術まで期間をあけず、早期治療できることが大事なんだなって思った。これはあくまで、両親が癌にかかった医療には門外漢の一患者家族として思うことだけど。

なんだかおかしいわって兆候を確認して、最寄りの病院に行ってエコー検査やって、再検査が必要ですねってことになって別の日にレントゲン検査やって、再検査が必要ですねってなって別の日に内視鏡検査やって、これはちょっとまずいですねってなって、「うちじゃ手術できないから紹介状書きますね」ってことになって、大きな病院に行ってまた同じ検査を一通りやって、手術することになって、入院して手術する。

ってことになると、発見から癌を除去するまでに、2ヶ月近くかかるのはざらではなかろうか。最寄りの病院の手際の良さや、大病院の混み具合にもよるだろうけど、何かと1週間刻みで予約をとっていくと、あっという間に1ヶ月、2ヶ月と進行していってしまう。

でも、この2ヶ月の間にも、どんどん根っこは奥深くまでのびていくって考えると、その期間の長短によって処置の程度が変わっていってしまうことも頭においておかないといけないんじゃないかって気がする。

今回うちは、決して大病院とはいえない最寄りの病院で手術して、根っこからとってもらえた。その体験で語っているだけっていったらその通りなんだけど。あと、この最寄りの病院は、父の友人がそこで以前お世話になって癌が完治したってところを紹介してもらって行ったというのもある。

手術前のお医者さんの見解としては、「現状の検査では、陽性悪性かまで特定できていない。けれど、とにかく一定サイズの腫瘍があるのはわかっているし、これこれの観点から悪性の可能性も十分考えられる。なので手術でとってしまって、そこでとった細胞を検査にかけて、後で陽性悪性の確認をするほうが早期治療できて良い」という話。父も、「じゃあ手術お願いします」ということで、初診から16日後に手術してもらった。腫瘍らしきものを発見してから半月ほどでの処置だ。

父が、手術を決めてから入院前にそれを友人に話したところ、「そういうのはセカンドオピニオンっていって他の病院の医師にもしっかり意見をもらってからやったほうがいいんだよ、大きな病院とか行ってさ」と言われたそうだけど、それで大病院にかかっていたら、癌はもっと進行していただろう。信頼をおける先生だなって直感的に感じたのも大きいけれど、私は父のやり方に賛成した。

ここでふと、直感が反対すれば私もセカンドオピニオンを勧めていたかもしれないって思ったので、「なんだ、結局おまえは直感だのみじゃないか」と言われれば、まぁその通りなんだけど…(正確にいえば私が信頼をおいているのは直観だ)。

再発率も高いので安心はできないけれど、今はとにかく、根こそぎ取り除いてくれて、先生本当にありがとう!って気持ちだ。深くお辞儀をして、病院を後にしてきた。

2012-10-18

で、何をしたいんだっけ

ずいぶん昔の話になるけれど、あるお客さんのところを訪問して相談ごとを聞いていた時のこと。その時の私は、B2Bの仕事においてはまだ半人前未満で、そのお客さんのところじゃ「口を開くこと」もままならず、ただただお客さんと上司のやりとりを観察学習させてもらっていた(のを寛容に許してくれていた当時の上司に今改めて感謝する)。

お客さんは目の前にピラミッド型の階層図を示して説明を始めた。ここの層の仕事は外部Aにやらせたくて、この層は外部Bに、このとりまとめを外部Cにやらせたい。これをうまいことやりたいんだけど、今の外部Cだとこういう問題があってうまくハンドリングしてくれない。お宅に入れ替えたら、この問題を解決してうまいことハンドリングしてもらえるか、とかそういう内容だったと思う。

それを聞いていて私が疑問に思ったのは、この会社は自社の社員の力で何をやりたい会社なのだろう、ということだった。事業主体が現場を全部手放して、外部の人間で現場がまわる組織構造をつくって、それを管理監督して、それがうまく行かなければ、うまく行かないんだけどお宅ならできる?とソリューションを提案してもらって、それでこの会社は社員の手で何を社会に提供したいんだろうなと。

でも、そういう構造づくりをして全体をマネジメントするって会社もあるのかもしれないし、もっといろいろ難しいことを考えているのかもしれない。私には見えていない領域の仕事が、このピラミッドのさらに上層にいろいろあるのかもしれない。そんなことを思いつつ、結局その疑問は口に出さず、その会社を後にした。

そして帰り道に、上司にその疑問を話してみた。すると、その疑問はまっとうであるという反応で、そうなのか、別にあの場で口にしても馬鹿にされるようなことではなかったのかなと内心安堵したのを憶えている。

その頃、法人ビジネスというのは私にとってまったく未知の世界で、ものすごく高尚な議論をなしていて、その席で私が思うことはまったく幼稚で偏狭で、口を開いたら「は?」と笑われるか苦い顔をされてスルーされるのがオチだという強迫観念を抱えていた(とまで言うと大げさかもしれないけど似たようなもの)。

けれど、私はその上司を尊敬していたし、その上司がまっとうだというんだったら、少し自信をもって客先で口を開いてもいいのかもしれないと思えた。それが今思えば、法人ビジネスでやっていく一つの突破口になったようにさえ思う。

もちろん、それで発言してみたら、おまえの考えは浅はかだ、議論の本質が見えていないと思われることもあるだろう。そういう不安は今だってある。先ほどの件だって、実際その場で俎上に載せてみたらお客さんからそういう反応をされた可能性は十分にある。「事業主体が現場を全部手放して」というのは私が見えていないだけで、ただの思い込みだったかもしれない。

それでも自分がその力の限りを尽くして考えたことを発言することが、話を前に進めたり、議論を深めたり、より良い成果を生み出す可能性をもつなら、自分をかばうよりそちらの利をとるのが仕事する人間の使命だし、私のありたい姿でもある。

むやみやたらとアウトプットする気もないが、自己評価を通過するものは、あとは出してみて外の評価を得るほか判断のしようもない。外の評価を浴びなければ、それ以上に伸ばしようもないのだ。

それに経験と年齢を重ねていく中で、そこで発言して赤っ恥をさらしたとしても、それが自分の等身大の結果なのだと潔く受け止める覚悟は養ってきたし、それで「あれは私の力を出し切っていなかったから」と脳内で言い訳してしまうようなアウトプットは出さないようにしてきた(たぶん)。

私は瞬発力がないので、できるだけ事前に情報を整理して、じっくり考えて、自分の仮説なり提案なりをまとめてから客先を訪問するようにした。すると、クライアントさんがこちらの提案を聴いて「ここはこうしてはどうか?」と返してくることも、けっこう自分が事前に考えたことが多くなり、「それも考えたんですけど、こうこうこういう事情を考慮すると、こっちのほうがいいかなと思って提案はこちらにしたんですが、どうですかね」とその場の議論を深められるようになっていった。

お客さんや営業さんは、瞬発力で私がそれをなしていると勘違いしてくれているかもしれないが、私はそんなに地頭の回転が速くないので、これまでの経験と、訪問する前の熟考をかけあわせてその場の対応を成立させているのが実際だ。でもプロジェクトにとっては、私の地頭の回転の速さはどうでもよくて、とにかくより良い効果に結びつけられればいいのだ。だからまぁいいじゃないかってことにして、自分の頭の回転の鈍さはずいぶん前から寛容に受け入れてしまっている。

って話が大幅にそれたけれど、当初の本題に戻す(もはや本題が本題じゃなくなっているが)。先ほどの会社がどうかというのは全体像が見えていないので、この本題とは関係ないんだけど(だからこの文章を公開できたんだけど)、いろんなことを仕組み化して、外部化して、中が空洞化しちゃうのでは切ないよなと。ぜーんぶ仕組みに埋め込んじゃって、外部化しちゃって、そのメンテナンスと改善作業に明け暮れるんじゃつまらないよなと。

機械化とか、仕組み化とか、アウトソースとか、そういうのを押し進める一方で、そこが得意としない真逆の領域で人間の能力を積極活用していく推進力も、それはそれで大事。というか、それこそ必要不可欠だよなぁと。磨けばこんなに能率的に物事を処理したり、臨機応変に対応したり、その過程で新しいものを発案したりする可能性秘めた道具もないんじゃないかって思うし、そういう仕事の創造過程こそが人生の醍醐味の一つだとも思うし。って、ほんと話が散漫で、私こそが「で、あんたは何を話したいの!」って感じのまま去る。

2012-10-16

思索世界の外化

まれに、このブログを読んで思うところあったということで、面識のない方がメールをくださることがある。つい先日もそんなことがあって、今回は直接お会いすることになった。

市井のブログの書き手にもそういう事態が起こるというのは、Googleの力によるところが大きいと思う。昔のホームページ時代には、本当に自分の知人友人しか訪れなかったから。今は検索エンジンを通じて、過去10年間に書きつづった言葉の何かにひっかかりを覚えて、いろんな人が訪れる(ページを開いた途端、うわっ文字だらけ!と思って速攻立ち去っている人も少なくないと思うけど…)。今回の方も、8年前に書いた文章を読んでメールをくださった。

とはいえ、いかに時代が変わり検索エンジンが進化を遂げても、書き手が市井の人であることに変わりはない。「あちらがこちらを知っていて、こちらがあちらを知らない人」から声をかけられるという事態は、相変わらず私の日常になかなかないのである。なので、丁寧につづられたメールをいただくと、こりゃ希有な体験だなぁと思いながら、いただいたメッセージを拝読することになる。

特に私の日常は、あなたの頭の中どうなってるの?と講師や受講者の頭の中を覗き込ませてもらって、それを観察してはつなぎあわせるための策略を練るような仕事なので、私の頭の中どうなってるの?とこちらに目を向けられることってあんまり記憶にない。

時々不思議な人扱いはされるが…、基本的に興味は人に向けるものであって、私が興味をもたれる機会ってそんなにないのだけど、ブログを読んで思うところあってメールをくださる方というのは、自分の思うところを伝えたい気持ち半分、こちらに対する関心半分という感じか、話していると、少なからず私の頭の中がどうなっているのか?という問いをもっているように感じる。なので、私も別段出し惜しみするようなものもないし、こういうことを考えている頭ですと開示する。

短時間に共有するとなると、結局言葉を使って伝えるほかないので、あれこれおしゃべりしながら、あれについてはこう思う、これについては私はこう思うんですよねと、自分の思うところをざっくばらんに話していく。そうするとまぁ、きっかけとなったブログが「心のうち」ってブログなだけに、というか私が根っから哲学寄りの概念的な人間なだけに、話は必然的にそっちに傾斜していく。

今回も問いに応えつつ思うところをあれこれしゃべっていたら、私が自分のことをどうみているか、人のことをどうみているか、生きる意味をどう捉えているか、私のなかにある愛情というものについて、とまぁ、結局そんな話をあれこれ口にしていた気がする。

こういうのって普段あまり声に発していないことで、自分の思索世界で完結している話を外化する機会になっていた感じだ。あぁ、そうね、私こういう人間だわねと、話しながら顕在化する自分に改めて納得していくような感じ。時々、声にのせてそういう話をしてみるのも、きっと大事なんだろうな。時々。という体験記。

2012-10-06

男親というもの

父が手術をするため短期間の入院。手術は無事終わり、ひと息ついたところ。父はこれまで大きな病気も怪我もしたことがなく(あるいは認めず)、病院とは見舞いに行くところだと思って60何年も生きてきた人だ。病気にまつわる複雑な思いを別にして、「病院」にかかることだけとっても当惑があるようだ。

私は私で、父の病気にまつわる私自身の複雑な思いを別にして、父のこの辺の当惑をどう軽減させるかだけでも、日々思うところがある。娘が父親をサポートするという図式は、どうも特有のセンシティブな揺らぎを伴うもののようで、同じ親でも母親のときとはまるで別物として事にあたっている。

例えば入院前、病院へ診察や検査に行くのでも、父はどの用件でも毎度ついて来られるのは嫌なのだ。現役でやっている子どもたちに迷惑をかけたくないという気持ち、それは子どもたちを思ってというより、自分がそういう存在になるということが自分の中で許せないという感覚のほうが強いのではないか。こうした気持ちはおそらく、母親のそれとは別の種類のものではないかと感じる。

だから、そこで子どもらが「いいんだよ、迷惑でもなんでもないんだから」と言ったところで問題は解決されない。どころか、むしろそんな言葉を娘っこにかけられるのは屈辱的ですらあるかもしれない。

一方で、入院する日や検査の結果をきく日に子どもらが仕事を休んで一緒についてきたり、兄が車を出して病院に荷物を運んだりといったことは、父にとって嬉しいことであり、大いに気持ちの支えにもなっているように見える。

「加減」の見極めが肝要なのであり、やりすぎも不快なら、やらなすぎも不安という男親の胸のうち。これをくんで、いかにしれっとよい加減で支えられるか。私はそういうところのバランサーとしてしか役に立たないといっても過言ではないので(特に車の運転ができないのが痛い…)、そこだけは自分のフルパワーで慎重に父の気持ちを汲み取り、兄や妹、親戚との連絡役を務めている。

それにしたって失敗はある。手術を終えたときも、私が病室の隅に腰かけている時間が5分長過ぎたために、もう帰れよ、明日明後日も寝てるだけなんだから見舞いに来るなよと念を押されて出てきた…。

せっかく来てあげたのにと腹を立てるほど子どもじゃないが、むしろそういう言葉をはかせるまで腰をおろしていた自分の去るタイミングの悪さに自己嫌悪した。こういう言葉は、口にした側の心のほうが痛んでいるだろう。あと5分早く腰をあげていれば、父にそんな言葉をはかせることもなかった。

5分早く退室していれば、看護師に世話されるところに娘が居合わせるということはなかった。父はそれを娘に見られたくなかったのだ。私はそれを見られたくないだろうなと思ったので、視線をはずしていたけれど、見ないことではなく同室にいないことが大事だったのであり、5分前に帰ることを選べずとも、すくっと席を立って「はずしますね」と部屋を出れば良かったのだ。

そんなこんなで、まだまだだなと落ち込みつつ、そんな反省が自分の成長にもなっており、親からはいつまでも学びの機会を与えられるものだ、と勝手に納得して自分を許している…。

どこまでどんなふうにサポートするのがいいかというのは、その時々の置かれた状況にもよるので、一様にこれと語れるものではない。ただ、できるだけ父が、まぁここまでは子どもの世話になるのも仕方ないか…と妥協した領域を都度感じ取って、その一線を越えない絶妙なラインを保ってサポートができればいいなと思う。

本人が、今回はちょっと一緒に来てもらったほうがいいなとか、これは一緒に話を聴いてくれたほうが安心だなと内心思ったところで、しれっと一緒に行く気でいる娘が隣にいる状態がベストであり、頼まずとも事は自然とそうなっているという感じをいかに絶妙につくれるか。とまぁ、男親の心の揺らぎみたいなものを学ばせてもらいながら、ほどほどにちょっかいを出している。

父の病気にまつわる私自身の複雑な思いは、またいずれ改めて文字にしたい。

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