言い習わしに従う不自由
人には、知ってしまったが最後、生涯それに従わざるをえないというお約束がある。私にとってそれは、日が暮れてから爪を切らないことであり、霊柩車を見かけたら通り過ぎるまで親指を隠すことなのだけど、この辺りは皆さん徹底されているんだろうか。こんなお約束を、人はどれくらい抱えこんで生きているんだろうか。
特に「爪を切る」というのは日常生活の一コマであり(多くの女子は爪を切ったりしないそうだけど)、その機会は頻繁に訪れる。私の場合、朝プールで泳いだ後そこでお風呂に入ってから出勤しているので、出勤直後は爪が柔らかくなっていて、まさに切りどきだ。なので、爪が伸びてくると、よく会社に出勤して間もない朝時間に会社のお手洗いで爪を切っている。
昨日もそんなわけで、私は会社のお手洗いの隅で爪を切っていた。すると、お手洗いに似つかわしくないぱちんぱちんという音に反応してか、会社の若い女の子が(って、言い回しがおじさんぽいが…)「なぬ?」という視線を送ってきた。「何やってるんですか」と訊くので、かくかくしかじかで日が出ているうちに爪を切っているんだと事情を説明したら思いきり笑われた。最近の若い子はそういうことやらんのかね…。
いや、私もこれを守らなきゃ大変なことが…とか、気が滅入るほど妄信しているわけじゃないのよ。そういうわけじゃないんだけど、爪を切るタイミングをどうするかっていうくらいのことであれば、むしろ迷信だと思いながらそれに従い続けるくらいの寛容さをもって人生を愉しみたいじゃないのっていう、そういう感じでやってきたのであって。
そうこうしているうちに、「爪を切ろうとしたけど日が暮れているからやめた」という経験がうずたかく積みあがり、いよいよやめるにやめられなくなってきたというか…。なので、こうした経験を踏まえて、その後自らジンクスを作って不自由になるようなことは全力で阻止してきた。
ジンクスっぽいものは作り出すとキリがないし、作り慣れるとなんでもかんでもジンクス化してしまうようになる。この2つだけでも大変なのに、さらなる不自由をしょいこむようなこと、いやいや勘弁。と思うのに、何かあると頭のほうが勝手に一つのことをパターン化して意味づけしてジンクスを作り出そうと動き出すことがあるから厄介。それを察知するやいなや、どどどーっと駆け寄って必死にその活動を食い止めてきた。
ゆえに、上に挙げた2つと、あといくつかすでに作ってしまったジンクスめいたものの不自由をもって、以降数を増やさずにやっていけたらなぁと思いながら、日が暮れぬうちにせっせと爪を切り、霊柩車を見れば親指を隠す日々を送っている。
でもまぁ、爪を切ろうと思ったときに「あ、でも今、夜だわ」と思ってやめるという、その独特な自分の行動の導き方というのは、なかなか乙なものです。自分のごく個人的な暮らしのことだからこそ、そうした判断が成り立つのであり、そうしたことが成り立つところで存分にそれをやっちゃうというのも人生の味わいの一つかなと思ったりするのでした。
今日は、日中に出した提案がクライアントさんのイメージにそったものだったようで、ここ数日の緊張をほどいてのんびりした夜を過ごしているのでして、つまり、さして意味のない文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
« 学習意欲の高め方 | トップページ | お食事にケーキ »
コメント