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2012-01-14

「生産的な対話」をなす能力

一つ前の話で、書きたいと思っていた本筋をすっ飛ばしてしまったので、リベンジ的に書く…。「論理的に(あるいは客観的に、あるいは倫理的に)考えたら、こうすべきだよ」といった言い回しはよく使われるけれど、そう考えたらこれが唯一の正解でしょうと自分では思うことも、結局は主観を排除しきれない人間の、ある1個体の1つの見解にすぎないと思う。

「自殺すべきでない」という普遍性高そうな主張すら、「武士の自害」という文脈を与えれば、それを他者がとがめることについて多少なりとも心持ちが変わったりする。ジャングルの奥地に迷い込み一人ぼっちで昼夜をやり過ごし半年経過して狂ってしまいそうになっている人をイメージしたら、「とにかく生きろ」とはそう簡単に言えない気分になる。

見解が文脈によってどう変わるかは人それぞれだけど、少なくともいつの時代にも、どこの地域にも、どんな境遇のどんな対象にも通じる唯一無二の「べきだ」はそうそう導けるもんじゃないという身の程をわきまえて生きていきたいと思っている。

地球生命46億年…とまで言わないまでも、人類誕生からの歴史に照らしあわせて検証してみるくらいの懐の深さをもって、目の前の事実を見つめたいと思う。宇宙…とまで言わないまでも、遠く南半球の大陸にある一国の常識までイメージを膨らませてみて、あるいは同じ国の同じ地域にいても、その人が自分と異なるどんな境遇のもとに生まれ育ち、どんなふうに自身のことや世の中を見ているのかに思いを巡らせながら、目の前の人と対話したいと思う。

そういう心持ちを常とすれば、自分の心のうちにわく「べきだ」はあくまで自分の考えや価値観に基づく主張であって、唯一無二ってことではなさそうだと自然に思えるはずだから。

といって、「私たちには正解は導き出せない」と及び腰になって、何も答えを生み出さない人にはなりたくない。絶対の正解なんてない前提で、今目の前の案件を、何のために、誰のために、どんな条件のもとやっているかを踏まえて、私はこれが最適解だと思うというふうに、自己責任、自己選択的に自分の答えを表明して、それに関わる人と対話していきたい。

そうすると、相手の意見をきいて「なるほど、それは一理あるな」とか「その視点は抜け落ちていたな」ということを率直に受け入れていける。その場では視野が狭くなっていてうまく受け取れないことも、少し時間を経てはっと気づけたりする。そうしていろんな人の思いや気づきを統合していくことが、より目的にかなった活動につながっていく。

クライアントさんや講師の方と話をする場面では、だいたいにおいて、この「生産的な対話」が当たり前に成立するのがよい。もちろん相手にあわせて配慮しながら話はするけれど、基本的に、目的のために最良のことを一緒に見いだしていこうという前提を共有できている感じがある。

だから「いや、それも考えたんですけど、そうするとここに問題が発生するので、今回はこっちのやり方のほうが良くないですか」という話もできる。目的と対象に目線をあわせて、条件も考慮すると、どこを落としどころにするのがいいかねぇと対等に話し合える。そのコミュニケーション時間を、私はとても健やかだなぁと思う。

こうした生産的対話が成り立たないケースを3つ挙げてみる。(1)一方あるいは両者が、自分の主張だけが絶対正しいと思い込んでいる場合(未来のことを検討する際、絶対正しいは原理的にありえない)。(2)一方あるいは両者が、自分の主張が通らないことイコール自分の人格を否定されたように感じてしまう場合。(3)一方が何事にも同調するばかりで意見が一切ない場合(考えていないか、主張して否定されることが人格否定に感じられるため自己防衛している)。

こうしたケースに該当する人はいずれも「目的より自分のことが勝っちゃってる人」と暗黙のうちに理解され、周囲から議論を持ちかけられることが自然と減っていくことになる。生産的な対話を常とする人は、生産的な対話が成り立つ人/成り立たない人を嗅覚で無意識により分ける。

生産的な対話ができない背景には多くの場合、スキルというより心の問題が作用していると私は思っているので、一朝一夕にどうこうできるものではないことも多いだろうけど、協同でいい仕事をしていくためには、自分に焦点をあわせるのではなくて、共通の目的に目を向けて自分の力を注いでいくことが必要だと思う。そういう姿勢でもって生産的な対話をなすことが仕事に欠かせない要素の一つだと思う。とりあえず、前の話で書きたかったのはこういうことだった、たぶん。

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