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2012-08-19

本屋は散策しに

最近、本屋に行くのがめっぽうたのしい。行ったら必ず何か買ってくる。そして買ってくるものはたいてい、行く前にこれを買うとは思っていなかったもの。というか、そもそもそんな本があること自体知らなかったという場合も多い。まぁあとは、どこかで見かけて知っていたけれど、頭の隅に置いたままになっていて自力でタイトルを再生できるほど記憶状態が良好でなかったものとか。

もちろん目当ての本があって訪れることもあるけれど、それだけならAmazonで買ってしまうことのほうが多いかも。Amazonは検索しに、本屋は散策しに。これといった目当ての本なく、店内をうろうろしに行く、ぶらぶらしに行く。そういう感じで、本屋さんに足を運ぶ。きっといいことあるはず、いい出会いがあるんじゃないかというもやぁーっとした期待をよせて本屋に行くのだ。それが習慣のように定着してきている(本好きの人はもともとそういう習慣があったと思うけど、私はさほど本をよく読む人間じゃなかったので、私の人生史上今が一番本屋に行っているかもしれない)。

ここ最近、Amazonと本屋さんの役割分担が、自分の中で鮮明になってきたって感じがする。役割の混乱期が幕を閉じたというか。それぞれに必要だから、それぞれに自分の生活時間に組み込まれて定着してきたって感じかしら。「本屋オンリー」→「時々Amazonながら習慣をひきずって多くは本屋」→「Amazon依存期」を経て、Amazonだけなのも物足りなさを感じて、ちょいちょい本屋さんに遊びに行くようになった。

そう、買い物しに行くのではなくて、遊びに行く感じ。でも実際いいものに出会えるから買って帰ってくる、その体験の繰り返しで、本屋さんに遊びに行く行為がどんどん強化されていっている感じ。

本屋さん自体もそういうふうに役割を変えてきているし、これからはもっと本屋さんに行くのが愉しくなるんじゃないかと思う。本屋さん界隈はいろいろ大変そうだけど、本のスペシャリストの書店員さんには個人的に期待大なのだ。愉しくなるといいなぁ。

おまけにつけるのもなんだけど、内田樹さんの「街場の文体論」の一節を締めに。

ふつう本屋に入る場合はそれほど明瞭なターゲットがあるわけじゃありません。ぼんやりと「何か面白い本ないかな……」とゆらゆらと歩いている。こういう本がほしいというふうに書物に対する需要が本を買う以前にあらかじめ条件設定されているわけじゃない。僕たちは自分が何を探しているのかわからないままに、読むべき本を探す。ですから、本と出会った瞬間に「あ、私はこの本が読みたかったんだ」というふうに事後的に、遡及的に欲望が形成される。「ずっとその本を探してきた自分」の像がその本と出会ったことによって焦点を結ぶ。

これまでは、こうでない本屋像も人それぞれにいろいろあったと思うけれど、今は、あるいはこれからは本格的にこれが一般の本屋像になっていくのかも。

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