パーソナライズ
Webサービスを使いこなし、自分向けにパーソナライズされればされるほど、ほかの人の前で自分の画面を見せづらくなっていくような、人の画面を見るのもはばかれるようになっていくような。
以前Twitterで、知人のtweetをたどってリンク先にとんでみたら、Amazonのかぶりもの商品ページが表示されたので、へぇ、こんなのも売ってるんだぁと数点眺めて閉じた。こんなのね。
その数日後にAmazonにアクセスしたら、トップページでかぶりものをレコメンドされていて、ぎょぎょっとして、周囲をキョロキョロして、こそこそ履歴を削除した。人前でログイン状態のAmazonを開くのには勇気がいるなぁと思った。
ど真ん中に自分の趣味嗜好が表示されるのも気恥ずかしいが、ちょっと誘導されて見にいったものを、へぇ、あなたにはそんな趣味が、と誤解釈されるのはさらに微妙だ。事情を説明するのが場違いな場面では、誤解も解けぬままさらにつらい立場に…。この辺は、いずれもうちょっと良い感じになるんだろうかな。良い感じってどんなだろうかな。
と、こんな文章も残していこうかな、と思いだした今日この頃。SNSが流行れば流行るほど、あるいは単に年を追うごとかもしれないけど、表現することに臆病になっている自分に気づいた。あるいは腰が重くなったとも。そうやって日々のことが流れていってしまうのはさびしいなと思ったので、まとまらない話も増えるかもしれませんが、ゆったり構えて今後ともおつきあいください。なんか、「これまでだってまとまってなかったから大丈夫!」という敵なのか味方なのかわからない幻聴が聞こえてくるけど。
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