なっぱふみふみ
小説を読んでいると、お話のなかに出てくるあれこれが、自分のなかにあるあれこれと関連づいて、意識の水面に浮き上がってくるような体験をちょこちょこ得るものだ。今日小説を読んでいたら、「どういう字を書くのか、改めて考えたことがなかったが」という一節があって、あぁそういう言葉ってあるよねぇと思いながら、自分のなかにあったある言葉に行き着いた。
それが「ばふいやふいやのなっぱふみふみ」である。「どういう字を書くのか、改めて考えたことがなかった」というより、「どういう意味があるのか、改めて考えたことがなかった」言葉だ。おおいに謎である。
これは父の口癖で、どんな意味があってどこを起源としているのか、まったくわからない。が、物心ついたときから聞いていたので、口癖ともなんとも、「これはなんなのだろう」と考えることがなかった。30数年も、それは何者かと問わずにきてしまったものに対し、これはいったい…と問いを投げかける回路を組んでしまうのが、小説の不思議な力である。
で、今ならば現代テクノロジーを使って起源を調べられるのではないかと思って、Google検索してみた。「ばふいやふいやの」はさすがにわけがわからないので、「なっぱふみふみ」で検索してみると、近しいもので「はっぱふみふみ」が出てきた。
これくらいわけのわからない言葉で、これくらい近しい表現であれば、きっと関わりがあるのではないか。「はっぱふみふみ」を詳しくみてみると、1960年代の流行語で、起源は大橋巨泉の万年筆のCMにあり。で、これもまた、短い時間でわけのわからない言葉を言っているのが話題になったようで、わけがわからないということが共通の肝のようである。
では、鑑賞してみよう。そうしよう。パイロットエリートSという万年筆のCM映像(Youtube)。
「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ、すぎかきすらの はっぱふみふみ」である。耳になじむ五七五七七。言葉がはちゃめちゃなのに、何がどう素晴らしいのかなんとなく伝わってくるようなこないような大橋巨泉の振る舞い。人間の根源的な力を感じますねぇ。
しかし、ではなぜ「なっぱふみふみ」になまったのか、頭についている「ばふいやふいや」とは何なのか。本当に「なっぱふみふみ」を起源としているのかは、いまだ闇の中である。「ばふいやふいや」は、「はっくしょん、ちくしょうめー」とかいう、無駄に長くしてみました的意味合いに近いのかなとも想像するけれど。でも、あれはくしゃみじゃない。いったいどんなふうに生まれて、どんなときにあれを言っているんだろう。
でも、こういうのってなんか、本人に聞いてすべてがわかってしまうのももったいない気がしますよね。なので、「ねぇ、それって何なの?」とは聞かずに、これからもやっていくと思います。
« プログラミング学習という基礎体力づくり | トップページ | エラー番号「11」 »
コメント