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2012-03-07

辞書の見出し語

この間、本屋さんで雑誌をぺらぺらめくっていたら「出版社の辞書編集部を舞台にした小説」って本の紹介文が目にとびこんできた。「辞書編集部」という設定に心奪われて、そのまま小説のコーナーに行って本を手にとりレジ直行、三浦しをんの「舟を編む」を買ってきて一気に読んだ。面白かったなぁ。

久しぶりに女性向けっぽい本を読んだのでそれも新鮮だったけど、やっぱり辞書編集部って設定が何よりツボだ。人のえがき方もあったかくて良かった。軽快なテンポで読めるのも良かった。このところ内省モードが続いていたんだけど、気分をふわっと軽くしてくれた。

辞書のエピソードがいちいちしみる。子どもの頃、英語の教科書に『fish&chips』って出てきて、意味がわからなかったので辞書で調べたら、『フィッシュ&チップス』って書いてあって残念極まりなかったとか、【男】を「女ではないほう」、【女】を「男ではないほう」としてある語釈へのがっかり感とか。軽快にして絶妙なんだよなぁ。

ちなみに「〜でないほう」って語釈は辞書の常套句らしい。そんなの読んじゃうと、これを使っていない語釈に、辞書をつくる人の熱っぽさを感じて、胸ときめいてしまう。

辞書を使う側は、語釈の答えをもっていないからこそ辞書を引くわけだけど、こう書いてあってほしいって勝手に期待している領域みたいなものはあるのだ。で、「〜ではないほう」というのはやっぱり期待の的をはずしてしまっている感じ。「こういうものだ」と何かに言語化してほしいのだ。

でも、それに応えるのはすごく難しいことで、専門性を要求されるし、知性と信念、冷静さと情熱をもってあたらないと書き記せない。それをして辞書の価値が生まれる。うー、深い。熱いなぁ。

こういうのって、他のサービスでも一緒だよなぁと。使い手の曖昧な期待に応えること。ときには使い手が、曖昧でなく具体的な要望をあげてくることもあるけど、それも一旦曖昧な期待にこちらで抽象化して、提供者側が咀嚼した上で具体化したほうが、実は本質的求めに応じられることになったりする。

【西行】(さいぎょう)には、人物としての西行さんのほか、「不死身」という意味やら、「あちこちを遍歴するひと」「流れもの」の意もある。もはやほとんど使われていないけど「タニシ」という意味もあったり、能の作品に「西行桜」があったり、「西行被き」「西行背負い」「西行忌」なんて言い回しもある。けれど、このすべての意味を載せるスペースはとれない。

そのとき、その辞書にどの意味を載せ、どれを載せないか。語釈の内容以前に、見出し語の採否だけで途方に暮れてしまう仕事である。今の時代にどれだけ求められるものなのかとか、【西行】を知っていれば文脈から意味をたどれそうかとか。加えて、その辞書が読み手に何を届けたいか、何として世の中に価値を提供したいかといったことも判断の重要な軸になる。

このお話では、「実際の流れものが、図書館かなんかで、なんとなく辞書を眺めてるところを想像して(略)【西行】の項目に、『(西行が諸国を遍歴したことから)遍歴するひと、流れものの意。』って書いてあるのを発見したら?そいつはきっと、心強く感じるはずだ」って、すこし軽薄な役柄を演じる西岡さんの台詞がある。ちなみに、この西岡さんのえがき方がとてもいい。

その辞書で言葉を調べた人の曖昧な期待に、どう応えられるように言葉を編むか。冷静な言葉選びの底に熱っぽさが帯びている。いやー、小説って本当にいいものですね、という気分。

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コメント

[追記]
こちらを読まれた方から、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」という番組の辞書特集をご紹介いただきました。
http://www.tbsradio.jp/utamaru/labo/index.html
Podcastで聴けます。ものすごーい面白かったので紹介。
「辞書特集feat.サンキュータツオ」(前編)
http://bit.ly/zHw1W4
「辞書特集feat.サンキュータツオ」(後編)
http://bit.ly/zI4693

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