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2011-12-29

守られた一年から

今年は、大切なものを失ったり傷を負うことが多かった。2月に母を亡くしたことが壮絶な喪失だったのは言うまでもないが、そのひと月後には大震災があり、その後にもいろいろと大きなものを失い、見失い、春夏とへとへとで過ごした。そこへ来て9月半ば、今度は突然の首の痛みに襲われ、文字通り動けなくなった。

この一年の道中で、どれだけ人の言葉に、配慮に、聴こえてくる声に、そこにいてくれる温もりに助けられたかしれない。すごくつらいとき、すごくやりきれないとき、私は一人で過ごすことが多い。だからこの一年は圧倒的に一人でいる時間が長かった気がする。でも、それだけに人と会っているとき、話しているとき、メールやSNSで言葉を交わしているとき、よろよろの心身をひそかに支えてもらってきた。

会社にも、すごくすごく守ってもらった。母のことで大変なときも、首が痛くて大変なときも、全然使い物にならないのに皆すごく優しかった。温かかった。会社を辞めようかと思い悩んだときも、懐深く、よい形を一緒に模索してくれた。

情けないことに、そういうことが今さらしみじみ感じられるほど、自分のことに精一杯の一年だった。これまでの人生で、こんなに自分のことに意識を集中した一年もなかったかもしれない。自分自身をちょっとよそから眺めるようなかっこうでいるのが自然体で、こんなに自分のことに集中しなきゃいけない状態が続くのは、けっこうな異常事態だった。

この異常事態を通して、私はものすごくいろんな気持ち、考えを体験した。これまでに受け取ったことのない刺激ばかりで、あれこれ感じ入ったり考え込んだりしながら一つひとつと向き合ってきた。

そうして今なんとなく思うのは、一年前よりいろんな人の彩りを感じ取れるようになったなということ。私の目にうつる世界は、一年前よりぐっと広くなり、彩り豊かになった。

まだ自分の答えが出せなくて立ち往生することも少なくないけど、まぁ人生ってそういうもんだよなって思うし、そういうの全部、自分だなぁと思って、力みなくここに立っている。

来年はこの一年の鍛錬を力にして、もっと懐深く、やわらかく、あたたかく、しなやかに、強く、生きていけたらいいなぁと思う。今年も秋深まる頃からすこし吹く風が変わってきたような気もするし。のんびり本を読んだり、親密におしゃべりしたり、ひっそりものを書いたり思索にふけったりしながら、大概のことはおおらかに、思うところには局所的に熱っぽく、日々のことに仕えていけたらいいなぁと思う。

まぁ、これといって来年の目標とか立てるタイプでもなく、毎年「していけたらいいなぁ」と言っているだけな気もするけど、そんなふうに、ゆるりふわりと思う年末です。来年もおつきあいのほど、よろしくお願いします。どうか、良いお年を。

追伸:首の痛みは完治には至っていないものの、だいぶ良くなりました。まだヒールの靴は履けないけど、2kmクロールで泳げるくらいには快復。健康の大切さもしみじみ感じた一年でした。

2011-12-27

1年前を振り返る

1週間ほど前から、1年前の今頃は…と振り返ることが多くなった。ふだんほとんどそういうことがないので、多くなったというより振り返るようになったというほうが適切かもしれない。

そして、今日。1年前の今日、夜遅く、会社帰りの渋谷駅で父から電話がかかってきて、母の余命宣告を聞いた。あれから1年経ったんだ。

だからといって、ここに何かの感情を吐露したいという感じもないし、1年経ってこう思いますと改まって書き記せるまとまった考えがあるわけでもない。ただ、なんとなく、1年経ったなぁということを、ここに書き留めたくなっただけだ。1年前、泣きながらここに書き留めていた「母の最期」のしめくくりに。

ここにいろいろ書き残しておいて本当に良かったな、と思う。今でも読んじゃーぽろぽろ泣いてしまうのだけど…、でもあのときのこと、あのときの気持ちをしっかりここに残しておいて良かった。

一方で、後になってやり損ねたなと悔やんでいることもある。それは、なんでさいごに、しっかり母を抱きしめてあげなかったんだろうという後悔だ。それで伝えられることは、きっとあったはずなのに。このやり残しをここに書き留めて、2011年もそろそろしめくくりです。

2011-12-18

実務者のスタンス

研究者でなく一実務者としてほにゃらら理論やほにゃららモデルを取り扱う場合、その理論やモデルがどういう前提の上に成り立っているのかを確認すること、一定の懐疑心をもって取り入れること、誰の何のためにどう使うかの手綱を自分の手から決して離さないことが大事だと思っている。

一番痛いのは、自分の案件の状況設定を踏まえず、知った理論なりモデルなりを盲目的に万能な杖として採用してしまうことだ。それは、目的と対象者を預かる実務者としては責任放棄に通じていると思う。どんな理論もモデルも、ある状況設定の上でまずまず言えることが提唱されているに過ぎない。その状況設定が自分の目の前の案件と合致しているか否か、そこで有効な理論か否かは自分の判断にゆだねられている。8割使えるかも、応用すれば2割使えるかも己の判断だし、どの8割が使えてどの2割が使えないかを見極めるのも己の能力にかかっている。

また、どんな分野にもいろんな学派があり、いろんな理論があり、いろんなモデルが存在するから、探せばそれと真っ向対決する学派、理論、モデルなどいくらでも発掘できるだろうし、ないというなら、それは知らないだけだ。自分が知らないだけかもしれないし、現時点で人類がまだ発掘・提唱していないだけかもしれない。まだ提唱されていない仮説もあれば、仮説すら提示されていない真実もひそんでいるかもしれないのが、この世の中だ。そう考えると、万能の杖などない。もし万能の杖があったとしても、それを万能の杖だと言い切れるだけの判定能力は人間にはないと私は思う。

だから、自分がA理論を知ったからといってA理論を絶対視しちゃいけない。知った理論やモデルは、あくまで道具として扱わないといけない。尻にしかれちゃいけないのだ。そして、自分が現場で感受したものを軽視しちゃいけない。現場ではたらく自分の感受性を、軽視しちゃいけないと思う。

それもまた絶対視しちゃいけないけど、いつも大事にすべきなのは、その仕事の目的と対象者だ。何を成し遂げたいのかを明らかにして、対象者は誰なのかを深く深く洞察する。「誰のために何をしたいのか」を真剣に考える。その軸を見据えて試行錯誤しながら事を前に進めることが、ものすっごくあったり前に実務者にとって一番大事なことだと思う。少なくとも私の仕事人生を支えているのは、いつだってこの信念だ。

あったり前と思うんだけど、ときどき猛烈に、これについて書きたくなることがあるんだよな。なので前にも書いたことがある気がするんだけど、また書いてしまった…。まぁ、個人的に主観的に、そう思っています。もちろん、各種理論やモデルには公私とも大変お世話になっているという感謝とともに。

2011-12-14

学習意欲と学習成果の関係

少し前にUXD initiative( #UXDin )の研究会に参加したとき教わった学習意欲と学習成果の関係が興味深かったので、メモがてら問題。次のうち、学習意欲と学習成果の関係を表しているグラフはどれか。

  1. 学習意欲が高くなればなるほど、学習成果も高くなる

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  2. 学習意欲が高まれば学習成果も高まるが、ある水準に達すると一定レベルに留まる

    333_6

  3. 学習意欲は学習成果に影響を与えない

    444_5

先に「興味深かったので」と書いてしまっているので、1つ目や3つ目じゃないんだろうとは察しがついちゃう上に、下になんかある! ので、2でないこともお察しのとおり。答えは次の「ヤーキス・ドットソンの法則」という逆U字カーブ。

  • 学習意欲が高まれば学習成果も高まるが、最適水準を越すと成果は低下していく

    111_2

意欲は低すぎるのはもちろん、高すぎても成果はいまいちなんだそう。あらまぁ。これ、別に盲目的に信じることもないけど、「学習意欲」のところを少し言い換えて「覚醒レベル」あるいは「緊張/ストレス度」で見直すと、けっこう腑に落ちる。研修のカリキュラムを設計したり、教材を開発したり、運営をしたりするときは、確かに受講者の皆さんが中央の最適水準におさまるよう心がけているのだった。

左に寄りすぎてしまうと、ほぼ睡眠状態だったり、退屈だったり興味なしだったり。一方、最適水準を超えて右に寄り過ぎてしまうと、過度なストレス状態に入ってしまって硬直、不安、あるいは高揚感に発展。学習そのものに集中できず、成果に結びつかない状態に陥る。

高すぎる学習意欲(覚醒レベル)の具体例としては、退屈とは真逆に、強い関心をもってそのテーマの本をあれこれ手にとったりセミナーに出かけたりして、勉強行為は活発なんだけど、注意散漫で結局何も覚えられていない、身についていない空回り状態に陥ってしまう。

あるいは、無関心とは真逆に、将来のことなど考えると、これを習得しなくては先がないと神経質に関心を寄せてしまい、不安感や危機感が募ってストレスフルな状態に。これでは学習どころではない。

あるいは、あれもこれも勉強したからと満足感にひたったり自信過剰になってしまって、実際には身につけられていないのに自分の能力を見誤ってしまう状態にも陥る。

というわけで、一人ひとりの繊細な心を汲みながら、集中できて実際の成果につながる学習環境をデザインしていきたいなぁと改めて思う。とともに…、我が身を振り返って自分自身が空回り学習にならないよう心して臨まねばと思いつつ、これについて言及されている「学習意欲をデザインする」という本を読み進める日々。

2011-12-07

「老害」について

30代も半ばを迎えると、「若い世代のふるまいを見聞きして一時停止する」という経験をもつようになる。

まず最近聞いた話を2つほど。1つ目は、その方が自社の2012年度新卒採用の会社説明会を開いたときのこと。前で会社の人間がしゃべっているのに、学生がみんな話し手のほうを見ずに、ずーっと下を向いたままスマホの画面を指でつぃーつぃーと上下にさすっていたという話。2つ目は、本業のかたわら大学で教鞭を執っている方の話。最近の学生はノートをとらない、机の上にはスマホとタブレットとノートPC。「ここは重要だ」と言うと、にゅっと腕をのばして写真におさめるという。もちろん、これが日本全国で行われているわけではないだろうけれど、とりあえずそういう現実があるという。

私が印象的だったのは、このお話をされたお二方とも「自分世代には信じられない光景」と感想をもらしつつも、「こういう世代を受け入れていかないといけない」といったニュアンスでエピソードを披露されたことだ。自分とは違う時代に育った若い世代のふるまいを目の当たりにして、一つ手前の時代に育った私たちは唖然とし、一時停止する。では、一時停止した後どうするか。ある人は叱り飛ばし、ある人は不快感を示すかもしれない。けれど、私たちの世代で意外と多いのが「黙してまず考える」なのかもしれないと思った。そして「自分のほうがそれを時代変化として受け入れていく必要があるのではないか」と考える人が少なくないのではないかと。

Web業界界隈で働く人の話を聴いていると、「老害」に対して敏感すぎやしないかと思うことがある。かくいう私も、自分が「老害」の加害者になってしまうことを恐れているところがあって、細心の注意を払っている。めまぐるしく変化していくこの世界に長く身を置いていることで、変化に対してはまず受け入れてみるという態度形成が自然となされるのかもしれない。あるいは過去に老害の被害者体験をもっていて、自分はこうはなるまいという反面教師をもっているのかもしれない。

でも、もし目の前の事態に違和感を覚えているなら、真っ向から否定するのでもなく、黙って受け入れるのでもなく、もっと率直に世代の異なる若者と意見交換してみてもいいのではないか。別段これという正解があるわけでもないのだし、どっちのほうが良さそうか、お互いの考えを出してみて、良いとこ悪いとこ議論してみたほうが結果として残っていくものは良質になるのではとないかと。

古代ローマの時代からごく最近まで、文化的変化がこんなに短期サイクルでめぐってくることはなかったのだ。一人の人間がその生涯を終えるまでに、こんなに劇的な文化的変化に複数回出くわすことはそうなかっただろう。そう考えると、私たち世代はそれを体験する最初の世代として、もっとじっくりこれの変えるの変えないの、何を取り入れて何を置いてくの、この時代特有のチャレンジとして愉しんではどうかと思う。

例えば、説明会場に来ているからこそ五感なり六感なりをフルに使って得られる情報があるのに、なぜ下を向いて画面をみることに専念しているのか。それはもったいなくないのかと。どんな会社なのか見に来たのなら、会場の様子、そこで働く社員たち、話し手の話しぶり、目の強さ、そういうものを自分の感覚器フルに使って持ち帰ったほうが目的に適っているのではないかと。

そういう議論を持ちかけて、いやいや姉さん、人間はもはやテクノロジーを体に身につけて、それとセットで能力を発揮するのが前提の生き物に変わったんですよと、そういう進化の遂げ方を選んだんですよと。だから、こういうふうに情報を摂取しているんですと披露してもらえれば、なるほどーと思うかもしれないし、いやいややっぱり昭和人間からすると、なんかもったいないし、危なっかしいと思うかもしれない。ある日それがぼんとなくなって自分の血肉となっている部分が薄っぺらかったら心細くない?とか思ってしまう。でもまぁ、そんなこんなも議論を深められたら楽しいじゃないですかっ!と思う。

もう一方で、説明会を主催するなら、説明会に足を運んで画面だけ見て帰られて、伝え損ねたことがあるとは思わないのかとも思う。もし思わないなら、それこそ新しいテクノロジーを取り入れてやり方を再考し、Ustreamとかで会場来ずに参加できるようにすれば効率良くなるかもしれないし。会場に来てもらってこそ伝えられるメッセージ、築ける関係性を意図して会社説明会を開いているというなら、下を向き続ける彼/彼女らに対して、新しい世代のふるまいを受け入れねばならないと黙ってそれに従うのは理にかなっていない気がする。

直接会って話を聞き、そこで築いた関係性があるからこそ、隣のB社よりこの会社に入りたいという思いを持ち帰ってもらえるのではないか。そのために足を運んでもらっているのではないか。ならば、帰すべきは自分たちは何を伝えたくて、そのためにはどういうコミュニケーションを説明会の中で築かないといけないかってことかもしれない。議論すべき本質はそこにあるのかもしれないとも思う。

学校の授業にしても同じことで、「ここは重要だ」というポイントを写真におさめるのって、「テストに出るところを記録して、テスト勉強を効率化する」以外の何の価値があるんだろうって考えると、答えが浮かんでこない。テストでいい点とる、じゃなくて、本質的にそれを学習することの楽しみとか、それを自分の血肉とすることの有意義さとかを共有できずじまいに授業が進行しているとしたら、それこそが問題の本質ではないか。

であれば、原点に立ち返ってそれを学習する意味を共有しながら、もっといい授業の参加の仕方とかを一緒に議論していってもいいんじゃないかなぁと思う。きれいごと?昭和っぽい?かもしれないけど、まぁ私は昭和生まれ昭和育ちなので…。いいものは取り入れたいし、変に固執することなくしなやかに変わっていきたいと思っているけど、変わることが目的化して、今あるものの価値をむやみに捨てることもしたくない。両方を、力まずよく見たい。よく見て、生かしたいと思う。それでどっちつかずになるのもいやだけど、良いとこどりして新しいものを生み出すことこそ、人間の創造力の発揮しどころじゃないかなと思う。

自分とは異なる時代に育った人たちが、どう時代からの影響を受けてきたのかを受容する構えは大事だ。けれど、受容することと同調することはイコールではない。「老害」を働くことに必要以上におっかなびっくりにならず、もう少し、自分たちが自然としてきたことの価値を言語化して共有してみて、次の世代の人たちに吟味してもらうステップを踏んでもいいんじゃないかなと、そんなことを思う。対等の立場にある、ただのA世代、B世代として議論してみても面白いんじゃないかなと思う。

2011-12-06

クライアント側の変化とWeb受託企業の戦略

もうちょっとまとめたので、昨日の続きでWebSig会議( #websig )のメモ。いろんな人がいろんなことを言ったのを、ごった煮的に私の頭の中で再編集してしまったものなので、あくまでも私的メモということで。今回の登壇者でなく、事前に行われた企業アンケートの声も一部含まれている。

まず、Web受託企業からみたここ最近のクライアントの要件変化や環境変化として挙がっていたものを、ざざっと列挙。まず案件の増減。

  • Flash案件減→HTML5案件増
  • PC中心からマルチデバイス化
  • スマホ対応増(IMJモバイルさんでは、フィーチャーホンの新規案件はここ1年でほぼゼロになった)
  • 広告代理店経由ではなく、クライアント直受けが増

次はクライアントから求められることの変化や、環境変化っぽいもの。

  • 広告代理店的な仕事の求められ方をされるようになった(戦略も制作もサポートも、まるっと全部やって!)
  • クライアント社内でトリプルメディア一通りの環境は整い、それをどう活用するか全体プランニングが求められるフェーズに入っている
  • Webに関するクライアントのリテラシーが高くなった(自分たちより知識、見識が深いことも)
  • 企業名や組織規模ではなく、個人名やフォーメーションで発注されるようになってきた
  • これまでのマス広告予算がネットに移行してくると、大手がネットにかける予算額も規模感が変わってくる(Nikeがバズ系ムービーを20億かけて作ったとか)
  • 3.11によって予算が一旦リセットされた感あり。クライアントはここを境に「デジタルメディア積極活用派」と「レガシーで残念な企業」の二極化がさらにくっきりしてきた

そんなわけで、レガシーな企業は放っておこう。前者の期待に応えられるよう、いかに成長を遂げるかが大事だ。今のままでは期待に応えられない。製造業的に仕事をしていては先はない。自分たちの役割を変容させていく必要がある。上記のような変化に対応して、自分たちはどんな戦略をとっていくのか、どんな戦術を打っていくのか考え実行するのが喫緊の課題だ、というようなメッセージとして受け止めた。

では、こうしたクライアント側の変化を受けて、各社の戦略は。さまざまなトレンドの取捨選択、新規参入、実績づくり、広報のサイクルについては前のエントリーで言及したとおり。それ以外にもあれこれ挙がっていた各社の取り組みをざざっと列挙。

  • 新規サイト構築案件から、運用/戦略立案/クライアント常駐型へ
  • 受託だけでなく、自社サービス開発を始めた
  • ページ制作から、アプリ開発に主軸
  • スマホ対応、SNSなどトレンド早期参入
  • 映像配信、コールセンターなどサービス拡張
  • 情報設計、ログ解析などのサービス専門化
  • クライアント業態特化(ECサイト特化で支援)
  • 海外展開(開発拠点としては実際結構難しい。営業拠点としてアジアに展開。中国より台湾やシンガポール、香港)
  • ネット購入だけでなく、ネットから店舗の誘導をどう支援するかに対応(スマホ、位置情報の活用、SNSの口コミ活用)
  • Webサイトデザインからコミュニケーションデザインへ(マス含め)

各社いろいろ。では、その戦略のための戦術は?そこに求められる人材とは?その能力をどう採用・育成する?と話題はつきないが、とりあえず、この話はメモ的に終わる。私は後方支援する立場だけど、自分なりにいろいろ考えさせてもらったことは、本業や連載やこのブログで、またぽろぽろアウトプットしていきます。改めて感謝。

2011-12-05

トレンドの早期参入、実績づくり、広報

先週末のWebSig会議( #websig )「2012年に向けたWeb受託企業の戦略」に参加してきたメモ。思ったこととか考えたこととかの個人的なメモです。私の頭の中でごった煮の調理加工済みなので、誰が何を言ったのかはまったくわからない状態に…。というか、もはや誰もそんなことは言った覚えがないという話も。構成やスピーカー情報を知りたい方はこちらへどうぞ。と煙に巻いてメモ開始。

「2012年に向けたWeb受託企業の戦略」をテーマに各社スピーカーのお話を伺って、この辺が今時分の「トレンド」なんだろうなぁと思ったキーワードをまず列挙。

  • HTML5
  • Android
  • スマートフォン
  • ローカルサービス(位置情報)
  • ソーシャルメディア
  • 電子出版
  • O2O(Online to Offline)
  • アトリビューション
  • ゲーミフィケーション
  • クラウド

「トレンド」という言葉は「トレンドに振り回される」というように良くない使い方もできるし、私自身まったくトレンドにうとい体質なんだけど、日々わき出てくるトレンド的話題からその可能性や発展性を見据えたり、どのトレンドが自分の強みと親和性が高いのか、自社の強みとあわせたとき相乗効果を生むのかといったことを見定めて、近づいたり放置したり取捨選択を行うのは、すごく大事なことだよなと「トレンド」を再考する機会になった。

そして一連のお話を伺って各社見事だなと思ったのは、こうした選択と集中を行い、選んだトレンドに関しては“リスクをおって”早期参入を図り、実績を作り、作り終えた後しっかりそれを広報しているところ。そうして、そのトレンドの先駆者として認知され、次へつなげていく発展的な取り組みをしている。

書いてしまえば当たり前のように聞こえるかもしれないけど、実際はなかなかできていないもの。目先の案件をこなすのにいっぱいいっぱいで、経験のないトレンド案件に新規参入するのは後手にまわってしまったり、標的しぼらずどれも中途半端に知っているだけになってしまったり。つまりどれも作っていない、やっていない状態。あるいは、やってはみるんだけどリスクを負うところまでは踏み込まない、だから結局中途半端に終わっていて次につながっていないとか。実績はあるんだけど広報活動していないから次につながっていないとか。

トレンドの早期参入、実績づくり、広報活動のサイクルをまわしていくことは着実だし大事だよなぁと思った。今の時代ならソーシャルメディアが強い味方になってくれるし。実績がない分野でお客さん案件を取るのが難しければ、実験プロジェクト的に自社で何か作ってみて、それを広報することによって、クライアントの引き合いにつなげることも狙える。クライアントも、新しいものに関してはやっぱり「その類いの実績があるか」が発注先選定の重要な指標の一つになるし、早期参入なら小さな実績でも大きい価値をもつ。

こうした取り組みには、そこにコストを割くという判断が必要だけど、「短期的に見たらマイナスだけど中長期的に見たらやるべきこと」は、やっぱり判断して、これというものをやっていかないと先が続かない。なんというかな、各社さん「無駄はしないけどケチもしない」というか、選んだものに関しては「リスクをおってもやる」というより「リスクを買ってやる」潔さみたいなのが光っていた。

その他、クライアントの要件変化とか、今の世の中こんなこともできるんだなぁとか、実際こんな戦略にうって出てるんだなぁとか、いろいろ学んだことはあるのだけど、とりあえず一番印象的だったのはこれ(いや、もうちょっといろいろある)。とにかく、とっても面白かった。モデレーターの皆さん、スピーカーの皆さん、懇親会でお話しさせていただいた皆さん、ありがとうございました!

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