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2012-07-31

反省材料があるうちは

今日はボコボコにへこんで会社に帰ってきた。商談はうまくいったので良かったのだけど(それはもう本当に嬉しい)、自分の評価はそれと別の話だ。この自分のふがいなさといったら、ちょっと見逃せない。

帰り道に反省を試みても、こりゃ能力の問題だから、今日の反省をもって明日から改善できるってものじゃないなぁと思えて、でもこの辺の能力ってまだ私に成長の余地あるのかしら…と思うと、いっそう途方に暮れてしまった。

でも、会社に戻ってからも長いこと、むぐぐーむぐぐーと考えながら仕事をしていたら、この先自分の能力がぐいーんと見違えるほどには伸びなかったとしても、ここをこういうふうに考えて、言葉に表せるまで入念に準備していったら、今日よりもっとしっかりした仕事ができたんじゃないかと、具体的な反省材料に行き当たった。それで、ずいぶんと救われた。

もって生まれた知能とか、圧倒的な専門知識・技能でしか解決できない領域になっちゃうと、どうにもこうにも身動きがとれなくなってしまうけれど、そうでない対応策も皆無ってことはないのだ。スゴい能力にはかなわなくても、自分が今よりいい仕事をするって積み重ねは自分なりにできるわけで、そこをコツコツ頑張っていこうとよろよろ立ち上がりながら思った。

世の中っていうのはほんと、核心をついたシャープな人たちの思考や言葉にあふれていて、外で打ち合わせをしていても、友人と話していても、あれこれの本を読んでいても、その奥行きの深さや視野の広さにただただ感嘆して、口あけてほうけてしまいそうになる。

そこでちょっとした隙をついて、私の頭の中にささやき声が響くことがある。「だって、そもそもものすごい人なんだからさ」っていうの。でもさ、それ全然話つながってないのだ。まったく納得するポイント見当たらないのだ。なので、その声が聴こえてきそうになったら1秒以内にとっつかまえて頭の中でばっさり縁を切る。そういう作業をする。

いや、実際すごい人と話をしていると、すごいなぁと感服しきりなのだけど、でもそういう人と受講者が同じ場に集う機会をつくって、そこで、限られた時間の中で、最大限に意味のある講師と受講者の関わりあいを発生させる構造づくりが自分の仕事なわけで。

となると、そのスゴい人たちに会いに行って、その場の意図をわかってもらって、そこにその人が関わってくれることがどれだけその場にとって有意味なことだと考えているのかをわかってもらって、さらに「そうだな、自分が参画してこういう話をしたら、こういうフィードバックをしたら、参加者にとって、またその組織にとってこういう価値が出てくるのかな」ってイメージして実感してもらって、「なんか関わりたいな」って思ってもらうのが自分の仕事なわけで。

となると、そういう人たちと自分の間に、あれやこれやの圧倒的な差があろうとも、そこがつながるコミュニケーションががちっとできることは、プロの仕事として必須なわけで。

それが自分にとってそう簡単なことじゃないなら、簡単じゃない中でも全うできるように、事前にもっとじっくりコトコト考えて、今以上に深いところまで考えて、明瞭な言葉で表せるように準備して会いに行かないといけないんだ。まだまだじっくりコトコト具合が足りない。

本当に、難しい仕事だけれど、今日の自分のは薄っぺらかったって自己評価できるなら、まだ道は閉ざされていないはずだから、一つひとつまた積み重ねて頑張ろう。そしてこれから別件打ち合わせ。22時開始打ち合わせって初体験かもしれない。ふぁんばろう。

2012-07-21

解約時の掟

今日、ついに10年来のつきあいになるウィルコムの電話を解約してきたのだけど、誤ってオープン間もない(あるいは今日オープン?)の店舗に入ってしまい、店員さんに相当寒い思いをさせてしまった。

店舗の入り口でバルーンの束が弧をえがいていたところをくぐる前に気づくべきだったのだ。気づいて引き返すべきだった。もっとさびれた、酸いも甘いも知り尽くしたような他の店舗に出直すべきだったのだ。

しかし、そんな気の利いた判断が瞬時にはできず、私は店内に一歩足を踏み入れてしまった。急に大雨が降ってきたところで、空気も肌寒くて、足早に歩いていたこともあって、ゆっくり近づいて入るべきか入らざるべきかとかやっている余裕がなかったのだ。それでも後に感じる痛烈な寒さを思えば、それくらい慎重に検討すべきだったと反省せざるをえない。

店に入ると、20代前半とおぼしき少年のような店員さんが目をキラキラさせて立ち上がり、「いらっしゃいませ!」と迎えた。他に女性の店員さんが二人いて、客は一人もいなかった。たぶん、私は「待ってました」の客だった。

休日は人通りも少ない、駅からもそこそこ離れたところにあるショップで、私は午前中に訪れたから、その日初めての客だったかもしれない。万一今日がオープン日だった場合、私がこの店で初めての客になってしまう。それだけは止めてくれ、お願いだから昨日だか一昨日のうちにオープンしていたことにしてくれ。

そう胸のうちで懇願し、うろたえながらも挨拶に応じた。小さな店舗なので、ここから適当にモデル機をながめてさりげなく立ち去るわけにもいかず、店員さんの前に進んで「あの、解約をしたいんですが」と思い切って言ってしまった。言ってしまったときの「しまった」感といったらない。瞬間冷却具合といったらない。想像以上にすごかった。

一気に場が凍りつくとは、まさにこのことを言うのだと思った。店員さんの、目の輝きと笑顔が一気にひいていく様子は、ほとんどコントだった。私は今、この少年を暴力的に傷つけてしまったのだと反省せざるをえなかった。

場は寒すぎるし、外に目をやればにわか雨で地面にバシバシ雨が叩きつけられているしで、私はただただ静かに手続きが終わるまで時間をやり過ごした。この店員さんたちに、この客の記憶ができるだけ残らないように、みんなが今のはなかったことにして次のお客さんが一人目だと思って仕切り直せるように、ただただ言葉すくな動きすくなに存在感を消すことに努めた。努め続けた。

そして手続きを終えると、店を出るまでの数歩の間で「ごめんなさいね…、オープンしたばかりなのに解約の手続きで」と小声で少年にわびを入れた。少年は「いやいや、また機会があればぜひ」とがんばって笑顔で応じてくれた。

そんなわけで、オープンしたばかりの店舗で解約の手続きは、お互いとても寒いので止めましょうと。皆さまもどうかお気をつけて。

2012-07-20

次はニコちゃん大王

そういえば先日とある宴会の席で、人間がそろそろ種の絶滅期を迎えると、次に台頭するのは「ニコちゃん大王」の種だろうという自説を説いたのだが、なかなか反応が良かった(と勝手に思ってる)。

ニコちゃん大王は「Dr.スランプあられちゃん」の登場人物(人じゃなさそうだが)。ビジュアルが大事なので、ご存じない方や記憶がおぼろげな方は、ぜひGoogleで画像検索を…。

さほど体を使わなくても暮らしが成立するようになっていくと、人間の骨格も筋肉のつき方も変わっていく。それで、これからは知的労働社会だ!なんて頭のほうに神経が集中していくと、早晩ニコちゃん大王のようになるのでは?とある日思い至り、以来心に秘めていた自説だ。

まぁ、ニコちゃん大王の大部分を占めているあれは、実は頭じゃなくてお尻なんだけど、細かいことは気にしない…。形状的にはああなるって話だ。

「hysさんは結婚しないの?」という問いを受けて、その答えがこの自説になっていた。なんでだっけか。いや、しかしこれは堅い。披露して自信を得たので記録に残しておく。

2012-07-19

エッセイ読書中の頭の中

本屋さんに行ったら、村上春樹の新しいエッセイ集が出ていたので買ってきた。ananで連載している「村上ラヂオ」を1年分まとめたものの3冊目で、今回のタイトルは「サラダ好きのライオン」

読み進めていくと、村上さんが過去に仕事を一緒にした「ちょっと変てこ編集者」の記述があった。

喫茶店で打ち合わせをしていて、僕がシンプルにコーヒーを頼んでいるのに、自分はフルーツパフェを注文した、文芸誌の男性編集者がいた。狭いテーブルに原稿を広げて話してるんだから、そんなややこしいもの注文するなよな、とか思うんだけど、正面切ってそんなことも言えないし……。会社も社員教育するとき、「作家との打ち合わせの時に、フルーツパフェを注文するのは不適切だ」みたいな細かい注意まではしなかったんですね。

喫茶店の微妙な空気が頭に浮かんでたのしい。が、この「コーヒーはシンプルで、フルーツパフェはややこしい」という印象は、私もまぁ自然に納得いく感じがしちゃうんだけど、いったいいつどこで誰のもとに形成されるものか。

このフルーツパフェのややこしさを生み出しているのは、材料の多さか、色彩のバラエティか。フルーツパフェじゃなくてチョコレートパフェだったら、材料が減って色味も減って、少しややこしさは軽減されるものなんだろうか。あるいは、スプーンを使って食べる複雑さ?容器のごつさ?テーブルに占める面積とか体積の問題?全部か…。

でも、このフルーツパフェを頼んだ編集者は、そのとりあえず一定数で合意がとれそうなややこしさをどこかで乗り越えて、パフェを頼んだわけです。

いったいどこで?フルーツパフェにややこしさを感じないのか、それともフルーツパフェにややこしさは感じるが、だからといって打ち合わせの席で注文を躊躇する気は芽生えないということなのか。同じパフェを頼むのでも、この違いは大きい。

フルーツパフェにややこしさを感じないとしたら、他の食べ物でこの人が複雑さを覚えて、この席では…と躊躇する注文の品はあるんだろうか。ここでナポリタンはないよな、とか。あるいは、この人はおなかがすいていたらナポリタンも注文しただろうか。別段、実際的に打ち合わせに支障をきたすわけでもないし、ということなのか。

それとも、誰との打ち合わせであれ、どんな利用シーンであれ、何の注文であれ、頼むのに躊躇するってことはないってことなのか。あるいは後ろめたさはあったけど、そこのフルーツパフェには目がなくて、ここは覚悟決めて!としれっとやってしまったのか。

なんてことを考えながらすべてのエッセイを一本ずつ読んでいるわけではないけれど、ときどき立ち止まってそんなことを考えたりする。こんなことをむにゃむにゃ考えた分だけ、いろんな人の行いにめぐりあったとき、いろんな背景や可能性をイメージできて、自然に受け入れられるものが広がっている。きっとここまで読んだ人も、今度そういう人に遭遇したとき、いらっとするよりくにゃっとした気分で心軽やかに受け止められるはずだ。うむ。

考えてみるとエッセイって、同じものを読んでもみんなきっと、てんでバラバラのことを思いついたり、想像膨らませたり、考え込んだりしながら読んでいるんだろうな。なかなか趣きのある読み物です。

2012-07-17

ごりごりコツコツ

ひどく反省したいことがあって、会社帰りに喫茶店に立ち寄り、具体的に何を反省したいのかごりごり自分の内側をえぐっていったら、5段階下りていったところで最近自分から損なわれているものに行き当たった。

「こっちが弱いから」とS極ばかりコツコツ鍛えていると、いつの間にか「こっちは大丈夫だ」と思っていたN極が弱体化しているんだよな…。この要領の悪さはどうにかならぬものか。あるいは、そもそも薄っぺらいものしか身につけていなかったのだろうか。

そんなことない!と思いたいのが人の常だけど、そうやって「昔は確かに持っていた」というところに逃げ込んでしまうと、そのまま「簡単なことだ、あれを取り戻せばいいんだ」と、今さら取り戻して使い物になるかどうかもわからない、そもそも確かに身につけていたかどうかもわからないもの探しの旅に迷い込んでしまう。

ここは女らしく「一から身につけよう」という気概をもたないといかん。時間をかけて、確かなものを一からコツコツだ。要領悪くてほんと情けないけど、気づけて良かった、ということにしよう…。

2012-07-16

時間をかけて

ここ10日ほどのうちに、早10年、15年のつきあいになる友人たちとの再会が重なった。数ヶ月ぶりの友人もいれば、数年ぶりの友人もいた。いつぶりに会ったのか(お互い歳のせいもあって)よくわからなくなるのだが、なんにしても会えばすぐに、ほどけた会話が始まる。

友人との関係というのは、濃厚に会って心通わせた時期と、会わずともどこかでつながり続けた今日までの期間とを掛け合わせるようにして、時間をかけて熟成されていくものなのかもな、と思う。環境が変わっても、お互いをどこかで気にかけながら、会ったり会わなかったりの時間を重ねていく。その時間の積み重ねが、熟成された独特の愛おしさを心にもたらす感じ。長く生きるほどに、再会というのは味わい深く感じられるようになるのかもしれない。

もうあの頃ほど頻繁に会うことはないのだろうし、いつ終わるともしれない人生で、私たちはあと何回会えるんだろう。感傷にひたりたいわけではなく、その日をともに過ごせた時間を尊く、その日会えた友人を愛おしく思いながらそんなことを思い浮かべてしまうのは、やはり歳か…。

いつ終わるともしれない人生なんて、昔は遠い世界の詩の言葉だと思っていたのに、今は現実的なこの世の言葉として聴こえてくる。大事な人の死に直面したり、大病をわずらったり、それぞれにいろんな経験をして、命のかぎりを実感して再び顔を合わせるのだ。会うごとに通わせる言葉の深みは増していき、私たちは深海を散策するようにして話しこむ。

友人の言葉を、涙を、ただ両手で受け止めることしかできない場面もある。思慮深く考えれば考えるほど、その場で私ができることは実にそれくらいしかないのだった。そんなときは、自分にはそれだけしかできなかったことに戸惑いを覚えながら、その戸惑いを大切に持ち帰る。そしてまた、会わずともどこかで気にかけあう日々を送り、私はその戸惑いと向き合いながら少し大きくなる。そしてまた、私たちはきっと再会するのだ。

2012-07-11

アンケートの書き方

ここでは基本的にひとりごちた系の文章をしたためることが多いのですが、今回はちょっと提案したいことを述べます。何かというと、アンケートの書き方です。何のアンケートかというと、まぁセミナーとか勉強会とか、その類いです。

私は、個人向けの講座とかセミナーとかワークショップとか、ここ数年は法人向けの社員研修を提供する仕事をしてきて、その手のアンケートは「書く」より「作って(書いてもらって)読む」ほうが圧倒的に多いのですが、ここ15〜16年の仕事人生で、おそらく万を超えるアンケートを読んできました。

それで思うところというのは、アンケートのコメント欄には、そこで学んだこととか、学び損ねたこととか、疑問に思ったこととか、その学習テーマや登壇者の見解に対する意見とか、つまり「学習の中身」について書くのが本筋だよねってことです。

セミナーか何かに参加して、最後にアンケートを書くとき。たいていは、いくつかの選択式の設問の後に、コメント欄があるんじゃないかと思います。「感想やご意見を」という感じで、自由記入欄があります。

私は大小さまざまな規模の、いろんなスタイルの、いろんな対象者向けの学習の場に立ち会ってきましたが、特に大型のセミナーイベントで、ここのコメントに「登壇者のプレゼンパフォーマンス」を評価して、それで終わっちゃっているものを見かけることが少なくありません。説明が分かりやすかったとか、スライドがきれいだったとか、話の構成が良かったとか、あるいはその逆とか、声の大きさがどう滑舌がどうとか、まぁいろいろあります。

舞台にあがる側やそれを運営する側に相応の責任があるのは百も承知ですが、それは今回の話の範疇ではないので置いておいて。自分が参加者の立場だったらってところに焦点をしぼると、登壇者について思いをはせる時間があったら、自分について、あるいはその学習テーマについて考えたり振り返る時間に使ったほうが、参加した目的にかなっていると思うのです。

いや、もちろん人間、話し手のパフォーマンスというのは気になるし、良かったものに対して良かった、悪かったものに対して悪かったとアウトプットしたい気にもなる。それに、私もそれを書くこと自体が悪いことだとは思っていないし、運営者側からすればそれはそれで貴重なフィードバックです。問題は、焦点がどこにあるか。そのコメント過程で行われる振り返りは、そこだけで終わっていいのかってことです。

たとえものすごい登壇者のプレゼンが下手であろうと(いや、それはそれで正気でいられないのが人の常かもしれませんが、そこは頑張って)、その人がそのテーマで語ろうとしていることは何なのか、その刺激から自分はどんな学習成果を得られるだろうかと考える時間に使ったほうが、それに参加した自分の趣旨にかなっているはずです。

じゃあ、なんでその本来目的からそれて、コメント記入欄を書くときに登壇者審査員と化してしまうのか。その理由を考えてみたのですが、それで一つ思い当たるのは、自分に向き合うより、登壇者に向き合って登壇者を評価するほうが楽だからです。自分に向き合うほうが圧倒的に大変だから。

自分がその場で収穫したことは何か、これまでできていなかった/わかっていなかったことは何か、これからさらに何を身につけなくてはいけないかを考えたり振り返ったりするのは、頭を使います。疲れます。だから、セミナー受講後、疲れた状態でアンケートを書いていると、無意識のうちに易きに流れてしまって、楽なほう楽なほうにフォーカスしてコメントを残してしまう、それでおしまいにしてしまう、のではないか。

でも、そこは最後のもうひと踏ん張りで、楽なほうに流れていないかなと自己チェックしてみて、登壇者ではなく自分自身を振り返るように立て直しを図るのがいいんじゃないかと思うのです。

セミナーとか勉強会って、登壇者が壇上の上に立っていて、参加者が壇上の下にいるから間違いやすいのですが、学習の場の主役というのは、学習者である参加者です。登壇者ではありません。主役は、主役をはるんだから疲れて当然なんです。疲れる役回りなんです。ただ、その役を担わなくてもばれない。ばれない中で、役を全うするか、しないかは自分次第。でも、その役を全うして主役をはるなら、つまり学習するために来て本当に学習するなら、最後のひと踏ん張りまで頑張って、登壇者はそこそこに、自分の振り返りをしようぞ、と。

当然ですが、そこに焦点をあてて自分のその日の学習の振り返りをコメント欄に書いている人はたくさんいます。比較的小規模な学習の場では、その比率が高いように思います。

私が最近手がけているのは10〜30名規模の一社向け社員研修が多いですが、そういうところで採るアンケートでは、自分がその場で「どんな気づきを得たか」とか「何を学んだか」「どんな危機感や問題意識を抱いたか」とかの中身に言及したコメントが多いように思います。そう自然となるようなアンケート作成に努めてもいるわけですが、人数規模とかも関係しているような気がします。

ということで、今度セミナーイベントなどでアンケートを書く機会があったら、自分が何に向き合ってコメントを書いているのか、自己チェックしてみてはいかがかなと。自分に向かって振り返りをしているか、登壇者のパフォーマンス評価だけに終始していないか。

いや、実際気を抜いているとけっこう登壇者評価に終始してしまうことって多いと思うのです。セミナーが終わった後って、疲れているし、早く会場を出ないといけないし。だから早く書き上げたいって状況で、じゃあ何を書くかって、お礼を言いたい気持ちとかがふわっとわき上がってくるから、じゃあとりあえずと「わかりやすかった」、あ、でも「事例をもっと増やしてほしい」、あと「ありがとうございました」。で、そこそこ欄が埋まると、まぁこれでいいかとなるんだけど、そこでチェックしてみるとまったく自分の振り返りになっていないで終わっているなぁという。

まぁ、そう深い振り返りもその場ですぐできるものでもないのですが(少なくとも私は…)、アンケートの場でなかったとしても、「中身」にフォーカスして振り返るという意識は大事かなと。そうしたほうが有意義かなと思う次第です。

2012-07-10

「親鸞」ざんまい

「親鸞」上下巻を読み、「親鸞激動編」上下巻にも手を出して一気に4冊読了。親鸞ざんまい。この後、61歳から90歳までを描いた「親鸞○○編」上下巻が出て完結するはず。いつ出てくるかなぁと心待ちにしつつ、ひと呼吸。

実在しない人物も出てくれば、実在するものの作者が想像力を駆使して描いた人物もあるので、「史実への忠実さ」にこだわり出したら相当ストレスな読み物だと思うけれど、私はそもそも史実に関する知識がないので、おおいに愉しめた。作者もあとがきで「あくまで小説として読んでいただければ幸い」としているので、歴史に詳しい人も小説として本を開くことをお勧めする。私はファンタジー小説だと思って読んでいた。

さて、「親鸞激動編」下巻にある一節。もっと前から読むともっとぐっとくるのだけど、これは親鸞さんが「で、念仏って結局何に使えるの?」的な問いを受けたときの答えだ。

念仏をしても、決して背負った荷の重さが軽くなるわけではない。行き先までの道のりがちぢまるわけでもない。だが、自分がこの場所にいる、この道をゆけばよい、そしてむこうに行き先の灯が見える、その心づよさだけで弱虫のわたしはたちあがり、歩きだすことができた。念仏とは、わたしにとってそういうものだった

人間って結局「私の認識」のなかでしか生きられない。あるいは「私の目」を通してしか世界を見られない。自分の視野が狭ければ世の中も狭く見えるし、自分の認識が多くの人とずれていれば、世の中が歪んで見える。でも、決して世の中そのものが狭かったり歪んでいたりするのではない。世の中そのものは幅も歪みももっていない。世の中広いな、狭いなと思うのは、ある人、あるいはある集団のなかの認識世界でそうなのであって、世の中そのものがその特質をもっているわけじゃない。

自分に対する自分の認識も一緒で、自分のあらゆる面をマイナスにとらえることはできるけれど、それはやっぱり自分の認識世界のお話であって、自分の認識の外からとらえた自分が「マイナス」と定義づけられるわけじゃない。今はやせている女性が全盛かもしれないが、平安時代にいけばまた見方も変わるのだ。地球数十億年の歴史に照らして一度も変動なしの絶対指標など見つけられまい。あってもそれは、過去の歴史に照らした人間の定める指標にすぎない。

自分の認識のなかでしか生きられないということは、自分の認識次第で、自分の生きる世界の見えようを変えられるということに他ならない。

じゃあ、自分の認識を変えるにはどうすればいいか。というと、まず「自分の認識」をできるだけ自分のなかで意識化することだ。意識化されていないことはコントロールできない。意識化できている部分は、自分のコントロールがきく。その認識を広げたり、批判したり、取り去ったり、深めたりできる。

だから、私は自分に根掘り葉掘り質問をする。だいぶ自分には懐疑的で、自分が無意識のうちに何を思い込んでいるのか、何を考え込んでいるのか、自分に答えを問うて洗いざらい吐かせるのが癖になっているのだけど、その答えを聞いていると、自分の根拠のない思い込みなども浮かび上がってくる。けっこう収穫がある。自分に対してはいつまでも、健全に懐疑的な目をもって問い続けていけたらなと思う。静かにやるので&人にはやらないので迷惑はかからないはず。

この下巻の終わりのほうに出てくる一節にも通じるところがある。

いまのわたしに、わずかにわかっていることは、まことの信を得るために自分自身をみつめることの大事さだ。このわが身の愚かさ、弱さ、頼りなさ、それをとことんみつめて納得すること。それができれば、おのずと目に見えない大きな力に身をゆだねる気持ちもおきてくるのではあるまいか

自分の愚かさは最近とみに感じるところだけど、そのおかげか、目に見えない大きな力に思いをはせることも多くなった。というか、当たり前に働いている力として自分の認識する世界に定着してきた感じ。そんなこんなで、難しい仕事に立ち向かう日々だけど、どこかで心の静寂さを得てのんびり過ごしているようにも感じられる今日この頃です。

2012-07-05

ただボタンを押したかった

この間、甥っ子たちと街中を歩いていたら、彼らが急にたたたたーっと駆け出して、路面店のソフトバンクショップへと入って行った。やるなぁ、ソフトバンクと思いながら後に続くと、お兄ちゃんはiPhoneを、弟くんはiPadを触り出している。

そばで見ていると、なかなかどうして、うまいこと操るもので、タップとかスワイプとかして、あっちこっち行って楽しそうだ。そうやって「触って、反応が返ってくる」というのが、もうそれだけで楽しいって、あるよねぇと思いながら眺めていた。

それで思い出したのが、幼い頃「ボタンを押す」という触感それそのものが快感だったなぁということ。一番渇望していたのは小学生の低学年くらいのときかなぁ。昔はボタンがなかなかなくてねぇ。「ボタンを押す」のがすごく貴重な体験だったのだよ…(千葉県の話)。

電話というのは、ダイヤルをジーコジーコまわすものだったし、テレビのチャンネルもガチャガチャまわすものだった。洗濯機もガスコンロも具合を見ながらつまみをまわすものだったし、ラジオのチャンネルも雑音の抜けるところに自分の手で音を合わせるものだった。インターホンなんてないから、友だちの家に行ったら外から「○○ちゃん、遊ぼー」と叫ぶのが常だった。

私の狭い世界の記憶が確かならば、1980年代初頭まで、世の中の多くの操作は「回転式」だった。「ボタン式」が席巻し始めたのは1980年半ばに入ってからではないか。ファミコンなんかが出てきたのがこの頃で、その前後にうちは家を建て替えたので、そこから家にインターホンがついたり、家の中のいろんな操作もボタン式になって、私はバラ色のボタン生活を手に入れた。「おぉ、ボタンが押せる!」という感動と引き換えに。

でも、まだおぼろげに「ボタンを押す」というただそれだけで胸が高鳴った記憶は残っていた。遠い、遠い記憶だけど、これは貴重だ。「ただ、ボタンを押したい」という感覚の覚えを、30年経った今、私がここに持っているという不思議。なんかよくわからないけど、貴重な気がする。

言葉の切れ味

内田樹さんの「呪いの時代」。一読して以来、ちょいちょい頭のなかに思い浮かんでしまう一節。

政治家たちも知識人たちも、いかに鮮やかに、一撃で、相手に回復不能の傷を与えることができるか、その技巧を競い合っている。たしかに、そのような脊髄反射的に「寸鉄人を刺す」言葉が出る人は「頭がよさそうに見える」。けれども、いったいそうすることによって、彼らがいかなる「よきもの」を作り出そうとしているのか。私には、それがよくわからない。
世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はあるいはかなりの部分まで真実を衝いているのかも知れない。私が問いたいのは、その指摘が正しいのだとすれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、あなたは何をする気なのかということである。

政治家や知識人にかぎらない。人間っていうのは、気を抜くと簡単にここに堕してしまう。おそらく本能の働きなんだと思う。そして、そのことに無自覚でいてしまう。なので、人のそれには批判を覚えるのに、自分のそれには気づかない。それで、いられてしまう。

では、これに翻弄されないためにどうするか。ということで、普段からの、自分の体を向ける方向、視線を向ける先に気を配る。「よきもの」に向かう体の向きと視線を基本姿勢にしておけば、自分がそれに飲み込まれそうになったとき、気持ち悪さを覚えるようになる。いっときは本能に負けるかもしれないが、少し時間が経てば自分は何をやっているのだと疑問がわきおこってくるようになる。その繰り返しで基本姿勢が完全に自分のなかに取り込まれる。そうしたらもう大丈夫、に違いないと信じている…。それにしても、内田樹さんの言葉の鋭敏さといったらない。「日本の文脈」も読み応えがある。

2012-07-03

手帳を拾った

先月は、まるまる何も書かないまま終わってしまった。6月初めからどうにもこうにも…になって、7月に入って尚にんともかんとも…な状態なのだけれども、いい加減もう夏なので気分転換におしゃべり。

つい先日、落とし物を拾ったのさ。会社の近くで、道ばたに黄色いカバーがかかった手帳らしきものが落ちていて、あんまり存在感ある落とし物だったので目について寄っていった。ひょいと持ち上げてみると、ほぼ日手帳だった。

「読まないけど見る」くらいの適当さに視線をあわせてぺらぺらめくってみると、男性らしき筆跡で、仕事の手帳として使っているふう。表紙と裏表紙をチェックさせてもらうと、一枚だけ名刺が入っていた。お、と思って、抜き出してみると女性の名前。筆跡は男性っぽいから本人の名刺じゃないっぽいなーと思われた。ここで一旦思案。

人はここでどちらに動くべきなのか。名刺の女性に電話するか、警察に届けるか。名刺の女性は、うちの会社の近所にお勤めらしく、場合によってはさくっと取りに来てもらうこともできる距離。しかし、筆跡的におそらく本人ではない。

本人の知り合いってことになると、その間柄によっては最短経路で本人の手元に手帳が戻る可能性がある一方で、関係が近すぎたり遠すぎたりすると、下手に手帳が知り合いの手に渡るのは本人にとって都合が悪いかもしれない。むしろ警察に届けてほしいと思うかもしれない。

でも、警察に持っていった場合、本人が警察に届け出るとは限らないし、手帳に本人の名前が書いてあるわけじゃないから、警察も連絡があるまで放置ってことにするかもしれない。それだと問題は解決されない。手帳は本人のもとに返らない。返らないくらいなら、この女性に連絡をとったほうが良さそう。

と、そんなことを会社に戻るエレベーターの中で思案して、結局席に着くやいなや、名刺の女性の会社に電話をかけたのだった。女性に取り次いでもらうと、かくかくしかじかと事情を説明。まずは彼女の手帳かと確認してみたけれど、やはりそうではないらしい。でも「手帳を見れば当てがつけられるかも」と言って、こちらに来てくださることになった。

夕方、うちの会社の受付前でお会いして、やぁやぁどうもどうもと言いながら、その女性に手帳を見てもらうと、どうも会社の同僚だかなんだか、ある程度当たりがつくようで、この辺にきけば見つかるだろう的な雰囲気の手帳だという。

そこで一応、私の懸念を彼女に相談してみた。間柄によっては、下手に知り合いから返ってくるより、見ず知らずの人が警察に届けて、そこから戻ってきたというほうがいい場合もあるかなと思っているんだけど、どうですかねと。そうであれば、私のほうから警察に届けるのでも全く問題ないのだけど。すると彼女は、いや、この辺かなという当たりもつくし、このまま預かって持って帰りますよと、こざっぱり応えた。

そのこざっぱり感から、なんとなく、この女性と本人の間もこざっぱりした関係性で、本人も彼女からなら手帳が戻ってきたことをこざっぱり喜べるかなという感じがした。それで、ここは警察より、この女性に託したほうが正解だろうと直感して、そのまま持ち帰ってもらった。ほどなく彼女が電話をくれて、無事本人の手元に戻りました、とのこと。一件落着した。

そこで私の胸のうちにわいてきた思いが何だったかというと、あぁ少なくともこの手帳を失くした人にとって、私が生きていたことは役に立ったと言っていいんだろうということだった。ほっとして、それでずいぶん救われた。それを私の中のメタ人間が、けっこう参ってるねぇと傍観していた。

その日はまた、私が4年前に書いたブログのエントリーを読んだという方からメールをいただいて、仕事で悩んでいたところに光が射したというようなことが書かれていて、それでまた救われた。少なくとも、手帳を失くした人と、このメールをくださった人にとって、私が生きていたことは良かったってことになるんだと思えた。

そんなぎりぎりの気分は、一時的な落ち込みのせいで視野が狭まって起こっているということは頭でわかっているし、冷静にそういうのを観ている自分もいるのだけど、感情的にはその2つのことにずいぶん救われる、というようなことが人間てまぁあるもので。

手帳を拾うことも、ブログを読んで見ず知らずの人からあんな丁寧なメールをもらうことも、そうめったにあることじゃない。こんな気分の日にあてて、こんなイベントをもたらしてくれるなんて、自然の見えざる手にしみじみ感謝した。

最近はうむむうむむ頭のなかでもがきながらひっそり暮らすばかりなのだけど、そのせいなのかなんなのか、いつもの自分にない不可思議なことが頻繁に起こっていて、こりゃなんなんだろうなぁと思っている。浮世離れの末期症状か…。なんとなくいろんなものをぽかんと眺めている自分と、目の前の仕事でうむむうむむ言っている自分を行ったり来たりしながら、時間がどんどん流れていっている。そして、また夏がやってきたんだなぁ。いつものように。

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