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2012-05-31

「啓蒙」という言葉

最近は、「啓蒙される」より「啓蒙する」という言い回しをよく耳にする。「もっと自分たちがお客さんを啓蒙していかないといけない」といった使われ方で、私はそれを聞くたび心に引っかかりを覚えてしまう。

いや、実際世の中に、それを成す人がいるのは知っている。私も、啓蒙を果たした記憶はないが、啓蒙された思い出はあるので、それがどういう価値をもつものかは一応知っているつもりだ。が、それはそんなにうようよ世の中に出回っていない。なので、あまり頻繁に「啓蒙」を耳にしていると、それって本当に啓蒙?と疑問符をうってしまうのだった。

言葉遊びや揚げ足とりをしたいのではない。もし言葉の意味を取り違えているだけなら、「啓蒙」の意味を引くだけで事足りる。ニュアンスがわかりやすいので、実用日本語表現辞典の「啓蒙活動」の語釈を紹介すると、「民衆や一般人に知識を授け、無知蒙昧な状態を切り開かせようとする活動」とある。

ちなみに、「無知蒙昧」とは「愚かで道理にくらいこと」だ。この意味を確認してみて、「啓蒙」っていうのは語弊があるなと感じたら、そこで止めて他の言葉に置き換えればいい。「教える」でいい。二字熟語がよければ「発信」でも「伝授」でもいい。

そうではなくて、意味を引いても間違っていないと感じるのだとして、本当にそれはそうなのか?というのが、私が気になっているところだ。ある分野について知識が少ない人を、そのまま無知蒙昧な人と認識していやしないかと。自分の詳しい分野に関して知識の少ない人を、そのまま愚かで道理にくらい人とイコールで結びつけていやしないかと。

自分よりずっと高尚な人かもしれない。豊かな見識をもち、頭の回転も速く、1を言って瞬時に自分の理解のはるか上をいってしまう人かもしれない。自分が授けた知識のパーツを、すでにもっている多様な知識と関連づけて、自分のもっているよりはるかに有意味な知識に昇華させてしまう人は五万といるのだ。

そういう想定も念頭におくと、ある分野について知識がない人を、そのまま「おろかで道理にくらい人」とは決して結びつけられない。それとこれとは別物である。となると、「啓蒙」の対象としてはそぐわなくなる。

現実的なところで考えると、啓蒙の対象となっている「お客さん」というのは、少なくとも、お客さんのビジネスに関する市場動向や製品・サービス知識、お客さんのお客さんに関する情報を、自分より広く深く押さえているのではないか。その担当者の背後にも、それを研究する人、開発する人、製造する人、プロモーションに限定されない視点でマーケティングする人、さまざまな人がひかえている。

あの会社に研究職はないといったって、日夜研究している中の人はいるものだ。職種名など与えられなくても、やる人はやる。見かけないというなら、自分が会っていないだけか、あるいは会っているのにそれがわかるようなコミュニケーションを自分が引き出せていないだけかもしれない。

いずれにしても、そういう集合体を指して「お客さん」と言っているのだとして、そこで用いるのは本当に「啓蒙」なのだろうか、と疑問符をうってしまう。そして、もしそのお客さんが啓蒙の対象だとしても、そう思い思われる関係性の中でコミュニケーションをとっていて、きちんとうまくいくケースはどれほどあるものだろうか。このコミュニケーションは相当難易度が高い。敬意をもち、尊重し合ったコミュニケーションのほうが圧倒的に易しいはずだ。

繰り返し書いてしまうが、「○○は愚かなことなり」という信念をもって実際に啓蒙活動をなす人に会って、私も感銘を受けたことはある。だから、啓蒙活動を全面的に否定したいのではない。むしろ、そういう改革者を私は好む。好むからこそ、きちんと分けたい。「啓蒙」という言葉も、「啓蒙している」という認識も、濫用はしたくない。

が、ここまで書いて、私の認識する「啓蒙」自体が、今一般に使われている「啓蒙」とずれている可能性があるのかも…という不安を覚えた。そうだったらすみません。そしたら誰か、つんつんと教えて…。

ちなみに、人に偉そうに教えるな、伝えることにもっと恐れを抱けとか言いたいわけじゃない。何かを教えるってことは、特別なことじゃない。みんながいろんなことを知っていたり知らなかったりして、それを教えあっていくのは、普通のことなのだと思う。「啓蒙」なんて大それたものじゃなくて、お互いが知っていることを教えあうって、もっと気負わずやれることでいいんだと思うし、実際やられていることだと思っている。

2013-10-2追記:「啓発」に言い換えるのが一番言葉としてフィットしそう。

2012-05-30

文字をひらく

五木寛之の「親鸞」が面白い。歴史に名を残した人物というのは、まず取り入れるのが「その生涯で何を成したか」という話で、それを知って終わってしまうことが少なくないのだけど、こうやって長編小説として8歳の時分から彼の歩みをたどっていくと、味わい深いことこの上ない。愛おしい気持ちがむくむく湧いてくる。

彼も、自分と同じように幼少期を経て、時代の風をあびながら周囲にもまれつつ助けられつつ、自分というものをもって試行錯誤しながら大人になっていき、人生を生き抜いたのだな、と。こう書いてしまうとなんだか薄っぺらいけれど、読んでいる間に感じさせてくれるものはもっと深く奥行きのあるものだ…。ストーリーがまた豊かで、こういう文章に触れていると、それだけで気持ちが豊かになる。

話が近しいようでそれるけれども、読んでいて感じたことの一つに「漢字をひらく」ことの絶妙さがある。私が好きな一節を取り上げると、

河原坊浄寛(かわらぼうじょうかん)は、茶碗の濁(にご)り酒を一口すすって、東の空をながめた。峰々の紅葉が、夕日をあびて血のように染まって見える。川面(かわも)をわたってくる風がつめたい。

この情景のえがき方が私はお気に入りなのだけど、ここでも、漢字を採用しようと努めればもっと漢字を含めて一文を短くすることはできる。パソコンで書いていれば、先に「眺めた」「浴びて」「渡って」「冷たい」などが変換候補として挙がってきたかもしれない。しかし、五木さんは平仮名を採用している。といってなんでもかんでも平仮名かというとそうではなく、「染まって」「見える」は漢字だ。

道具に使われ出すと、ここは平仮名か漢字かという検討なしに、平仮名より漢字を選んでしまう。それは、先に変換候補として漢字が提示されるため、あるいは少しでも省スペース化に貢献すべく。しかし、世の中には合理化するよりもっと根本に大事なものがひそんでいたりするから、気をつけねばならない。

何のために文章を書いているのか。きっと、伝えたいことがある、表したいことがあるはずなのだ。それが相手に伝わるように、相手の頭の中にイメージが広がるように文章をえがくこと。できるだけ狭いスペースに、伝えたい内容を詰め込んで送り届けることではない。決してだらだら書くことを推奨するものではないし、省スペースで済むならそれに越したことはないが、そこだけに堕してはならないと私は思う。

合理化だけが現代進むべき方向性を指し示すものではないし、「合理化」というのは常に、それより根本の目的ある試みや志しがあって、それに付随するものだと私は考える。スペースの削減よりもっと根本にあるのは、それがどれだけ豊かなイメージをともなって、伝えたい相手に伝わるかということ。そのためには、文字を打って変換したら最初に漢字が出てきても、あえて自分で平仮名に開いてみることも大事だ。こういう試行錯誤は、文章にとどまらず大事なことじゃないかなと思う。

志しをもたなければ、どんどん合理化の波だけに流されてしまう気配。合理化はもっと根っこに、ついていける親分を必要としている気がする。

2012-05-24

自分の仕事を書く

昨日、勤め先の法人向けサイトに、自分が担当する研修サービスの記事を載せた。といっても文章を書く以外のデザイン全般、プロモーション担当さんがやってくれたのだが。

この「事例紹介」コーナーには、すでに研修サービス系の記事が2本あがっているのだけど、それはクライアントさんにインタビューしてライターさんがまとめた記事(これは元上司がやってくれた)。一方、今回は自社の制作ディレクター向けに実施した研修を取り上げることにしたので、研修づくりの裏側を裏方の自分が直接書く体裁にした。

自分の仕事というのは、語り出したら切りがないものだ。それに、裏方の仕事というのは分かりづらい。しかも華がない。一所懸命説明しても、いや、すればするほど相手を退屈にさせてしまう。そんな思いがあって、これまで「どんなお仕事を?」と訊かれた際も、極力熱く語りすぎないよう注意を払ってきた(つもり)。

親戚なら「教育関係」とか「インターネット関連」などと答える。すると「パソコン関係ね」と返ってきたりして、「そうですね」と返すと、その会話は平和に幕を閉じた。友だちや仕事関係の方なら、「Web系の研修サービスを提供しているんですが、講師以外の裏方全般です」というイメージしようのない説明をして、それはそれで相手を困らせている気もするが…、「なんか、分かりづらいですよね」と煙に巻いて次の話題に移った。

それをじゃあ、ざっくりとでも言い表してみたら、どんな分量になるんだろうというのは私も謎だったが、今回実際に書いてみたらこれだけの分量になって、いやー、ほんと簡単な気持ちで話すもんじゃないなと改めて自覚した。

でも一度、何らかこうした話に意味を見いだせる場に遭遇できたら、書き表してみたいものだなとも思っていたので、今回機会を得てそれはそれで良かったと思っている。

『Webディレクター向け「アクセス解析研修」にみる研修設計』

自分の写真が出ているのは小っ恥ずかしいけれど、当初はもっと何体も私のちっちゃいのがうじゃうじゃいて気持ち悪かったのを、これでもだいぶ減らしてもらい、なめこを採取するようにざざーっとよけたらだいぶすっきりして、感覚が麻痺した。

書いてあることは、どの分野でもよく言われる当たり前のことオンパレードじゃないかと思っている。ただ、当たり前のことって結構骨が折れるもので、全うしようとすると知力も使うし、時間も労力もかかる。だから、各分野でそれぞれの人がそれぞれの当たり前をコツコツやっていく必要があって、それが意外と大事なんじゃないかと思っている。私はこの分野で当たり前のことを丹念にやり続けて、もっとできるようになっていったらいいなと思っている。

早十数年、研修や講座を納める仕事をしているけれど、きちんと本質的な目的をとらえて、最後までその目的を見据えて、それを具現化するために首尾一貫した取り組みをやり通して成果につなげるというのは、いまだ毎回すごく難しい。

でも、その経験を重ねながら、少しずつ自分のもとにやってくる相談の幅が広がり、書ける提案の鋭さや深みが増し、それを一つずつ具現化していって、それを続けていけたら、もう十分だなぁと思うのだ。私にはそれがすごく難しいことで毎回反省しながら続けているけれど、すごくすごくやりがいのある仕事だ。というわけで、また裏の作業場に戻って、トンテンカンと学習の場づくりに励みます。

2012-05-20

自分の役割と概念的知識

自分の役割と、職種の定義と、工程とか専門分野の概念は、分けて考えないといけないと思う。ここを混同するとどうなるかというと、「それはビジュアルデザインの範疇だから、ビジュアルデザイナーの仕事であって、私の仕事ではない」という論が成立してしまう。でも、その3段階は別に必然性をもってつながっていないと思うのだ。

自分の仕事の役割は、汎用的な職種の定義とも工程とか専門分野の概念とも直接つながっているものじゃない。実務者であるかぎり、自分の役割というのは、「その仕事」の目的を叶えることだ。所属する会社、お客さんの求めや期待に応えることだ。そうして社会に貢献することだ。実務者の仕事は、その目的、求め、期待と直接つながっているのであって、職種定義や専門分野の概念からは独立したものだと思う。

もちろん仕事だから複数名関わることになるし、役割分担はある。「その仕事」の役割分担をするときには、ある程度それぞれがもっている職種の定義や専門分野の概念がものを言うだろう。○○さんは何職種だからどこからどこまで預かって、これとこれをやってというふうに。

しかし、それは世に普及する汎用的な定義や概念に沿うかどうかではなく、「その仕事」がより良い成果をあげるために、どういう役割分担をしたらいいか(あと、その仕事の条件やら、今の状況で対応可能な分担とか先々を見据えた教育的観点とか)を見据えて分担されるものだ。そうやって役割分担を考えるときに毎度一からタスク分けしていたら非効率だし、おおかたは職種や専門分野で割り振れるから、たたき台作成にうまいこと使っているだけ。それで、一人ひとりの仕事と、職種や専門分野がつながっているように見えるだけで、そのつながりはすべての仕事に絶対固定のものじゃない。

「その仕事」においては、他の人がやるより自分がやったほうが目的に適ったものが仕上がる、効率が良いという状況であれば、普通に提案されるべきものである。もし「その仕事」においては、自分がやるよりあの人がやったほうが目的に適ったものが仕上がる、先々の組織の力や社会貢献度も高まる、そしてそれが振られる人にとっても現実的に対応可能な状況であれば、そうなるように提案して手配するまでが自分の仕事だ。それは何も特別なことじゃないし、良いと思うなら提案するほうが全うだ。

クライアントや所属する組織から期待されている役割は、職種の定義に沿うことではない。工程や専門分野の概念の範疇におさまって、それに沿って正しくやることでもない。そこでよい仕事をすること、目的に応じた成果を出すこと。そのためには、職種の定義なんて軽やかに超えていいし、工程とか専門領域の概念なんて踏みつぶしていい。そういう気概をもってやらないと、いい仕事なんてできないし、他に応用できる生きた力も一向に身につかないと思う。

先人の知恵を軽視するわけじゃないが、絶対視できるものでもないし、それは汎用化された時点で個別性を欠いていることを忘れちゃならない。自分のケースにあうかどうかは自分で検証しないといけないし、どう適用し、どう適用しないかは自分で判断しないといけない。自分の知らない真逆の先人の知恵だって存在するかもしれない。

先人の知恵を知らないでやるより、そういう知識を得た上でそれに沿ったり、あるいはそれを知りながら別のアプローチをあえて取るというほうがいい仕事ができるんじゃないかって話で、それを盲信して従うままになって、個別性に対処する自分の役割を放棄してはならないと思う。

実務家は実務で成果をあげるのが仕事だ。その仕事で、そのプロジェクトで生々しい成果をあげることが求められている。よそに成果を示すために仕事してちゃいけない。意識を核心からそらしちゃいけない。自分の力は、その仕事の目的のために尽くされるべきなのだ。と、いうのが、ごく個人的な見解。

本のしまい方

本棚に本がうまいことおさまらない…。みんな、どんなふうに家の本棚を使っているんだろうなぁ。私の周辺は、たくさん本をもっている人が多そうだし、本の並べ方にも一家言ありそうな人が多そうだけど。

いやぁ、こだわりだすと、ほんと疲れます。疲れるからこだわりを捨てたいのだけど、どうも気持ちわるくてある程度こだわらざるをえないというか。嫌い嫌いも好きのうちというか(関係ない)。しかし、どうにもこうにも本はうまいこと収まってくれない。

狭いところであーだこーだやっているのだから、どこかで妥協しないといけない。そうだ。狭いという前提条件を私はもっているのだ。そこは前提条件なんだから、うまいこと収まらなくて当然なんだ。と考えると、それはそれで救われるような救われないような。

とりあえず、そんなわけで、あちらをたてれば、こちらがたたない状況にある。贅沢にカテゴリーごと一段一段まとめていこうとすると、あるカテゴリーは一段とちょっと本が並び、あるカテゴリーは一段の半分も満たない。それはいいとして、同じカテゴリーにも背の高い本と低い本とあって、本棚の仕様上、カテゴリーをばらさないと収まらない。でも、複数のカテゴリーをごちゃごちゃに配置するのもどうも落ち着かない。

そこにまた追い打ちをかけるように思いついてしまうのが、今後もいろいろ本が増えていくこと。となると、このカテゴリーとこのカテゴリーは少し棚に余裕をもたせておいたほうがいいよな、今がちょうど良くちゃしょうがないんだ、とかなって混沌。

で、一つの本棚に収まるならいいが、そうもいかない。最近やってきて今入れ替え中の大きめの本棚が一つ。その他に、玄関にある靴箱の上半分を本棚にしている。さらに、部屋の収納の段ボールの中にも本が入っていて、これのどこに置くかによって手のとりやすさが格段に変わってくる。段ボールの中なんて、ほぼないに等しいくらいだが、ふと読みたくなったときには、あぁあの本はあそこにしまってあると思いつける存在感はあるので手放すのでもない。

整理しよう。ランクAは、手持ちのカバンの中に入れて日々連れ回している本だ。ランクBは、机の上とかに置いておいて、次はあなたよ!という格好にしている本。基本、本棚にしまったら読まずに忘れてしまうんだろうという自分への不信感があるので、ここまでは本棚にしまわない。で、やっとランクCが最近やってきた部屋の中の本棚に並べる本。ランクDが玄関先の靴箱に収まる本。ランクEは部屋の収納の段ボールの中へ。

で、悩ましいのはランクCとランクDをどう収納するかである。部屋の本棚にしまうか、玄関の本棚にしまうか。これは本にとってもかなり運命の分かれ道といえる。ゆえに、そう安直に判断するわけにもいかず、玄関に行ったり部屋に戻ったりうろちょろしながら、おまえはこっち、あなたはこっち、いや、あなたはあっち?としたら、あなたもあっち?とすると、これ全部あっち?いや、そうすると入らないからやっぱりみんなあっち?と行ったり来たり。

で、どうにかこうにか入れてみた。再読の頻度が高そうなのを部屋の中に置くようにして。そうすると、小説や哲学など仕事以外のやわらかい本が全部玄関のほうに押込められてしまうので、部屋が堅苦しくなるのだけど(それで引越し直後に家族が見に来たとき父に小言を言われた)、今回は一旦実用性を重視して、そこは割り切った。

のだけど、やっぱりなぁ、玄関の本棚というか靴箱に入れちゃうと、ほぼないものになっちゃうんだよなぁ。毎日前は通っているんだけど、なかなか開く機会もなく、目に触れないところというのは、距離50cmであってもずいぶん遠い。

目に見える場所、肌の触れるところっていうのは、ほんと大事。手元や手前にあって、目にふれ、肌に触れるところにあればあるほど、やっぱり近いんだなぁ。真逆はやっぱり、遠いんだなぁ。人間っていうのは身体性を前提に生きているのだ。当たり前すぎてわかりづらいけれども。

2012-05-13

仮住まい

我が家に家具がやってきた。先日書いたデスク・引き出し・椅子のセットと本棚が届いたのだ。「引っ越したとおもえば安いもの」という都合のよい解釈で、ソファベッド以外の家具を総入れ替えしたかっこう。同じ部屋ながら、別の人が住み出したような変わりようである。

前の家具は概ね10年以上使ったから、まぁここらで三十路仕様に切り替えてもよかろうと。これまではタモ材のような明るい色味が中心だったのだけど、今回は色味の落ち着いたウォールナット材にそろえて、部屋全体がだいぶシックになった。

というのも大きな変化なのだけど、やはり一番は、テーブルがデスクに変わったことだ。家具が変わることで、人って部屋の過ごし方、ひいては人生の時間の使い方が変わるんだなぁと、家具の存在に恐れ入った。日常過ごす空間ほど、ぞんざいにしてはならないなぁと。

私は一人暮らしを始めて以来ずっと、「この家は仮住まいなのだ」という思いを半無意識におきながら暮らしてきた感がある。実際、当初は会社にいる時間が圧倒的に長かったし、家にいる時間が圧倒的に短かったから、とりあえずのものがそろっていれば良かったのだ。

しかしまぁ、なんだかんだと歳を重ね、ふと気づけば「仮住まい」状態が10数年も続いているではないか。となると「それって仮?」という疑問が芽生える。いや、仮でもなんでもいいけど、とりあえず仮も10年・20年って単位なら、仮ライフをもう少し「脱とりあえず」していいんじゃないのかって話である。

そういう転機として「引っ越したとおもえば安いもの」と考えているのであって、だから、これでいいのだ。うむ。ふむふむ。一気にお金を使ったことを自己正当化する文章におつきあいいただき、ありがとうございます…。大事にします。

2012-05-08

いいじゃない、それで

ゴールデンウィーク後半は実家に戻り、父と妹と私で1泊2日の旅行に出かけた。行き先は千葉の南房総。実家からだと大移動という距離でもないが、車で数時間かけて南下する小旅行。内房は木更津やら富津あたりをうろちょろ観光し、そこから外房の鴨川のほうへ出て旅館に1泊。

部屋に入ると、窓一面に太平洋が広がる。お風呂も露天風呂から海と星空が望める。旅館は実に千葉らしく、さりげなく程よく地味に心地よい。2日目は鴨川シーワールドで、イルカ、シャチ、アシカ、白イルカのショーを観た。

このオーソドックスな観光旅行というのが、たまらなく懐かしくて心地よかった。「家族でオーソドックスなことをする」って、ものすごく尊いことのような気がするんだ。子どもの頃の体験もそうだけど、大人になってから追体験するオーソドックスも独特の良さがあるもんだな、と思った。思い出が重なる。

家を出発するときは小雨がぱらついていたけれど午後にはすっかり晴れて、2日目は朝から素晴らしい快晴に恵まれた。海と空の境目が曖昧だった。気温も25度近くあったのではないか。その翌日には各地で雹が降ったり竜巻が起こったりと大荒れだったので、運が良かったとしかいいようがないが、なんだか本当に自然の優しさに包まれた2日間だった。なぐさめてくれているようでもあった。

久しぶりのドライブも、なんだかとっても懐かしかったな。運転は妹まかせだったが…、高速道路を走るのも、サービスエリアで一息入れるのも、海岸線や山道を行くのも。うちの家族はなんだかんだとよく出かけたから、海に行っても山に行っても、子どもの頃の家族旅行がほんわりと思い出される。子どもの頃のドライバーはきまって母で、だからきっとこの旅の間、私たちは各々に何度となく母を思い出した。

それにしても、今回の旅行ではおおいに自然の偉大さを感じた。太陽の光を浴びて輝く若葉の中を走ることが、あんなに生命力を与えられるものだとは。すべての音を丸のみしてしまう波の音に包まれて広大な太平洋をただぼーっと望むことが、あんなに感慨無量の気分を与えてくれるとは。山の連なりに夕日が沈むのを見届けることが、あれほど心ほどけることだとは。

朝日に照らされてきらきらまぶしい海水の透けるのを眺めることが、あれほど幸せなことだとは。その浅瀬でカタクチイワシの大群と、ウツボがそれに食らいつくのを観るのが、声をあげずにはいられないほどの興奮を呼び起こすものだとは。すっかり忘れてしまっていた、どこかに置いてきてしまっていたような高揚感を、自然は一瞬にして私の中によみがえらせ、そんなの朝飯前だよって顔をしている。

その強大な力は、父にも届いた。当初から、この旅行で父の気分をどうこうしたいと作戦を練って出かけたわけじゃない。そんな大それた企てが奏功するほど、人の気持ちは簡単じゃないと思っていた。母を亡くした父の胸のうちは、簡単じゃないのだ。だから、みんなで一緒に、いい家族の時間を過ごせたらいい、そう思って出かけただけだった。けれど、自然がやってくれた。この旅行中触れた数々の自然は、父にも生命力を注ぎ込んでくれたようだ。

そう感じる父の言葉を、旅行中に聴いたのだ。それはほんとにささやかな気分の上向きだけれど、とても大事なことだった。私はただ、「いいじゃない、それで」とゆっくり笑って相づちを打った。できることは、自然のなした大業を邪魔しないことだけだ。父の心のうちに自然の力が浸透していくのをただ見届けた。そして感謝した。自然に心から感謝したし、改めて畏怖の念を抱いた。これでどうこうというものではないけれど、今回旅行に行ったことは、とても良かったのだと感慨深く思う。

今年のゴールデンウィークは比較的アクティブに過ごしたが、合間合間で思いや考えを巡らせて試行錯誤していた。結局のところ、導かれるのは自分のなしていることや自分自身のちっぽけさではあるけれど、そのちっぽけさをわきまえて、ちっぽけなことを大事にしていけばいいんじゃないかなとも思う今日この頃。つまり「いいじゃない、それで」ということなのだ。まとまる話でもないので、という締めにしておく…。

2012-05-01

行きつけの蕎麦屋

近所に行きつけの蕎麦屋がある。お店はたいてい空いている。いつも店に入ると、お客さんが誰もいないか、一組入っている程度。お店自体も広くない。4人掛けテーブルが4つ、2人掛けが1つか2つ、所狭しと並んでいる。

あるときは暖簾をくぐると外国人を交えた5〜6人の団体客が入っていて、注文をとるのにてんやわんやしていた。結局、その後店に入った私も他のお客さんも一向に注文にたどり着けず、全員店を出てきてしまった。あのお店は席が全部埋まったら、たとえ物わかりのいい客が勢揃いでもキャパシティオーバーだろう。

そんな愛嬌のあるお店だが、私はまずまず常連である。注文を問われるとき「何にします?」から「今日は何にします?」に変わった日、そういうことになった。行きつけなのだから蕎麦の量も器も知っている。これくらいの器に、これくらいのボリュームで、客さえ少なければ注文からさほど待たずに出てくることを私は知っている。そして客は基本的に少ない。

それで今日の晩、会社帰りに足を運んだのだけど、どうやらラストオーダー2〜3分前に入ってしまったらしく(行きつけの割に…)、当然のごとくお客さんは誰もいなかった。しかしそれはいつものことなので、入店してすぐには気づかなかった。

座って注文を終えたところで、一人だけいる接客担当の店員さん(この店員さんは今日が初顔合わせ)が外に出て暖簾をおろしてきた。さらに、いつも流しているNHKラジオの音も止めてしまって店内は無音になった。まだ食べるどころか、注文した蕎麦も出てきていないのだから、つけておいてもいいんじゃない?ボタン一つ押せば止まるんだし…と思ったけど、そんなこと言えない(行きつけながら…)。

しーんと静まり返ったところで、蕎麦を待つ。お店は1階だが、蕎麦を作る人は2階にいて、蕎麦は蕎麦エレベーターのようなもので下りてくる。だから店内には接客担当の女性と私の2人しかいない。いっそ、せわしなく店じまいのあれこれをしてくれれば間も保たれるが、暖簾を下げて以降、これといってやることもなさそうで、彼女はぼーっと私の視界の先に立っている。無音である。

しばらくすると、蕎麦エレベーターの稼働音が2階から聞こえてくる。蕎麦が下りてくる。1階に到着すると、エレベーターから蕎麦を出して、店員さんが席にもってくる。「早く食べて帰っとくれ」という威圧感もなければ、「ゆっくり食べていってね」という感じもなく、つかみどころのない接客である。

それでまぁ、焦るでもなく、のんびりでもなく蕎麦をすすり始めたのだが、これがなぜだか一向に減らない。どうもおかしいなぁ、いつもと感じが違うなぁと思って、箸を底のほうにもっていって、よいしょと蕎麦のボリューム感をはかってみる。すると、これはあきらかに、いつもの2倍ある。1.5とかじゃない。2人前、2杯分。ぴったし2倍、に違いない。

な、、なんなんだ。早く帰したいんじゃないのか。2階にいる店長の大盤ぶるまいか。中途半端に一把余っちゃったのを放り込んだか。最後のお客さんには毎日この特典がついているのか。それにしたって、蕎麦は2杯分だけど、つゆも器もいつも通り。食べ物屋が意図的に出すにしてはあまりに乱暴だろう。

ということは、何かの手違い?って、どう手違うことがあるだろう。あっちとこっちが一緒になっちゃって…という事態を想像しようにも、あっちにもこっちにもお客さんがいない状況で混じりようもないし。まかないと一緒になっちゃったとか?なっちゃうか?なっちゃうかなー。とか思いながら蕎麦をすする。謎だ。謎のまま帰ってきた。何なのだ。2階で何が起こったのか。あるいは、私が2分の1になっちゃっていたのか…。

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