過剰なプレゼン評価
自分が本業とする研修ビジネスとかだと話は別なんだけど、同業者が有志で集まって開催する勉強会であれば、個人的には、そんなにプレゼンのうまさにこだわらなくていいんじゃないかって気がしている。
もちろんうまいに越したことはないし、登壇者が練習して臨むことは素晴らしい、ありがたいことだ。なので、これは優先度の問題なのだけど、聞き手が話し手のプレゼン能力に過剰に評価的であると、その空気を読み取った優秀な熟達者は話すのを拒み、多様な熟達者の知見が共有されづらくなっていくのではないか。
そうして敷居をあげてしまうより、同業者の勉強会なら、同業者にとって価値がある、ユニークでより多様な熟達者の知見が共有されていくことを最重要として、聞き手もそこに焦点をあてて話を聞いたほうが、場の価値を最大化できるのではないかと思ったりする。程度の問題はあるだろうけど。
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誤解を恐れずに言えば,話す側は自意識過剰にならければいいんですよねー.そうなるように,場の中に,信頼関係が構築できてるかどうかが大事なんじゃないかなーと.
あとは(もし評価するという表現を使うのであれば)評価する人は口だけじゃなく行動が伴わないととおもいます.
投稿: 馮富久 | 2012-09-16 10:54
場の構造設計が大事ですね。それは運営者によるところもありますが、話し手にも、そして聞き手にも、それをなす力があります。本人が意識するとしないとに関わらず。
まぁ、いろんなスタンスの人が参加するのが、こういう場の面白さでもあるので、いろんな「べき」があって調和をとっていけばいいんだと思いますが。
コメントありがとうございます!
投稿: hysmrk | 2012-09-16 17:38
※自分メモ(Facebookでいただいたコメントに返信した文面を転記しておく)
プレゼンも話し手と聞き手の双方で作るものですから、聞き手が中身に焦点をあてて聴いてくれないと、なかなか意味あるプレゼンを成立させるのは難しくなってしまう。そういう形で萎縮していってしまうのは本質的でなくもったいないなぁと思ったりします。
あとは、聞き手の能力アップの観点からも、プレゼンのうまさではなく、話の内容に焦点をあてて聴いたほうが、話のテーマに関する熟達化を促進すると思っています。何かに熟達していくということは、表層的な特徴ではなく、根本的な原理と関連のある概念に注目できるようになるってことなので。
プレゼンの力量もおおいに問われる仕事をしていると、評価せずにはいられないし、それはそれで健全だとも思っているんですけど、その評価を心のうちに止めて自分の糧にすることもできるし、登壇者に声をかけて1対1で共有することもできるしメールすることもできる。SNSに表出すれば、少なからず、その「場」の構造に影響を与えますから、どこに表出するかに選択的でありたいなと思ったりしますね。って、長い…
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投稿: hysmrk | 2012-09-22 07:31