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2012-02-02

主張三兄弟

ある主張(A)が出てくると、きまってAと対立する主張(B)が出てくるのが人間社会だ。一人の頭の中でさえ、Aと思った矢先それと真逆のBという考えが頭に浮かんできたという経験は、誰しももっているんじゃないか。私は5万とある。

ヘーゲルはAを「肯定」、対立するBを「否定」と呼び、これの橋渡し役Cを「否定の否定」と呼んだ。Cは「AもBも一理あるよ。どちらも正しいところはあるけど、間違っているところもある」と説き、A/Bを統合する新しい主張を生み出す。

この3段階を「テーゼ(定立)」「アンチテーゼ(半定立)」「ジンテーゼ(総合)」とも言い表した。ジンテーゼ(C)は、真っ向から対立するテーゼ(A)とアンチテーゼ(B)の緊張関係を発展的に解消する役回りだ。

こう表すと、なんだかジンテーゼが全部おいしいとこもっていくヒーローっぽく見えてしまうけれど、ジンテーゼ(C)は、また別のテーゼ(A')となって、そこにまた新しいアンチテーゼ(B')が立ち上がる。その繰り返しで人間は歴史を通じて理性を発達させてきたのだ。(「ソフィーの世界」参照)

自分の主張をもち、人の主張に触れ、発展的に物事を考えていく上で大切なことは、自分の主張や人の主張をA/Bの対立軸だけで捉えないこと、それで鳥瞰的に捉えられていると見誤らないことだ。対立した意見には、Cの余地を残して向き合うことが大事だと思う。

生きていれば、自分がA/B/Cどの立場になることもある。例えば、自分が主張者Aの立場だと思う場面では、対立するBを正面から受け止める気構えをもって、A/Bを改めて吟味し、まだ見ぬ主張Cを自ら模索する姿勢をもちたい。

自分が主張者Bの立場だと思う場面では、Aを否定するだけでなく、まずはAが既にあったから自分の中にBが芽生えたのだということを認めたい。さらにA同様、A/Bを吟味し、統合する主張Cを模索する目をもちたい。

Cの立場にしても、まずA/Bの主張が既にあったからこそ、自分がCの主張を導き出せたことを認め、A/Bに敬意を払う人間でありたい。そうしたA/B/C同等の貢献があって、物事は過去より鮮明になっているんだと、そういう目で世の中を見つめていきたいと思う。

加えてCの立場では、自分の主張したジンテーゼがまた別の話のA(テーゼ)となり、そこに新しいB(アンチテーゼ)が立ち上がるという連なりをわきまえておきたい。でないと、既に周囲は別のテーマに移っているのに自分一人だけ前のテーマに留まってしまって、新しいテーマの対立意見を前のテーマの話の蒸し返しやすり替えに感じてしまうかもしれない。過去の主張にしがみつかず、話は次へ、時代は先へ展開していることに、いつも心を開いていたい。

あるテーマでわき起こる主張をみんなで交換できるのは、とても有意義なことだ。そのとき、自分の主張も人の主張もA/Bの対立軸だけで見ずに、人の歴史の中に組み込まれた1プロセスというくらいざっくり捉える目をもって視点移動させながらお話しできれば、それぞれの意見に対等な意義を認め合えて、健やかなんじゃないかなぁと思う。

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