ひとり暮らしと先々と
ときどき、このまま一生ひとり暮らしなのかなぁと思うと、いや、でもこのままずっと健康で老衰というわけにもいかないだろうし、そうすると一人で病院の手続きとかして、おぉそろそろ最期だーとかいうときには自分でその辺の施設の手続きとかしないといけないのかとか、いろいろ大変そうだなぁと思う。その頃にはもう少し、ひとり暮らしな人用のサービスが充実しているだろうか。
家族、特に子どもがいるとそういうとき支えになるものだろうけれど、私は結局所帯をもつことなく人生を終えそうな気配が年々濃厚になるばかりなので、普通に生きられてもそろそろ人生後半とあって、ときどきそんなことを考える。
家族といったって冷えきった家族関係だったら意味ないんじゃない?という意見もあるかもしれないが、私がなんとなく思うのは、そういうときこそ淡々とでも一つ屋根の下で長く一緒に暮らしたという事実そのものがものを言いそうな気がする。自分のコントロール下にない「情」というのは、そういうとき強大な力をもって人を動かすんじゃないかという気が(いや、もちろんそういうのばかりじゃないだろうけど)。
という自分のことの前に、親を守るというのがある。私は所帯をもっていないので、自分の家庭を守るという身の上ではない。私がいなくなると、この人の暮らしが成り立たないということがない。
話が脱線するけど、ひとり暮らしというのは、自分がいなくなっても世の中の誰しも大勢には影響なくやっていけることを実証しつづける日々だなぁとこの間思った。私がいなくなって涙してくれる人はいる…ことを願いたいが、決定的に自分の人生が損なわれると感覚する人はいないだろう。それが「ひとり暮らしをしている」ということなんだなぁと。そう考えると、ひとり暮らしというのは気楽なことこの上ない一方で、ずいぶんともろい環境下でもある。
といって、生活レベルで人の人生に介入する暮らしを営むのは、それはそれで大変なことで、子どもをもつ同世代の友人たちには本当に感服脱帽するばかりだ。そういう人たちに囲まれながら、私は私なりに、親を大事に、身近な人を大事にしていこうとひっそり思う。言ったり思ったりするだけでなく、大事にしようと。
というわけで親の話に戻すと、もはやここまで来ると3人兄妹のうち一人ぐらい所帯をもたず自由に動ける子どもがいたほうがこの先都合がいいのでは、とも思ったりする。今の見通しで先々まで一番自由に動けるのは私だ。親に状況変化があれば、それに一番柔軟に対応できそうな子どもということになる。
とすると、場合によっては千葉に住まいを移すこともあるのだろうかとか、30代のうちにもう一度車に乗れるようにしておいたほうがいいだろうかとか、そういう状態になるとどうしたって人が遠のいていくのだろうけど、それでもある種の孤独感に苛まれず生きていけるだけの精神力を今から鍛え上げておく必要があるんだろうとか、いろいろ考えてしまう。
きっと今は気楽な時期なんだろうなぁと思うので、まぁいずれ来る環境変化までの間、これを堪能しつつ、ずっとこれが続くわけではないことを覚悟しつつって感じかなぁと思うのだけど、この辺の世代は皆それぞれに、それぞれの環境をもちながらいろいろ考えているものなのだろうか。まぁ、それも人それぞれですよね。私はこんなことを書きつつ、肝を据えるため一番底っぽいところをときどき妄想しつつも、結局今は今って感じで楽観的に暮らしちゃったりしている。
まっとうに人間という生物をやっていくんだったら、20代半ばくらいまでに結婚して子どもをつくり、子どもを育てながら自分も成熟していって、45歳くらいに子どもが成人して、50〜55歳くらいまでに孫の顔をみて、おばあちゃんしながら60〜65歳くらいでさようならーというのがイメージにあるんだけど(体力的な問題だけでいってる)。そこからすでに大きく逸脱しているので、完全に逸脱した人生をどうまっとうするか。まぁ特に何の結論もない話です。
話散らばったついでに、最近読んだ「高校生のための批評入門」の中にこういうのがあったけど。
ヨーロッパの人々の「孤独」の裏には、「人間は究極において一人で生きるものだ」という並々ならぬ心が潜んでいる。これは、肉親を頼り、寄りそい、「孤独」をまぎらせて生きようとすることの多い日本人には、なかなか理解できないことだ。
地球規模でみた人生観の地域差っていうのは、いろいろあるんだろうなぁと思うし、それもまた輸出入があって、日本人は生活が西洋化する一方、心はそのままで、まだしっくりいっていないとかもあるのかなぁとか。まったく結論のないまま終わりますが、ごきげんよう。
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私自身も、このままいくといずれそう遠くないうちに
1人きりになるだろうな、、と想像の上では覚悟していますが
お子さんも伴侶もいない同年代には常々
「子供がいるだけいいじゃない」と言われるのは、こういうことなんだろうな、、と思いながら読ませていただきました。
で、この先はずっと一人だろうなとかそういうことを言うと、周囲の優しい方々は大抵
「まだまだこの先出会いがある!」とか「まだ若いからお相手ができる」
とか励ましてくださるんですが、私からすると
「そう言われ続けて早10数年。これからますます女性から遠のくのにそれはないだろう。。」と思えてしまいます。
しかし、、そう思える私でもやっぱりhysmrkさんの日記を拝見して、まず最初に
「いやいや、まだまだ私よりお若いし、そんな覚悟をするのは早すぎる。この先出会いがありますよ!」とお声をかけたくなりました。
しかし同時にこういう覚悟をされようとするお気持ちも凄くわかります。
友人でも、いくら冷え切って仮面夫婦と口で言っていても、それでも別れず家族を続けているのだから、7-80代くらいになったら二人で一緒に積み上げてきた年月の重みの方が勝り、しみじみと相手を看取るんだろうな、、と思えます。
例えば自分がもしも、60代以降になってパートナーが出来たとしても、それは若い頃から色んなことを一緒に乗り越えた夫婦の年数の蓄積にはとても敵わないものなので、私もそういう「本当の夫婦」の経験はできなかったなぁと、両親などを見ていると、思います。
・・・と、私もなんの結論もなく励ましにもなってないコメントですみません。。
投稿: ベル | 2012-08-15 10:19
「想像の上では覚悟しています」って、なんだか繊細でとっても共感する表現です。いやしかしまぁ、私の場合ちょっと浮世離れした人間関係像を自分のなかで構築しているので、この先の出会いをどうこうという気概もとくになく、もやりもやり。
そうですね、自分の器でパートナーを!っていうのはちょっと難しいかなぁという気がしていて、最近は自分がサポーターしたいと思える人がいて実際に何らかのサポートができる状態ってだけで幸せなことなんだよなぁと思ったりしています。まだ時々ダメですが、健康なときはまぁそれでいける感じに精神が鍛え上げられてきました。(笑)
投稿: hysmrk | 2012-08-15 20:10
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 職務経歴書の書き方 | 2012-08-22 10:02
ありがとうございます。そういっていただけるととても嬉しいです。今後ともごひいきに。
投稿: hysmrk | 2012-08-22 12:44