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2012-05-31

「啓蒙」という言葉

最近は、「啓蒙される」より「啓蒙する」という言い回しをよく耳にする。「もっと自分たちがお客さんを啓蒙していかないといけない」といった使われ方で、私はそれを聞くたび心に引っかかりを覚えてしまう。

いや、実際世の中に、それを成す人がいるのは知っている。私も、啓蒙を果たした記憶はないが、啓蒙された思い出はあるので、それがどういう価値をもつものかは一応知っているつもりだ。が、それはそんなにうようよ世の中に出回っていない。なので、あまり頻繁に「啓蒙」を耳にしていると、それって本当に啓蒙?と疑問符をうってしまうのだった。

言葉遊びや揚げ足とりをしたいのではない。もし言葉の意味を取り違えているだけなら、「啓蒙」の意味を引くだけで事足りる。ニュアンスがわかりやすいので、実用日本語表現辞典の「啓蒙活動」の語釈を紹介すると、「民衆や一般人に知識を授け、無知蒙昧な状態を切り開かせようとする活動」とある。

ちなみに、「無知蒙昧」とは「愚かで道理にくらいこと」だ。この意味を確認してみて、「啓蒙」っていうのは語弊があるなと感じたら、そこで止めて他の言葉に置き換えればいい。「教える」でいい。二字熟語がよければ「発信」でも「伝授」でもいい。

そうではなくて、意味を引いても間違っていないと感じるのだとして、本当にそれはそうなのか?というのが、私が気になっているところだ。ある分野について知識が少ない人を、そのまま無知蒙昧な人と認識していやしないかと。自分の詳しい分野に関して知識の少ない人を、そのまま愚かで道理にくらい人とイコールで結びつけていやしないかと。

自分よりずっと高尚な人かもしれない。豊かな見識をもち、頭の回転も速く、1を言って瞬時に自分の理解のはるか上をいってしまう人かもしれない。自分が授けた知識のパーツを、すでにもっている多様な知識と関連づけて、自分のもっているよりはるかに有意味な知識に昇華させてしまう人は五万といるのだ。

そういう想定も念頭におくと、ある分野について知識がない人を、そのまま「おろかで道理にくらい人」とは決して結びつけられない。それとこれとは別物である。となると、「啓蒙」の対象としてはそぐわなくなる。

現実的なところで考えると、啓蒙の対象となっている「お客さん」というのは、少なくとも、お客さんのビジネスに関する市場動向や製品・サービス知識、お客さんのお客さんに関する情報を、自分より広く深く押さえているのではないか。その担当者の背後にも、それを研究する人、開発する人、製造する人、プロモーションに限定されない視点でマーケティングする人、さまざまな人がひかえている。

あの会社に研究職はないといったって、日夜研究している中の人はいるものだ。職種名など与えられなくても、やる人はやる。見かけないというなら、自分が会っていないだけか、あるいは会っているのにそれがわかるようなコミュニケーションを自分が引き出せていないだけかもしれない。

いずれにしても、そういう集合体を指して「お客さん」と言っているのだとして、そこで用いるのは本当に「啓蒙」なのだろうか、と疑問符をうってしまう。そして、もしそのお客さんが啓蒙の対象だとしても、そう思い思われる関係性の中でコミュニケーションをとっていて、きちんとうまくいくケースはどれほどあるものだろうか。このコミュニケーションは相当難易度が高い。敬意をもち、尊重し合ったコミュニケーションのほうが圧倒的に易しいはずだ。

繰り返し書いてしまうが、「○○は愚かなことなり」という信念をもって実際に啓蒙活動をなす人に会って、私も感銘を受けたことはある。だから、啓蒙活動を全面的に否定したいのではない。むしろ、そういう改革者を私は好む。好むからこそ、きちんと分けたい。「啓蒙」という言葉も、「啓蒙している」という認識も、濫用はしたくない。

が、ここまで書いて、私の認識する「啓蒙」自体が、今一般に使われている「啓蒙」とずれている可能性があるのかも…という不安を覚えた。そうだったらすみません。そしたら誰か、つんつんと教えて…。

ちなみに、人に偉そうに教えるな、伝えることにもっと恐れを抱けとか言いたいわけじゃない。何かを教えるってことは、特別なことじゃない。みんながいろんなことを知っていたり知らなかったりして、それを教えあっていくのは、普通のことなのだと思う。「啓蒙」なんて大それたものじゃなくて、お互いが知っていることを教えあうって、もっと気負わずやれることでいいんだと思うし、実際やられていることだと思っている。

2013-10-2追記:「啓発」に言い換えるのが一番言葉としてフィットしそう。

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コメント

実は僕も今月、3回に渡って注意をしました。全く同じ問題認識だったのでびっくりです。モンゴルにあててる漢字とか、結構ひどいわけです。

ひと月に三度も。そうですか。
iketaniさんの熱く説く姿が思い浮かびました。
モンゴルの漢字は、いわれてみれば確かに…。
改めて「蒙」の意味を調べてみましたら、「啓蒙」っていうのは改めて使いがたい言葉だな、と思いました。

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